聖書から神の固有の名を消したのは正しいことか。a | barsoのブログ

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 だいぶ前、知人に聖書の神の名を知っているかと訊ねたら、「神の名はイエスースだ」と得意げに言われたことがある。
 確かに「イエス」を古代ギリシア語読みすればそうなる。ラテン語なら「イエズス/Iesus」、英語なら「ジーザス/Jesus」、中国語なら「ヤソ/耶蘇」だ。

 遠藤周作の『沈黙』では、司教ロドリゴが踏絵を踏んで敗北感に打ちひしがれたとき、イエスが「わたしは沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ。(信仰の)弱い者が強い者よりも苦しまなかったと誰が言えるのか?」と信心深い信者ならうっとりするような名セリフを語り掛けるが、そのように現在でもほとんどのクリスチャンはイエスが神様になっていると思っている。
 すなわち「神様が肉体を着けて人間イエスになったが、刑柱上で死んだのちに天に復活して神様に戻った」と信じている。[註1]

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 しかし聖書では、神とはエホバもしくはヤハゥエという名を持つ「唯一まことの神」であり、その名は旧約聖書の本文中に6,828回も出ているのだが、大抵の翻訳聖書ではその名が消されているため、古いクリスチャンでさえ神の名を知らない人が多くいる。

 それで今回は、「聖書の神」の名はどうして忘れられたのか、そこになんらかの陰謀はあるのかを考えます(若干専門的な話になりますが、雑学として知るのも面白いでしょう)。

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 神の名は、ヘブライ文字の子音4文字「テトラグラマトン」で表記される。
 聖書の神の名はヘブライ文字の子音四文字(ヨード・ヘー・ワーウ・ヘー)で表される。英字だと"YHWH"(もしくは"JHVH")になるが、これを聖四文字「テトラグラマトン」と言う。

   waei2.jpg ヘブライ語は右から左へと読む

 旧約聖書のヘブライ語本文には、この神の名が6,828回も出ていて、古代イスラエル人が日常でしばしば神の名を呼んでいたことが分かるのだが、だいぶ後の時代になったら『十戒』の第三戒「神の名をみだりに呼んだらいけない」を「一切呼んだらいけない」とシビアに解釈するようになり、聖四文字 "YHWH" をまったく発音することなしに、「アドナイ/わが主」と言い替えるようになった。
 そうして、その誤った慣習が続いているうちに、神の名の本来の発音が分からなくなってしまった。


 エホバという呼び方は、母音記号を付けた "YHWH" の誤読から生じた。
 ヘブライ文字には母音がないので、中世初期になって母音記号が考案された。

 聖四文字 "YHWH"は「アドナイ/わが主」と読み替えられていたので、「アドナイ」につけるべき母音記号が付された。
 ところが、そうした由来を知らないカトリックの修道士が "YHWH" を「アドナイ」の発音記号で読んで「イェホヴァ(Jehovah)」と著書に書いたため、それ以来「エホバ」という読みが世界中に知られることになった。

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   フォルニオ(パルマ)のサン・ロレンツォ教会 (出典)

 神の名「YHWH」は、ほとんどの翻訳聖書から消されている。[註3]
 多くの翻訳聖書は聖四文字の "YHWH" を「主(Lord)」という曖昧な言葉に置き替えている。邦訳聖書で「エホバ」と訳しているのは、文語訳(日本聖書協会発行)と新世界訳(ものみの塔協会発行)だけだ。[註2]

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 聖四文字を「エホバ」と訳す場合と、「主」と訳す場合とどう違うか。
 イザヤ42;8(エホバ神が語っている)
 「わたしは、これがわたしの名。わたしは栄光をほかの神に渡さずわたしの栄誉を偶像に与えることはしない」。(新共同訳)
 「私はエホバ。それが私の名。私は自分の栄光をほかの誰にも与えず,自分の栄誉をどんな彫像にも与えない」。(新世界訳)
 新共同訳は「わたしは主、これが名」と訳しているが、一般名詞の「主」が神の「名」であるはずがない。

 詩編110:1(ダビデが預言的に書いた詩)
 「わが主に賜ったの御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう」(新共同訳)
 「エホバ私の主に告げた。『私の右に座っていなさい。私があなたの敵たちをあなたの足台として置くまで』」(新世界訳)
 「わが/私の」とはメシア(イエス)のことで、その「主」に語った「」はエホバ神なのだが、新共同訳のほうは「主」が二人出てきてエホバ神とイエスの区別が付かない(というか、教会は「三位一体説」[註4]を採用しているので、エホバもイエスも「主(神)」としたほうが都合がいいのだろうと思える)。

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  聖公会教会のステンドグラスに表現されたテトラグラマトン(Wikipedia)


 ただ、近年、ヘブライ語学者がヤハウェ」と読むのが正しいとし、その短縮形の「ヤハ」が『詩編』と『黙示録』の中に「ハレルヤ(ハレルヤハ)/あなた方はヤハを賛美せよ」という表現に表れていると主張。これが今では、ほぼ学術的なコンセンサスを得ている。

 ちなみに、昔「貼れるや~♪」と合唱する湿布薬のCMがあったが、神への冒涜だと教会や信者から文句が出なかったのは、「ヤハ」が聖書の神の短縮名だという認識がなかったからだろう。
 いま、聖書の神は「エホバである」と伝道しているキリスト教徒は異端とされている「エホバの証人」[註3]だけだが、彼らのことを「エホバ」と略して呼ぶ人は(図らずして)聖書の神の名をも蔑視していることに気付いてない。
 そのように聖書の神の名 "YHWH" は重要視されておらず、『十戒』の戒めに反して、まあ、「みだりに呼ばれて」いるのである。

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 フランスのヴェルサイユ宮殿第5礼拝堂にあるテトラグラマトン(Wikipedia)
 
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 陰謀というのは表面には出てこない。多数者の意見が常に正しいわけでもない。
 聖書本文に6,828回も出てきてかなり重要であるはずの聖書の神の名が、この21世紀でも聖書から抹殺されたままにされているのはじつに奇妙な話ではないだろうか(エホバは誤読ならヤハゥエと訳すべきだ)。
 仮に『記紀』に出てくる天皇は神話だとして、神武天皇などの名をすべて消去したら、現天皇家のイメージは高まるだろうか。ゴッホなど著名な画家のサインをすべて削り取ったら、名前なしの芸術にどれだけ価値があるだろうか。渋谷の「忠犬ハチ公」も、単なる渋谷の「忠犬」なら、野良犬のように思われないだろうか。

 そういうことを考えると、聖書から "YHWH" の神名を消したのは悪魔サタンだとは言わないにしても、なんらかの宗教的な既得権益者の遠謀が働いているのではないかと思えるのですが、どうでしょう。






《備考》―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 上記の記述では単に「神」と書かずに「聖書の神」と書いたのは、私バーソが信じる神(スピリチュアルでは創造者、根源、一者などと言う)とは違うからです。
 三位一体説については聖書的に肯定できそうな聖句と、否定できる聖句が数多くあり、その解釈の推論が面白いのですが、それはまたいつか論じたいと思います。


註1:イエスは史上最高の人間であることは間違いないが、しかしいくら教えや人格が立派でも人間を神様扱いしたら、聖書では『十戒』の第一戒「汝、我の他に何者をも神としてはならない」に違犯する大罪になる。なお、イエスは自分で復活したのではなく、「神が復活させた」と書かれている。(エフェソス1:20、使徒2:24、3:15、詩編16:20)
註2:「エホバ」と訳している英訳聖書にはアメリカ標準訳や改定標準訳、モファット訳、回復訳などがある。カトリック系のエルサレム聖書は「ヤーウェ/Yahve」と訳している。
註3:「エホバの証人」という呼称は聖書のイザヤ43:10「エホバはこう宣言する。『あなたたちは私の証人である』」から採られている(新世界訳)。
 エホバは誤読だという指摘に対しては、神の名の正確は発音は分かってないが、エホバという発音は特に英語圏ではよく知られており、他の神々と明確に区別できる。もし正確な発音が分からないから使うべきではないのなら、エレミヤはイルメヤーに変え、イザヤはエシャヤーフーとし、イエスはエホーシューア(ヘブライ語)もしくはイエースース(ギリシア語)と変えたほうがいいと「ものみの塔協会(エホバの証人)」は主張している。
註4:『三位一体説』とはアタナシウス信経によれば「神聖な三者(父・子・聖霊)が存在し、各々は永遠で、全能であり、いずれも他より偉大でもなければ、小さいわけでもなく、各々が神であり、しかも一緒になってひとりの神として存在している」とされている。ただ、この定義については多少の解釈の揺れがあり、キリストは神であるとする解釈や、旧約時代はエホバとして現れ、新約時代はイエスとして現われ、イエス昇天後は聖霊として現れているとする解釈もある。
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