7/10(月)

 

 

@新宿

武蔵野館 にて

 

 

 

裸のランチ

 

 

1991年|イギリス・カナダ|115分|PG12

 

監督・脚本:デビッド・クローネンバーグ

原作:ウィリアム・S・バロウズ

美術:キャロル・スピア

出演:ピーター・ウェラー、ジュディ・デイビス、イアン・ホルム、ジュリアン・サンズ、ロイ・シャイダー、モニーク・メルキューレ、ニコラス・キャンベル、マイケル・ゼルニカー、ロバート・A・シルヴァーマン、ジョセフ・スコーシアニー、ピーター・ボレツキー 他

 

 

 

ちょうど1年前のまさにこの時期

(2日違いだった キョロキョロ )に観ていて

印象的だった作品『ポゼッサー』の監督

ブランドン・クローネンバーグ

 

その父親であり

同じく映画監督ということで気になっていた

デビッド・クローネンバーグ

 

12ヶ月のシネマリレーのラインナップで

その監督作がかかっていたので

 

事前チェックした

映画サイトのコメント等では

かなりキワモノらしい…? 感じだったので

おっかなびっくりしつつも

行ってきました

 

 

 

舞台は1950年代のニューヨーク

 

害虫駆除員をしているウィリアム

(ピーター・ウェラー)は作家志望

 

そのウィリアムが仕事で使っている

害虫駆除薬を、妻であるジョーン

(ジュディ・デイビス)がくすねて

ドラッグとして使用していて

 

ウィリアムもそれをきっかけに

そしてその駆除薬を入口に

ドラッグに溺れていき…

 

以降は

その中毒状態の脳内、妄想

その視界を体験するような

映像世界が展開

 

 

 

 

タイプライターは

日々駆除しているゴキブリの形状に

 

この画像では隠れてしまっているけれど

羽と羽の間の胴体の上部に

肛門のような開口部があって

それがしゃべるのである

 

最近ちょうど

女性器が言葉を発するようになる小説 

を読んだばかりだったので

なんとも言えない繋がり感

 

 

そして、確か

後半だったと思うのだけれども

 

車中で

肛門が喋り出す話を

小説を読みあげるように

滔々と語りだすウィリアム

 

この話がまた

星新一を彷彿とするような塩梅で

なんとも惹きこまれてしまったりして

 

 

 

話を戻して

 

ウィリアム・テルごっこで

妻を射殺してしまったあとに

訪れたバーでは

謎のクリーチャーに遭遇

 

 

このふたり

なんだか話が進んでいくにつれて

とてもよく相貌が似ていった気がしていて

 

つまりは、人間(右側)が

似ていったということだと思うのですが

 

妄想の産物(左側)を

=欲望の実体化とすると

 

より欲望がむき出しになっていった

(ある種、解放されていった?)

ということの現れだったんだろうか

 

 

実はこの日もまた

睡魔の魔手との攻防戦と

並行してしまっていたので;

 

画面も妄想爆発ならば

私の脳内も睡魔が引き出す

自身の妄想が時折広がっちゃったりして;

なんとも言えないミクスチャー鑑賞に

(そして断片的に;)

なってしまったりしていたのですが;

 

 

観ていて思ったのは

とても男性的なビジュアル表現だな

ということ

 

途中、男性器がニョッキり、な

形状からはじまる謎の物体

(これもまたクリーチャー?)

も登場するのだけれど

 

彷彿としたのは、どちらも

男性器の形がそのままに登場してくる

そして、どちらも男性監督な

時計じかけのオレンジ』だったり

JUNK HEAD』だったり

 

なんだかちょっとこう

男性に共通するありようや

感覚? 回路? を目にしたようで

クスッとしてしまった 笑

 

 

そう言えば

男性視点からの女性の存在とは?

というのもあったような…

 

妻がいないと書けない、と言いながら

取り戻した妻を

ウィリアム・テルごっこで射殺すると

書けるようになるウィリアム

 

女はそういった意味で

ある種、歪で、皮肉な、原動力

そして、関係性、なのか

 

特に印象的だったのは

まさに、文字通り

女を「かくれみの」にしていた

あの形状

 

あれはどういったことの暗喩だったのか

 

その「かくれみの」から連想したのは

昔、女性名では出版できなかったから

男性名を使っていた作家

(名前が出てこない;確か

映画にもなっていた人物だったはず…)

 

それは「女性」という性には

書くことが許されていなかった

認められていなかった時代だから

だったと思うのだけれども

 

とすると、やっぱり

「男らしさ」とか「男ならば」的な

世間一般的な「男性」という型に

押しこめられることからの逃避、離脱

=女性をかくれみのに

ということだったんだろうか

 

そう言えば

同性愛的な展開もあったなぁ…

 

うぅむ

 

 

とにもかくにも

 

映画サイト等のコメントから

想像していたほどには

私的には、気持ち悪くはなく

 

グロテスクさも許容範囲内

(というか、前述の通り、男性的な

ある種、らしい、あれこれだったので

むしろクスッとしてしまったりしつつ)

 

個人的な見どころとしては

やっぱりこの美術でしょうか

 

 

終盤、タイプライターは

ゴキブリからクリーチャー形態に

 

これ、ちょっとカワイイ ニコニコ

 

これもまた欲望の開花(爆発?)

ということなのかしらん

 

 

その他にも、印象的

(そしてなんとも好み)だった

 

 

同性愛者らしきキキ

(ジョセフ・スコーシアニー)

 

セクシーさとキュートさが

とってもツボ ラブ

だったのでありますが

 

このあとの彼の身に起こる展開

そのビジュアルもまた

悪趣味でグロテスクな美しさ

とでも言ったらいいのか

 

 

前述の、今作の監督である

デビッド・クローネンバーグの息子である

ブランドン・クローネンバーグ監督の

ポゼッサー』もそうだったのだけれど

(血が受け継がれている感ひしひし)

 

個人的に、このCGではない

リアルでの、造形での、表現が

またなんとも言えない味わいで

ツボだったりして

 

 

ちなみに、原作は

ウィリアム・S・バロウズの

同名小説なのだそうだけれども

 

かなり改変されていて

もはやオリジナル作品状態らしく?

 

ただ、Wikipedia 情報によると

ウィリアム・S・バロウズ 氏

・妻のジョーンを射殺している

(まさに、ウィリアム・テルごっこをしたらしい?)

・かなりなジャンキー(ドラッグ中毒者)だった

・同性愛者(あるいは両性愛者)であった

 

と、主人公のウィリアムとの

共通項があるので

 

これは「裸のランチ」を生み出すその

ウィリアム・S・バロウズ 氏の過程

その脳内や視界を描いた作品

だったのかな〜、とも

 

原作小説を読んではいないので

勝手な予測ではあるのですが;

 

 

なにはともあれ

この奇妙奇天烈な世界

劇場で味わえてよかったです

 

睡魔の魔手もあり

解釈が追いついていないけれども;

 

こういった個性的な作品

なんとも言えず、好みなので
 

監督の他の作品も、改めて

観てみたいな〜、と思いました