双極性障害でも幸せに生きる!

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『躁鬱大学』

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オーキドなつみ(オーキド博士)

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こんにちは!オーキド博士です*

 

連載『双極性障害と私』

0.はじめに

3.いい環境は波を穏やかにする(社会人)

4.動きすぎからの発症(育休中)

6.2度目の保護室は1ヶ月



保護室に入り、激躁状態が落ち着くも、本当に少しずつしか外に出してもらえず、いつ退院できるのかと絶望的に感じ…



そんな時、ある看護師さんとの出会いが、私の状況を変えてくれました


少しのテレビ時間の際、横で看護師さんがついていてくれるのですが、その日はふくよかな明るい感じのおばさまで、


『あぁー!暑い!!』と言いながら、扇子で仰いでいらっしゃいました


なぜそういう話になったのかは記憶がないのですが、『これ、いつになったら出られるんですかね…』と相談したところ、



『いやオーキドさん、どこからどうみても、今、普通よ。子供も小さいし、ずっとここにいるべきじゃない。他の先生もそう言っているし、ちょっと看護課長さんにも言っといてあげる』



と扇子で私のことを指しながら、熱弁してくれました


その結果、保護室の次の、鍵付き部屋をすっ飛ばして、普通の閉鎖病棟の部屋に移ることになりました。


見ていてくれる人は見ていてくれたんだなと、本当に嬉しかったです😢✨



閉鎖病棟の普通の部屋と言いつつも、最初は観察室という、ナースセンターから1番近くて、カーテンもない、2人部屋からのスタートでした。


ここでは、親子程の歳の差の離れたMさんと一緒になりました。


最初はカーテンの仕切りもないので、どう一緒に過ごしたらいいか戸惑いましたが、Mさんは歌を歌うことが好きだったので、それを聴いたり、私も歌ったりするようになりました。(もちろん音量は適切に)


Mさんは少しだけ認知症が入っている?のか、同じ話を繰り返しされますが、時間はたっぷりあるので、ずっと聴いていられました。むしろ時間があっという間に過ぎていきました。


どんどん仲良くなって、二人でケラケラ笑いながら、毎日過ごしていました。看護師さんたちからも、『よく笑ってるね〜✨』と言われました


たまに亡くなったご主人のことを思い出して泣いてしまわれる時もありましたが、それでも、また一緒に歌って、元気になると、素敵な笑顔を見せてくださいました。


閉鎖病棟でも明るく楽しく過ごせたのは、その方のおかげと言っても過言ではありません。


今でも電話したり、距離は離れていますが、年に1回程度は会ったりしています。



また、私の後から入院された男性のKさんとも仲良くなりました。


重度の鬱病とのことでしたが、とても面白い方で、『この人変人です!』と書かれたTシャツを着たりしていて、周りを笑わせていました。


コンビニにたむろする学生のように、廊下端の方の床に座り込んで、おしゃべりしていたのが懐かしいです。



もちろん、ずっと笑っていられたわけではありません。


家族に会えなくて寂しくて泣いた日もありましたし、


また少し躁に寄りかけたこともありました。


(色々とタイミングの合うことが起こって、引き寄せの法則マスターしちゃった!?とテンションが上がって、調子いいと思ってたら、先生に薬増やされた)



でも、本当に、人に恵まれた閉鎖病棟生活でした。


そこからは解放病棟に移り、3週間ほど過ごしたあと、無事に退院することができました。



合計、3ヶ月ほどの入院生活でした。


長い長い入院生活でした…



これでやっと幸せに過ごせる!!


そう思っていましたが、ここからの方が、ある意味地獄だったかもしれません…



次回は、退院後の辛い鬱期のお話です。


今日もお読みいただき、ありがとうございました🙏

 

  

◆神田橋語録はこちら↓(A4 3枚です)

 

https://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf

 

 

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