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幸せな顔をした人のいない競馬場

~でもあなたはしあわせでありますように~

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現在の浮舟の弟のピグ部屋はかなりヘンです。

そんな部屋にも差し入れをくださるOさま☆

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今日もおいしくいただきました。

(本を読みながらいただいてるわけではないんですが、ピグに本をもたせてる関係で…。失礼な画像に見えます点、ご容赦ください。)

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数日前にも。

ありがとうございました♪

ねこのワイン、さくらちゃんブランドで発売しましょう(笑)。

出願人Oさま、代理人浮舟の弟で、♡ がみっつの商標を出願して(爆)。

東京の桜は今日満開になったそうで、仕事帰りに上野公園の夜桜をみてきた。

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僕にとって夜桜というと千鳥ヶ淵なんだけど、思い出の色が濃い桜って、なにかなければ見たいとは思わないし、上野は広いから心地よくて、ここの夜桜はけっこう見物してる。

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僕は、日が落ちた後、自然的風物のまわりの雑踏の中で、ひとりになれたとき、生きてる、って思える。

生きててよかった、とは思わないけど、生きてる、と実感する。

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自然的風物は桜でなくてもいい。

牡丹でも菊でも、ただ川が流れてるだけでもいい。

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上野公園では、男子トイレにだけ列ができていたww

辻邦生に『安土往還記』という小説がある。

高校生のときに読み、そこに、人生は虚無の中に立つ力業だ、という言葉を見つけた。

それから今まで、僕はいったい何十万回、この言葉を、心の中で、ときには口にだして、繰り返したろう。

僕が読書から得た、もっとも印象的な言葉だ。

もっとも印象的な言葉のひとつ、なんて、保留した言い方はしない。

もっとも印象に残っている言葉だ。

もう僕は、人生の中で、これを超える言葉に出会わないと思っている。

僕にとって人生は、真実、虚無の中に立つ力業なんだ。

自殺する予定はないし、この点を除けば、僕は多くのひとより呑気に生きてるはずなんだけど。

人にも、環境にもめぐまれてる方だと思うし。

明日は、温泉にでもつかってくるかなww
ゼロヨン、といえば自動車レースで加速度性能を競う400mのタイムトライアルだが、僕の先輩N氏は車の改造が趣味で、ゼロヨンの優秀なタイムにより、ヤンキーたちに一目置かれるという、おもしろい人だ。

おとなしい、いい人なんだけどね、車の運転も紳士的だし。

でN氏の話を書き出すのかと思った人がほとんどだと想像しますが、実はゼロヨンを出したかっただけなんです、ごめんなさい、N先輩 m(_ _)m

僕はさいきん本腰を入れて身のまわりの整理を開始することにしまして、昔のノートやら書類を次々とシュレッダー送りにしてるんですが、今日、弁理士試験の受験時代にお世話になったゼミのオリジナル問題がでてきて、それが面白かったのだ。

商標法の問題なんですが、超簡略化するとこんな感じ。

サーキットを経営するT社は「ゼロ-ヨン」と表記して図案化した登録商標をもっている。T社はゼロヨンレースを開催することにし、登録商標を用いて「ゼロ-ヨンサマーフェスティバル」と記載したパンフレットを作成したため、勘違いしたペ・ヨンジュン氏のファンの中高年女性がサーキットに大挙して押し寄せる騒動となった。この後、T社の商標登録について審判の請求がなされた。
(a)請求された審判は商標登録無効審判であり、無効理由として4条1項8号、10号、15号があがっていた。請求は成り立つか?
(b)無効審判以外の審判請求について請求は成り立つか?

問題をつくったY先生、うまいよなー、とあらためて思った。

『鼓動を盗む女』は藤田宜永の怪異短編集。

はじめて読んだけど、うまいね、この人。

全作品について構造の比較をし、僕のノートに書きとめた。

これはオススメの一冊です。
『どこにもない短篇集』は原田宗典の短篇集です。

全部は読みませんでした。

一応記録だけ。
今日は風がつよかった。

側方または後方からの風を、マスク(花粉症の浮舟の弟は外出時マスクをしているのだ。)がはらんで、いやな感じになることは少なくないが、今日はいやとかいやじゃないとかではなく、即座にマスクをおさえた。

髪も風の方向に流れてたし、交差点ではまっすぐ立っていられない瞬間さえあった。

花粉もこの春一番だし、こんな日は部屋でおとなしくしとくのがよかったなぁ。

今日のエステは肩がこった。

疲れる一日だった。

明日から新年度だね。

気持ちを切り替え、さわやかに、新たなスタートをするつもりでございます。
老いてゆく自分の日常をつづっている群ようこさんの『ぬるい生活』。

特に刺激のないこの手の本を最後まで読むなんてめったにないこと。

読後に充実感も満足感もないんだけど、読み通したということは、いやでなかったんだと思う。

群さんは、多分に僕とは考え方も感じ方もちがう人だとおもうけど、いい人なんじゃないかな。

そう思った。

この本はねぇ、年をとることを本当にこわく思わせる本だよ。

特に、毛穴。

群さんの毛穴についての記述は、僕はいやだ、そうなりたくない、と心底思わせるものだった。

この本を読んだこととかなり関係してるけど、明日、僕はエステにいくことにしたよ。

うまく予約とれたし。

あー、やだ。

きれいに年をとるってのは、少なくとも肉体的には不可能だな、と思った。

あー、やだ。
『僕に踏まれた街と僕が踏まれた街』は中島らもの歩んだ道をつづったエッセイ。

らもさんの作品は明るいものしか読んだことがなかった。

この作品は、どんなに面白いことが書いてあっても、行間に苦しさがつきまとう。

らもさんの心の闇は、おそらく多くの人が言葉にできないまま抱えている心の闇と共通している。

もちろん僕とも。

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

そのうちに「酔う」ということがわかってくると、それが自分の精神の欠落した部分にあつらえたようにぴったりとはまり込んで、空無のところを埋めてくれることに気づいたのだ。十代の僕は一種凶暴なほどに自分自身を憎んでいた。そしてそれ以上に、自分がその一隅を占めているところの「世界」そのものを憎み、呪っていた。世界は醜悪で愚かで腐臭を放っていて、それは僕の存在とうりふたつだった。自分も世界もその腐った体で抱き合ったままで「ぶっつぶれてしまえ」というのが、僕にできる唯一の意思表示であり願望であった。酒の酔いは、そういう破滅的な気分に実によくフィットした。

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

この部分を読んだとき、僕は空を仰いで涙がこぼれるのをおさえたよ。

この気持ち、本当によくわかった。
「ブスのくせに!」

と他人に向かっていったことはないし、そんなふうに考えたこともない。

つまり僕は、

「ブスのくせに!」

と発想しない人間であって、これはブログの女性読者の反感を買わないよう周到にことわっているのではなく、本当にそう思わないのだ。

『ブスのくせに!』は姫野カオルコさんの著作です。

実は僕は姫野さんの本を読むのはこれがはじめてで、正直いうと、姫野カオルコさんの名前をこれまで強く意識したことがなかった。

なのでこの本を読みはじめたとき、語り口が男っぽいこともあり、この人、オトコ? と思ってしまったくらいだ。

でも女についてすごい観察力でいろいろ書かれているので、これは男ではない、と確信した次第である(普通はそもそも男だと疑わないよね、すみません…)。

男はいくら女をよく見るったって、こんなふうに観察はしないからねぇ。

女の敵は女だね、あらためてそう思った。

姫野さんは、

「職場でミスしても○○子ちゃんは許される。美人は得よね」

についてそれが正確でないと主張する。

正しくは、

「ミスしても○○子ちゃんは許される。“多くの人が美人だと錯覚する情緒的主観的な要素を内側から出している人”は得よね」

なのだそうだ。

なるほど、と納得しました。
MADAME SHINCO のブリュレをもらった。

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セールで購入したら3ヶ月待ちだったそう。

ブリュレ、好きなんだよね。

常温でも温めても冷凍してもおいしく食べられるそうで、試したら僕は冷凍した状態が一番おいしく感じた。

しかしお菓子の箱が豹柄ってはじめてだったよ。

本体も容器も、なんとなくつくり手の主張を感じるブリュレだった。