生命の樹のおはなし①の続きです
旧約聖書の創世記では
生命の樹はエデンの園に「知恵の樹」とともに植えられていたとされています
神から「知恵の樹」の実だけは食べてはいけないといわれていたのに
蛇に誘惑されたイブがその実を食べ、アダムにも与えてしまいます
「知恵の樹」の実をたべて分別を身に着けたアダムとイヴが
裸の自分にきづき、無花果の葉で体を隠している有名な絵画がありますね
あのお話にはいろいろな解釈があることは承知のうえで
私が考える物語の意味をお話ししてみたいと思います
必要なものがすべてあり、生きとし生けるものが調和したエデンの園で
満たされて暮らしていた二人は知恵と引き換えに楽園を追われます
一緒に植えられていた生命の樹の実には「永遠の命」を与える力がありました
エデンを追われるまで二人はきっとその実を食べていたのでしょう
もともと二人に死はなかったのですから必要なかったかもしれません
エデンを追われ、命に限りができた二人は
「生命の樹」に象徴されるもの「永遠の命」を失います
知恵すなわち分析や判断(ジャッジメント)と引き換えに
永遠の命につながるものを失ったともいえます
永続する魂と寿命をもつ肉体のつながりは薄くなっていき
人は魂と肉体の完全な一致を見失います
物質としての「身体」をまとった「人生」は
魂の旅を「ぶつぎりの時間」にわけてしまい
その記憶は「今生だけのもの」になりました
人は地上に降りて人生を生き切る間
つまり人として生きている間
自分が神(大いなるもの、宇宙)の一部であり、そのものであることを忘れ
永遠の命を見失っているのです
知恵の実によって神と引き離された人間が
再び「永遠の命」を得る=神とつながって生きるためには
「生命の樹」の実が必要です
知恵の樹の実を食べることで
アダムとイヴは識別し分析し判断する力を得ました
そして生命の樹を失ったことで
全てとつながり、感じ、許し、受け取る力
調和する力の一部、力の容れ物として委ねる感覚を見失いました
「知っている」という知恵と
「感じてわかる」という深い共感
知恵の樹と生命の樹は対になって初めて
全体性、調和の叡知へとつながっていくのではないかと感じます
知恵の樹は顕在意識
生命の樹に隠されているのは潜在意識と言えます
生命の樹の力はなくなったのではなく
奥深くに隠され、見えなくなり、使えなくなっています
生命の樹をとりもどすことは
生命とは何かを知ることであり
全体の一部として自分に与えられた役割、使命を
思い出すことにつながっています
生命の樹のおはなし③に続きます!
「生命の樹カウンセリング」の
お申込み・お問い合わせはこちらから
LINE公式アカウントでも受け付けております
@639wtpxc