こんにちは、豪州でシングルマザー歴21年の私のブログへようこそ。😅😅😅
今回は、私の『虚家族』と私のシッチャカメッチャカな墓の改葬物語の序章である。
『虚家族』についての詳しい話はコチラ。
私の国際結婚、DV、鬱、カウンセリング、国際離婚、裁判、シングルマザー...の人生経験の詳しい話は、 『オーストラリアのおかしな家族』シリーズで読めます。コチラからどうぞ。
オーストラリアの埋葬の主流は土葬。
むか~しのお墓の墓石の下には、棺桶に入れられたボディがそのまま埋まっている(骨と化している筈だけど)。
私の住むゴールドコーストから約100㎞のブリスベンの市内には、『トゥーウォング墓地』という、何千もの墓石が建っている古~い墓地がある。
ブリスベンの歴史は1824年(今から約200年前)から始まっている。その墓地の中には、この200年間のQLD州の歴代の総督やブリスベン市長のお墓もあるので、『ゴーストツアー』というツアーガイド付きの墓地巡りのツアーがある
(盛ってはいない。ちゃんとある。料金大人45ドル、子供30ドル。)
歴史のお勉強には良いかも知れない。
因みに、オーストラリアでは日本ほどゴーストストーリーは無い。
娘のアリスも、オーストラリアではまだゴーストは見ていない。(日本では何度も見ている)
娘アリスの日本滞在中のゴーストストーリーはコチラから
さて、話を我が家族の墓の改葬物語に戻そう。(本線に戻れなくなってしまう)
私の父方の祖父は、本家の次男坊。
残念ながら本家には子供が生まれず、昔のように養子や養女を取る事もしなかったので、とうとう本家は絶えてしまった。(チョット悲しい😥😥)
本家の次男坊だった祖父は私が12歳の時に亡くなってしまったのだが、もし祖父が生きていたら、本家を絶やさないように頑張ったかも知れないと私は思う。
祖母は「本家に関わるな」というくらいの、本家嫌いだった。
その祖母の息子の我が父。祖母の言う事しか聞かない『ママ大事息子』なので、祖母の言いつけ通り本家とは関わらないように生きてきたようだ。
だから、本家の自分の祖父母(私の曽祖父母)を
父:「あれは家族じゃない、先祖だ!」(先祖😅祖父母やで?)
と言い切ってしまう。
本家の家や土地そして墓地は今、別家さんが面倒を見てくださっているのだが、その本家の墓地に、我が家族のお墓を移そうという話が持ち上がったのが2016年であった。
ホオズキ(弟)は結婚しているが子供ナシ。
イラクサ(妹)は結婚もしていないし、子供も当然ナシ。
次郎叔父(父の弟)夫婦にも子供はいない。
つまり、墓の継承者はいない……。
いるとすれば私の娘だけ?う~ん、アリスには無理だろう。(人類学者の彼女は墓のリサーチはするが、墓の継承はしない。😅😅😅)
子供のいない叔父夫婦は墓の継承者がいないので、樹木葬か永代供養で最終的に合同葬にしてもらうかしかチョイスが無かった。父に、「家族一緒の墓に入れて貰えないか?」と聞いた事があるらしいのだが、「これは俺の墓だ。自分の墓は自分で用意しろ!」とにべも無く断られたらしい。(冷た……ドライアイスか?)
そんなとき叔父は、本家の墓地を管理している別家の伯母様にこうお声をかけて頂いたのだそう。
伯母様:「本家の墓地にお墓を建ててしまえばいいじゃない?あそこなら、お金もかからないし。」(観音様のような伯母様
)
そこは本家が持っていた山の斜面に作られた田舎によくある個人墓地で、昔から、町(村?)の人達用のお墓を建てられるように使っていたのだとか。(江戸時代は庄屋さん?だったようだ。)
そんな個人の墓地なら毎年の維持費も払う必要は無いし、継承者がいなくとも墓をたたむ必要も無い。
実は以前墓掃除に行った時、江戸の年号が彫ってある墓があったのでびっくりした。(文久とか慶応とか)
(150年前の墓や!ってことは、もしかして100年後くらいにアリスの子孫が日本の先祖を訪ねて来たら、ここにまだ墓が残ってるかも知れへんってこと?)
(因みに、娘アリスの父(DV元夫)はイギリス出身。アリスは、祖母方の先祖はかなり昔まで調査した。当時は皆、教会に行っていたので、事細かに残っていたらしい。)
我が家の墓の継承者がいなくなるのは目に見えているわけだから、本家の次男坊だった私の祖父の子供達とその家族を、そこに改葬するのが良いのじゃないか?という話を、実は2016年の9月に、母とホオズキ(弟)が父に提案していた。
父:「次郎の意見を聞いてきてくれ」
こう父がホオズキに言ったので、ホオズキは別家の伯母様から建墓の許可を貰った叔父にお伺いをたてた。
我が父からはぞんざいに扱われてきた叔父だが、この提案には賛成したのである。
次郎叔父:「死後は家族揃って眠れるのだからいいじゃないか」
ところが、ホオズキが父に叔父の返事を持って行くと父はこう言ったのだ。
父:「俺は本家の墓に行くとは言ってない」(自分で言うたこと忘れた?健忘症か?)
ホオズキは呆れて、そのままアメリカに帰っていったのであった。
2016年の11月に日本に行った時に母からこの話を聞き、私個人もこれは良い話だと思った。しかし、父の自己中の性格は一筋縄ではいかない。なので、時間をかけて話を進めていくことにしたのである。
『虚家族😑』の墓の改葬物語は、ここからこじれにこじれて迷走するのであった。
続く...
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先日、母への贈り物を探していたら、私のマッサージのお客様が履いていたサンダルを見つけた。
「履きやすくて暖ったかいの〜💕」と、スリッパとして使っていた。
私もUGGは持ってるが、これは知らなかった。
私が持ってるのはコレ!
昨年日本で雪を体験した時にも履いていた。
めっちゃ暖ったかい😍😍