LEDサインメーカーの域を超えろ!快適創造プロデューサー高倉博のブログ -238ページ目

世の中に必要とされる会社を志すまで

LEDサインメーカーとしてのレガーロを創業してからの1年間、僕は精神的バブルの時期を過ごしていたようです。


将来性のある商材を見いだし、大手企業の顧客を次々に得て、早くも上場へ….俺ってすごいじゃないか、と本気で思っていました。


1年ですべてを手に入れ、1年ですべてをなくしたのです。


工場がなくなり、メインクライアントがなくなり、金がなくなり、人は離れていきました。
私利私欲に基づいた夢を見て近づいてきた人たちは、苦しくなると離れていくんですね。


2006年は底の底でした。


また、そんななかで、協力してくれる人や企業も出てきます。
たとえば、ABC MARTさんは、この頃からずっと応援してくださっているお客様です。


「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉の通りですね。


社員も、この時期に辞めずに残った人たちは、いまも僕を支えてくれています。


俺的バブルの1年間がよかったか悪かったかは別として、レガーロが目指すべき企業としてのありかたが、この経験によってはっきりとわかりました。


経営者である僕が、金持ちになりたいとか、目立ちたい、ヒーローになりたいというような私利私欲で動いたのでは、全くどうにもなりません。


世のため人のためと、本心から思い、世の中に必要とされる会社をつくりたい、と願ったとき、初めて道が開け、人の助けが得られるのです。


僕の心がそこに定まったとき、レガーロという会社が、ほんとうに始まったのでした。

飛び込み営業で顧客をつかんだレガーロ創成期

僕は、つねに「お客様に答えがある」と考えています。
いま、何が必要なのか、何が足りていて、何が足りていないのか、
知っているのはお客様自身です。

ところが、僕がLEDの商いを始めたときには、お客様にとってそれは未知のものでした。
そして、僕自身にも、お客様がLEDを必要としてくださるかどうか、未知でした。


しかし、未知であるからこそ、可能性も大きかったのです。
STARBUCKS、ジョナサン、Tally’sなどの大手企業に、飛び込みでアポントメントが取れました。


担当の方とお会いすると、LEDの看板は欲しいけれど、欲しい価格のものがない、欲しい品質のものがない、とおっしゃいます。

あったら買われますか、と伺うと、買います、というお返事。
条件をクリアできれば買っていただけるんだ、と確かな手応えを感じました。


出だしは好調。
しかし、その調子のよさゆえに、僕は色気を出しすぎてしまいます。


LEDサインメーカーとして、より目立つために、上場を目指したのです。

それを話すと、それに見合った人が集まってきます。
会社の形も、企業としてのありかたも「上場するため」という、私利私欲に基づく大義名分によって決まっていきます。


そのことの意味が、当時の僕には半分しか見えていませんでした。


上場が実現したらすばらしい、という明るいほうだけを見て、それがすべてだと信じて邁進していたのです。

TシャツのレガーロからLEDのレガーロへ、転身

みなさま、あけましておめでとうございます。


昨年12月に始めましたこのブログ、自己紹介も佳境に入ってきました。
今年も鋭意執筆して参りますので、よろしくお願いいたします。



さて、21世紀に入り、Tシャツ加工業として業績を上げ、評価もいただいていたレガーロでしたが、僕自身の109ブランドへの興味は薄れ、ターゲットとのジェネレーション・ギャップを感じるようになっていました。


わくわくしないといきいきと仕事できない僕にとっては、停滞したかのような毎日でした。
そこに、天の声ならぬ、知人からの誘いが舞い込んできたのです。

それは、「LEDの代理店になって売ってみないか」というものでした。


僕の最初の感想は「洋服屋なのに照明器具が売れるわけがないじゃん」。
実際、LEDと自分との間に接点があるとは思えませんでした。


しかし、しばらくして、僕が所属している東京中小企業家同友会でLEDメーカーの社長を招いての講演会が開かれることになり、僕も企画に携わりました。


そこで改めて、LEDについての詳しい話を聞いてみると、まず僕の感性が「面白い」と反応しました。
そして、LEDに将来への可能性を感じたのです。


2000年からAEONの「セルフサービス」というエコロジー・ブランドの洋服部門をお手伝いしていて、僕自身エコロジーの観点からものを見るようになっていたという下地もありました。

LEDのエコロジカルな面にも魅せられたわけです。


周りの人から「7年以上前にLEDを扱い始めたとは、先見の明がありますね」
といわれることがあるのですが、僕は「そうではないんです」といつも答えます。


目の前にやってきた縁、それも二重三重になって僕に訪れた縁を大事にし、肌で感じたことを信じて、それを受け取っただけなのです。


こうして、レガーロは、ついにLEDのレガーロとして、再びスタートを切ることになりました。
2003年のことでした。