5/1(水)

 

 

@新宿

ピカデリー にて

 

 

 

 

インフィニティ・プール

 

 

2023年|カナダ・クロアチア・ハンガリー|118分|R18+

 

監督・脚本:ブランドン・クローネンバーグ

出演:アレクサンダー・スカルスガルド、ミア・ゴス、クレオパトラ・コールマン、ジャリル・レスペール、トーマス・クレッチマン 他

 

 

 

ポゼッサー』の

ブランドン・クローネンバーグ監督・脚本作

ということで、飛びついてしまった作品

 

 

スランプの小説家ジェームズ

(アレクサンダー・スカルスガルド)が

資産家の娘である妻エム

(クレオパトラ・コールマン)とともに

高級リゾート地となっている

孤島にやってくる

 

そこで

ジェームズの小説のファンだと

声をかけてきたガビ(ミア・ゴス)と

その夫と知り合い、ディナーをともにし

 

翌日は、車を借りて

禁止されているホテルの敷地外へと

ドライブに出かけるが

 

その帰り道

運転していたジェームズの不注意で

現地住民らしき男をはねてしまう

 

もともと

立ち入りを禁止されている場所での

事故でもあり、警察も救急車も呼ばずに

その場を立ち去るが

 

翌日、現地警察が部屋へとやってきて

ジェームズとエム夫婦は拘束される

 

その後、この島には

犯罪は、どんな犯罪でも死刑となり

ただし、観光客は、罪を犯しても

大金を支払えば、自分のクローンをつくり

そのクローンを身代わりに処刑させることで

罪の精算が済む、という

ルールがあるということを知りー

 

というお話

 

 

 

-------------

以下、盛大にネタバレを含みますので

苦手な方はご注意ください

また、個人的な解釈であることも

ご了承ください

-------------

 

 

 

観終わって、整理すると

 

まず

この高級リゾート地となっている孤島は

バカンスにやってくる観光客(富裕層)たちが

罪を犯し、その贖いのために

罪の身代わりをするクローンを生成し

その際に対価として支払われる大金によって

成り立っている、という構造で

 

むしろ、観光客たちが

罪を犯せば犯すほど

財政が潤うというシステム

 

そのシステムを助長するように

犯罪は、どんな犯罪でも死刑一択

という決まりであり

 

観光地として消費されている現地民が

その観光客からできるだけ搾り取ろうと

算段しているという構図

 

そうそう、ジェームズ夫婦と

ガビ夫婦がディナーをするのは

チャイニーズレストランだったり

インドのダンスショーが催されていたり

ここまできて、それ? という情景もあり

 

ちなみに

クローンの処刑が済んだあと

その遺骨が入った壺を

はい、これはお土産ね、と

手渡されたりもするのである

 

と、この島はかなり極端だけれども

でも、この、観光地化に付随する問題と

大金さえ払えば、なんでも捻じ曲げられる

罪さえも帳消しにできるという形

現実でもままあり得ることでもあり

 

 

次いで

人間(登場人物の層)は

3種類に分類できるのかな、と

 

クローンの処刑を目にし

 

クローンだとしても

見るには耐えられない

一刻も早くこんな島は出よう、と

実際、島から離れる

ジェームズの妻エム

 

その対極である

自分たちのクローンの処刑を

一種のショーのような感覚で

拍手喝采で楽しんでいる

ガビをはじめとした富裕層

 

そして、自身のクローンの処刑を

目を逸らさず、見つめ

ニヤリとするジェームズは

劇中、両者の間、中間層を漂うこととなり

 

 

そうして、この島のルールに

魅了されたジェームズは

パスポートが見当たらないと

嘘をつき、島へと残り

 

富裕層たちの

このバカンスでの遊びに

仲間入りをした

 

かと思いきや

 

そう、おそらく

罪を犯し、逮捕され、処刑される…!

という、命の危機に瀕した

緊迫状況ののちに、大金を支払えば

クローンに罪を肩代わりしてもらえる

というのを知った、最初のその一回は

ものすごく感情が乱高下し、興奮し

ある種の快感を得たと思うのだけれども

 

でもその興奮や快感は、最初の一回だけで

その後は、なにをしても(殺人を犯しても)

大金さえ支払えば許される、となれば

早々に飽きてしまうと思うのだ

 

となれば、彼ら(富裕層)は

さらなる刺激や快楽を求め

そのための餌食を探す

 

というわけで

選ばれたジェームズは

彼らの格好のおもちゃとなり

弄ばれ、虐め抜かれる

 

そうして、ひととき、自身を解き放ち

狂った遊びに興じた彼ら(富裕層)は

バカンスの期間が終われば

すっと、善良な市民の仮面を被って

「また来年ね」と言いながら

日常へと戻っていく

 

そうだ、仮面といえば、劇中

現地民たちの風俗の一端であるらしき

ぐちゃりと歪んでいたり

硬貨が口から溢れていたり(なにやら象徴的)と

グロテスクでうす気味悪い仮面が登場し

(個人的にはとても好みで

ちょっと欲しかったりもして)

 

これを彼ら(富裕層たち)が被るのだが

 

通常、仮面って

素顔を隠すものだと思うのだけれども

彼らの場合、仮面を被ることによって

むしろ、その醜い本性がまざまざと

曝け出されているように見える皮肉

 

そして、醜いといえば

ガビを演じていたミア・ゴス

 

馬鹿にされ、いいように弄ばれている

ということに気づき

島から脱出しようと

バスに乗ったジェームズを

車で追いかけてきて

連れ戻す段のシーンの表情が

まぁ、ものすごくって、目をみはる

 

仮面を被っていないのに

まさにあの醜い仮面を

被っているかのような醜い表情で

 

PEARL パール』のラストシーンの

形容しがたい一連の表情を思い出しつつ

 

言葉では語りつくせない、形容しきれない

内面のドロドロとした感情や醜さ

そういったものを表情に表出させるのが

とても神がかっている役者だなぁ、と

今後がますます楽しみになってしまう

 

話を戻して、そうした

究極のエゴイスト(サイコパスと

言い換えてもいいかもしれない)

気質の彼らに対して

 

そこまでの境地には

達することができないジェームズは

 

クライマックスでは

全裸で四つん這いになり首輪をつけられ

犬扱いされている自身のクローンを

顔がぐちゃぐちゃになるまで

殴り殺すこととなり、と

 

そんな狂気のバカンスによって

自身で自身の一部を殺してしまい

自分自身(アイデンティティ)を見失い

日常へも帰ることができなくなる

という幕切れで

 

 

彼と彼らの間にある

その境界はなんなのか

 

ただ単に、富裕層だから

ということではなく

(同じく富裕層であるエムは

早々に島を脱出している)

 

言うなれば

もともとの性質というか

気質によるもののような

そんな気がするけれども

 

と、そうだ、観ている間に

彷彿としたのが、戦場で

 

戦争となり

人を殺してはならない

という柵が外され、むしろ

敵であればたくさん殺すことが

よしとされる状況となったとき

 

それでも殺すことを

忌避する人もいれば

ここぞとばかりにそれを

率先する人もいると思うのだ

そして、その両極の間で漂う人もいる

 

そして、そのどちらが

是で、非で、ということもなく

それら全部を含めて「人間」であり

 

自身がどちらなのかは

実際にその状況になってみなければ

わからないのではないか、という

ところもあり

 

 

それから、見方を変えれば

この狂った彼ら(富裕層たち)は

ただ単に、自分の快楽に忠実

ある意味、純粋? という見方もでき

 

対する、ジェームズは

処女作は不評、次作は書けず

出版は、妻であるエムの父が

出版社を経営しているからだ

なぞと言われていて

 

かつ、そんな状況でも

優雅な生活ができているのは

妻であるエムの、ひいてはその父の

資産のおかげでもあり

 

自身によるところの価値が

あまりないという感覚

劣等感や鬱屈を抱えていて

 

だからこそ

大金さえ支払えれば、なんでも許される

ある意味、ヒエラルキーのトップに立てる

この富裕層の狂った遊びに飛びつき

 

ヒエラルキーの下層であると認識されるものを

踏みつけ、虐げることで、自身は

そう(下層)ではない、と思いたかった

 

けれど、その

ヒエラルキー的意識があるがゆえに

階層としては、最下層のさらにその下? な

犬扱いされている自身のクローンの姿を

目にしたときに

 

そうじゃない、俺はそうじゃない…!!

という爆発で、ああいう事態になった

のではないか、と

 

なんだか、自身の意識によって

自身が殺されてしまった、というような

そんな顛末でもあるのかなぁ、と

 

そして、そうしたジェームズの

内面的なありようを

サイコパスである彼らは早々に見抜いていて

そこのところを最大限に弄んだ仕打ち

だったのかな、と

 

 

と、そんな風に、「人間」と

そのありよう等について

つらつらと思いを巡らしてしまい

 

監督自身も

「人間」そのものに興味があるというか

「人間」そのものについて、思考している

そんなような気がして

 

ゆえに、惹かれるのかな、と思いつつ

 

 

そうそう、予告編やそれから

劇中の描写でも、一瞬

あれこれ、クローンは

それまでの記憶もそのままに保持している

まさにコピーという状態だったので

そうなったらば、クローンには

自分がクローンという自覚もないわけで

究極、処刑されたのが

本体(コピーもと)なのかクローンなのか

どちらなのかわからない

 

まさに予告編で流れる「お前は誰だ?」

というそういう向きもあるのかな?

と思いながら観ていたりしたのですが

そういった側面は、特にそこまで

広がることはなかったかな、と