広重が『東海道五十三次』の山の木々を少なく描いた理由。a | barsoのブログ

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 江戸時代、日本列島の森林は過疎化していた。
 当時は木材がエネルギー源。鬱蒼としていた全国の森林は、建材や家具、道具、燃料などに使うために食い尽くされ、山々には貧相な植生が広がっていました。

 その証拠の一つが広重の『東海道五十三次』です。
 浮世絵は誇張や省略が多いのですが、それにしても街道沿い以外には樹木が非常に少ないことに驚きます。
 以下、その代表的な絵の、特に木の本数にご注目ください。

                 

33.『二川 猿ケ馬場』
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現在の愛知県豊橋市。なだらかな丘には貧相な木が二本立っているだけ。茶屋の名物の柏餅を目当てに登っている三人連れは瞽女(ごぜ)という盲目の三味線弾き。




25.『日坂宿 佐夜ノ中山』
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現在の静岡県掛川市日坂。急斜面の松の木は間引かれたようで、奥の山は赤土が現れているようだ。道の中央には「夜泣き石」があり、旅人が足を止めて見ている。




30.『舞阪 今切真景』
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山はまるで岩山である。ここは室町時代に起きた大地震で浜名湖と海を隔てていた陸地が切れ、最近、切れて出来た渡しという意味で「今切れの渡し」と呼ばれた。




10.『箱根宿 湖水図』
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「箱根の山は天下の険」。山の左斜面はほとんど岩肌が露出しており、木々が数本生えているだけ。大名行列が山間の急坂を登っている。芦ノ湖の向こうは富士山。




9.『小田原 酒匂川』
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中景には木が一本だけポツリ。遠くの山は箱根連山だが、崖崩れが起きて地肌が見えているようだ。対岸中央に北条氏の居城であった三層四階の小田原城が見える。




20.『鞠子 名物茶店』
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現在の静岡市駿河区。芭蕉に「梅 若菜 丸子の宿のとろろ汁」と詠まれた丸子宿。
茶屋の木には早春の花が咲いているが、それにしても奥の山は木がなくて殺風景。



21.『岡部 宇津之山』
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現在の静岡県藤枝市。木こり二人が薪を運んでいる。蔦の生い茂った杉の山が道の両側に迫っているが、斜面にはまばらに木が生えているだけ。奥の山も木がない。

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山で伐採された木は、河川を利用していかだや舟で都市に運ばれた。

『名所江戸百景-大はしけあたけの夕立ち』
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激しい夕立の中を筏が隅田川を静かに下っていて一幅の絵のようだ。ゴッホが鋭い雨線を模写したことで知られる広重の代表作。橋は現在の新大橋で、対岸が安宅。




『名所江戸百景-川口のわたし善光寺』
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川面の筏の数がすごい。材木を組んだ筏が流れ作業のように隅田川を下っている。火事の多い江戸は木材の需要が高いが、安政地震の際はさらに需要が高くなった。




『木曾海道六拾九次之内-洗馬』
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木曽の山奥から材木を運ぶ舟と筏。船頭は腰に力が入っている。寂し気な枝ぶりの向こうに薄赤い満月。洗馬宿の名は木曽義仲の家臣が義仲の馬を洗った事に由来。

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 鎖国によって日本人の力は外に向かわず、国内の国土開発に向かいました。
 河川の改修や干潟の埋め立てによって新しい耕作地が次々に出来、その結果、収穫量が増え、日本の人口は1200万人から3000万人に膨れ上がりました。
 江戸には各地から人々が流入し、1800年代には人口百万人という世界最大の都市になりました。
 諸街道は、多くの人々が商売や参拝や物見遊山のためにひっきりなしに往来し、参勤交代による三百諸侯の大行列が一年おきに移動。宿場では旅人たちが風呂に入り、暖を取り、朝夕の食事を摂りました。
 燃料の木材は重くて持ち運べないので、安宿では旅人の自炊のために宿主が薪を売っていて、ここから「木賃宿」という安宿の代名詞が出来ました。全国の街道、特に東海道は燃料の大消費地だったのです。

 建築用や家具小物用と燃料用に使う立木を一人当たり年間20本とすると、江戸だけで2千万本、全国だと6億本の立木が必要となります。
 こうして経済と文明の膨張は江戸中期から森林の再生限界を超え、その衰退を招いていきました。のちに鎖国が解けて神戸港に入港した外国人は、六甲山の荒涼とした光景に息を飲んだそうです。[※1]


 泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)たった四杯で夜も寝られず
 石炭で動く黒船が到来して以来、日本は森林エネルギーから化石燃料エネルギーに変わっていきました。
 官民ともに意識と視点を大変革。日本は明治維新からわずかの年月で欧米列強に並ぶ強大国になり、「国際連盟」の常任理事国にもなりました。[※2]  
 古くはユーラシア大陸を制覇したモンゴルの大軍を二度撃退し、戦後は全くの荒廃状態から目を見張る高度経済成長をして世界を驚かせたなど、日本人は特に国家の艱難時には「泰平の眠り」から覚め、底力を見せてきたのですね。





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※1:内容は竹村公太郎著の『日本史の謎は地形で解ける(文明・文化編)』(PHP文庫)に基づいています。内容はネタばれになりますが、かえってこの書の視点の面白さと鋭い考察が伝わるだろうと思っています。知的な興奮が得られることは間違いなし。お勧めの良書です。
※2:日本は「国際連盟」の常任理事国の一つでした。後身の「国際連合」にはソ連と中華民国[台湾]が入りましたが、台湾が脱退したため、以前は日本に負けて大陸奥地に逃げていた中国[中華人民共和国]が常任理事国に繰り上がったのです。

 朝鮮(韓国)が長年の清の属国状態から解放されたのも、日本が日清戦争で勝って下関条約の第一条で朝鮮の独立を認めさせたからです。
 しかし今の日本は泰平と低成長の眠りに沈み、特に首相は米国と中韓のほぼ言いなり状態に安住し、底力を忘れているようなのが気になりますね。
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