《自己愛》は自分と世界を楽しくする。a | barsoのブログ

barsoのブログ

世の中に人生ほど面白いものは無し。いろいろな考えを知るは愉快なり痛快なり。
FC2にも共通の姉妹ブログを持っています。タイトルは 『バーソは自由に』 です。
http://barso.blog134.fc2.com/

智を働かせれば、女子危うきに近寄れる。  

情を尽くせば、トンビが紀文のさつま揚げ持ってくる。 

意を伝えれば、馬耳西風。 

とにかく人の世は面白い。 

 

 すみません。冗談半分で始まりましたが、最後の行はかなり本心です。

 

 いや、人の世は面白くなんか無い、と思う人がいるでしょうか。 

もしそうなら、この際、一気に面白くしてやりましょう。

 

 

JW-LadamadeShalott.jpg John William Waterhouse, The lady of shalott 

 

 

い切って《自己愛》をモットーにして生きるのです。

 今より人生が楽しくなることは間違いありません。

 

 《自己愛》で生きるのは、美徳であり、人間の本質です。 

悪徳だと思うのは、自己愛とは他者の犠牲の上に成り立つと考えるからです。 

 

世の知恵に聞き従うなら、頭で考えた楽しさは得られるでしょうが、

 自分が楽しいと感じることをするなら、心から素直に楽しいはずです。                

しく生きるには、自分の良い点も醜い点もすべて愛します。 

なにかと卑下し、自分を批判するくせをやめます。 

だって、それよりも長所を思うほうがずっと気持ちいいはずです。 

 

そして、自分を喜ばせることを第一に考えます。 

こういう自分で在りたい、と思うことを優先するのです。 

だって、それをうまく出来る人なんて自分以外に居ないのですから。 

 

 《自己愛》で生きようとすると、今日という日が楽しくなります。 

 

 今日が楽しくなれば、明日も楽しくなり、 

 心が毎日楽しくなれば、性格が変わり、行動が変わり、 

 行動が変われば、生き方が変わり、人生が変わり、

  自分が変われば、まわりもおのずと変わり、

  自分の思うことをはっきり表せば、宇宙が応援してくれ、 

 そうして、地球もまた楽しい方向に変わっていくでしょう。 

 

 

narcyz.jpg John William Waterhouse, Echo And Narcissus 

 

 

この時代に、こんなことを信じるのは愚かしいと思いますか。 

まあ、信じられないのも、無理はないでしょうね。 

ただ、信じない人には、信じないようになるでしょう。 

 

私は、こう思うのが好きだから、そう感じるから、書いています。 

多くの人が同じように思えれば、世界はもっと明るくなると思っています。 

 

        ――――――――――――――― 

 

この《楽しい》という感覚ですが、 

いま自分には不足がない、自分の居場所は間違ってはいない、 

という安心感にかなり関係があると思います。

 (宇宙からの視点で見れば、誰も間違ってはいないと思いますが)

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※ 註 (コメ印は、ちょっと引っ掛かりそうな箇所に付けています)  

楽しいことを優先したほうがいいとか、楽観的に物事の良い面を見たほうがいいと言うと、それは利己的だ、世の中にはもっと大事なことがある、などと批判する人が必ず出てきます。

しかしながら登校や出勤が遅い人に、もっと早く行くように勧めた場合。歩く人を蹴散らし、赤信号を無視してもいいから早く行け、と言ってるのでは無いことは常識で分かるでしょう。 

 

明らかに正しいことは行なうべきです。道端に人が傷ついて倒れているのに、見て見ぬふりをして通り過ぎた祭司のことを、イエスは非難しています。(ルカ10:30-37)  

 

《自己愛》を良いとするのは聖書的な考えです。イエスは「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と言いました。(マタイ19:19) 隣人愛は、自分自身を愛することから始まるのです。

 マイク・ドゥリー著『宇宙からの手紙』山川紘矢+亜希子(訳)角川書店248ページには「自分本位は美徳なのです」とあり、これに啓発されて書きました。 

 

太字の《今日が楽しくなれば、明日も…》の部分は、ヒンズー教に元があるようなのですが、それに私の好きな考えを入れてアレンジしたものです。話の枕は漱石の『草枕』のもじりです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――