はるばる出かけた岐阜市でのコンサート。
名古屋に新幹線で8時59分に着いたので、9時7分発東海道本線特別快速に乗れたので
岐阜駅に着いたのは9時半ごろ。
あっという間でした。
名古屋駅で久しぶりに会うマコ友さんとも会えて、うれしくってちょっとジ~~ンときてしまった。
それからホテルに荷物を預けて、4人でタクシーで会館へ。
入り待ちをする為にかなり早くに会館に行ったのです。
結構古い建物でした。
マコ友さんも何人か集まって来て、楽屋口付近に数名の方が集合。
搬入口で舞台装置を運んでいるところに出くわしたので、何気なく搬入口から見たら、ステージと客席の椅子が目の前に!!近い!!
ビックリです。すぐそこにあるんですもの。
昌子ちゃんは、大型のワゴンタイプ(?)タクシーで来られました。
昌子ちゃん、久しぶりのマコ友の前を素通りしそうになったので、私が「〇〇さん来てますよ!」と声を掛けたら、パッと気づき嬉しそうに握手をして「お久しぶりです」と言って楽屋に向かわれました。よかったよかった!
それからマコ友8名でランチ。
たまたま入ったこじんまりした軽食を出す喫茶店、8名分の席がまるで予約でもしたように空いていたのです。
超ラッキーでした。
コンサートは2時から。
開場してすぐにのりちっぷすが買いたくておんがく工房の物販に行ったら、終演後と言われ断念。
終演後、私は一番端っこの席だったせいかスムーズに出られて、割と早めに物販に並べたのでのりちっぷすを買えましたが、ちょっと遅くなったマコ友さんは売り切れと言われてガッカリしてました。
これから行く方で、買おうとしてる方はお早めにどうぞ!!
コンサート内容としては、先日の水戸の時とほぼ同じ。
変わっていたのは、「はぐれどり」がカットだった。時間調整のためと思われます。
水戸の時は、変更後初めてだったので、2時間を微妙に超えたから。
途中のドレスが、オレンジ色のフリフリだった。(8月の結城の時と同じ)
「あなたの愛に包まれながら」の後、アンコールで緞帳がするするっと開くと、森の音楽隊の皆さんが一旦はけていたのに、ぞろぞろと現れて着席した点。
(水戸の時はずっと座ってた。やっぱり今回の方が自然かも?)
アンコールの拍手とともに、数名がスタンディング。
昌子ちゃんが「人生に乾杯」で登場して、歌い始めると昌子ちゃんご自身からも「立って~~!!」みたいな手の動きがあり、皆さんスタンディングでノリノリでした。
(ただ、お年寄りは立たなかったみたいですけどね)
アンコールの2曲は最高に乗れるので、昌子ちゃんと共にはっちゃけてしまった(笑)
正直、ずいぶんコンサートは行ったけど、今までのコンサートでこんなにノリノリになったのは初めてです。
アンコールを知らない方は、いそいそ立って帰りかけました。
私は前から4列目の一番端っこの席でしたが、3列目までがオーケストラボックスの関係でかなりあいていて前に方は無く、ほぼ一番前と言ってもよい席でした。
隣の方も帰ろうとしたので「アンコールがあります」と教えてあげました。
終わっても気分が高揚してる自分が居て、なかなか抑えきれない感じでした。
「あ~~昌子ちゃん最高!!よかった~~!!」って、心底思いましたから。
終わってからバスで岐阜駅に移動し、マコ友6名とサイゼリアでおしゃべり。
この時間がまた最高に楽しい。
どうしても家に居ると、話をする相手も無いし、まして私は自営業だから家から出ない日が多くて、マコ友との時間が最高に楽しいのです。
マコ友は、昌子ちゃんがくれた私の財産ですから。宝物です。
いくらでも話が出来るけど、出待ちの時間もあるのでまたバスで会館へ。
会館の搬入口に行ったら、なんと!!歌が聞こえる!!
昌子ちゃんが「哀しみ本線日本海」を歌ってるじゃあ~~りませんか(笑)
先にも書いたけど、結構古い会館で搬入口=ステージの構造みたいだから、大きなシャッターは閉まってたけど、しっかり歌が聞けたんです。
アンコールの拍手が地割れのように響き、「人生に乾杯」「惚れさせ上手」(とってもよく聞こえた)が終わったら、夜の部を見終わったマコ友さんが出待ちにかけてきましたよ。
アンコール2曲がよく聞こえたものだから、待ちながら歌っちゃった!
ニコニコ笑顔の昌子ちゃんをお見送りする事が出来ました。
ホントに長い一日でしたが、私にとっては夢のような日でした。
お付き合いくださった、たくさんのマコ友さん
田舎者の私を手助けしてくださり、本当に感謝しています。
ありがとうございました。
岐阜駅と、岐阜駅に立ってた金ぴかの織田信長像
昌子ちゃんゴールの日まであと32日
宇都宮のラストコンサートまで26日
昨日の記事で、私が行った一番近くでのコンサートは芳賀町民会館と書きましたが、
それは復帰後の事で、よくよく考えたら違いました。
昭和51年3月7日(日) ←クイックしてね。
私が住んでる町に来てくださったのです。
母校の小学校の体育館で「森昌子ショウ」がありました。高1の時です。
生まれて初めて、生で昌子ちゃんの歌を聞いてお姿を拝めた感動は、あれから44年近くたった今も忘れることは無いです。
多分一生忘れることは無いでしょう。