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 気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴23年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ。おねがい
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ブリスベンのモールにあるビルのアート。よく見ると複数の蝶が形取ってある。




 私の祖父母(叔父と父の両親)の家を4日間かけて片付けた後、親戚の方々を訪ねてご報告をした。そして、叔父夫婦を連れて温泉に一泊した。
 母が亡くなる前は叔父の住む家で母と叔父夫婦と飲み交わしていたのだけれど、昨年から何度か日本に来て、その都度叔父夫婦と一緒に温泉施設に泊まった。この1年間で、叔父夫婦の衰えを目の当たりにした。母が亡くなったことと、長年住み慣れた家を離れることがこの一年の内に起きたのだから仕方ないのかも知れない。

 

 母は昨年急逝した。ダウン


 今回は母の一周忌がメインイベントなので、娘のアリスも一緒だ。子供のいない叔父夫婦にとっては、アリスは孫同様である。食事の時も、嬉しそうな顔でアリスが食事をして話をする様子を見ていた。

 海外から来るのでアリスは年に一度の訪日だ。もしかしたら叔父にとって、これがアリスと温泉旅館に泊まれる最後になるかも知れない。叔父も今年で90歳である。
 
 
 母は父と別居した後(2003年頃)、心を整理するために四国八十八か所霊場巡りをした。ツアーではなく歩きだ。あまりにも遠い所はバスを使うなどして巡ったそうだ。その途中で日本初の『樹木葬』を確立した住職さんと出会い、実際にそこ訪れ、母はこの樹木葬に自分の骨を埋めることにしたと聞いた。


 今は全国に『樹木葬』とうたっている所がある。



アップアップアップ

 『しっちゃかめっちゃか墓の改葬物語(1〜8)』で、本家の土地に墓を建ててそこに叔父夫婦を含めた祖父母と父という家族全員を埋葬する話を蹴った妹は、最初、母が永眠の地と決めたこの樹木葬に父や祖父母の骨を持って来ようと思っていたらしいのだが、これには私は烈火の如く怒った。

私:「何の為に母があそこに土地を買い求めたと思ってるの?父の家族のしがらみから逃れる為でしょう?母が一生懸命探して選んだ永眠の地に父と祖母を連れて行くなんて、あなた母の気持ちを考えて言ってるの?樹木葬にするなら、別の場所を探して!」

 ということで、妹は全く別の土地の樹木葬を買い求めたのだけれど、そこは、最後に亡くなった人の三十三回忌が終わった時点でその場所を掘り返し、お骨を合同墓地に埋葬するのだそうな。


 母の求めた『樹木葬』は、里山にお骨を埋葬しその上に樹木の苗木を植えるという、真の樹木葬である。戒名ではなく、生きていた時の名前の小さな木札が立っているだけ。
 昨年母の葬儀と四十九日で久しぶりにこの土地を訪れた私は、改めてなぜ母がここを永眠の地として選んだのかがよく分かった。
 


樹木葬の里山。母は奥の山に眠っている。


 「墓参りも大変だし、あんな辺鄙な所に墓を買わなくてもいいのに。」

と言う人もいただろうが、母は国内旅行並に辺鄙な山里だからこそこの土地を選んだのだ。
 祖母と父から長年モラハラを受け続けて傷付いた母の心を癒してくれたのが、この土地とここを永眠の地として選んだ人々だった。母は暫くこの土地に住んでいた。めっちゃ幸せやったと思う。私も母にはこの土地に住んでいて貰いたかった。けれど、母がそれをしなかったのは、父の汚屋敷を放っておけなかったからだ。

 父と離婚していなかった母は、『妻としての責任』を出来る範囲で果たそうとしたのである。(律儀な母らしい🥲)

 母は私達の定期的な墓参りなど期待はしていなかった。昔ながらの、『死んだら土に帰る』を実行しただけなのだ。

 オーストラリアでも、墓を買い求めるのにはお金がかかるので、近年は散骨が多くなってきている。火葬してもお骨のままで出て来る日本では、そのままでは散骨も出来ない。オーストラリアは完全な『灰』になるので、庭の花壇に散骨しても大丈夫なのだ。(カルシウムやし、綺麗な花が咲くと思う🌸)
 

 そういえば日本では『分骨は魂が彷徨うからしてはいけない』と言う方々もいらっしゃるようだが、私から見ると日本の火葬場ではお骨は全部回収されていないので、火葬場から戻ってきた時点でもうお骨は分骨されている。これで魂が彷徨うと言うのなら、日本中彷徨う魂だらけになっていることになる。(想像するとちょっと怖いやも😱汗汗汗
 お骨を拾う文化を続けるのではなく、全部灰になるまで焼いてしまえば小さくなるし、散骨もしやすくなる。お骨を入れる墓や納骨堂を購入しなくてもよくなるような気がするのだけれど、どうなのだろう?


 本堂で一周忌法要が始まって、ちょっとだけ涙が出た。🥲
 けれど昨年の葬儀+四十九日法要の時と違って、悲しい涙ではなく、どちらかと言えば安堵感から来た涙だったように思う。
 母が望んでいた通りに出来なかったのは火葬のみで、後は全て母が私に託した言葉通りに進めた。叔父と叔母のことも、母が一番心配していたことだったから、一周忌の前に施設の入居と荷物の撤去が終わって本当に良かったと思った。

 

 里山には可愛らしい花が咲いていた。

 そう言えば母は小さな花の写真をよく撮っていた。母が描いた花の絵も残っている。
 里山の桜の花の蕾が膨らんでいた。

 もうすぐ綺麗な花を咲かせるだろう。



 「お母さん、また来年来るからラブラブ


 母の埋葬場所に花を手向けて、アリスと私は笑顔で樹木葬を後にした。





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