ユダのイエスを裏切る気持ち。太宰治の『駈込み訴え』。a | barsoのブログ

barsoのブログ

世の中に人生ほど面白いものは無し。いろいろな考えを知るは愉快なり痛快なり。
FC2にも共通の姉妹ブログを持っています。タイトルは 『バーソは自由に』 です。
http://barso.blog134.fc2.com/

 Hey Jude, don't make it bad (ヘイ ジュード 悪く考えるなよ)
  Take a sad song and make it better (悲しい歌でも ましにしろよ)


これは『ヘイ・ジュード』(Hey Jude)の歌い出し。ビートルズの名曲の一つだ。

ポール・マッカートニーが、ジョン・レノンの長男5歳のために作詞・作曲。
(長男は愛称がジュールだが、普遍性を持たせるためにジュードとした)
ジュードは、あのイスカリオテの“ユダ”を思い出させる英語名でもある。

ジョン・レノンは、36年前の1980年、ファンだった男に射殺された。
(男の名はMark David Chapmanで、チャップマンとは古英語では商人の意)
イエスも、自分のファンであったはずの十二使徒の一人から裏切られ、殺された。


ポール・ギュスターヴ・ドレ『ユダの接吻』。これが合図となり、イエスが捕まえられる。
 
ユダがなぜ裏切ったかにについては、昔からいろいろな解釈がされている。
(1)貪欲で、密告代が目当てだった。(2)大きな目で見れば神の目的の中にあった。
(3)サタンがユダの心に入った。(4)イエスを救い主だと信じる気持ちが弱かった。
(5)イエスがローマ政府に対して革命を起こさないので幻滅して見放した… 等々。

太宰治がユダの告白を兼ねた訴えというスタイルで、裏切りの動機を書いている。
妻の美知子が太宰の口述を筆記した短編小説『駈込み訴え』。
現場での生録音のようにして、ユダの心の動きと揺れを表そうとしているようだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
駈込み訴え――――太宰治   初出:『中央公論』1940(昭和15)年2月

ユダが「旦那さま」と言って、祭司長の家で「あの人」イエスの罪を訴えている。
ユダは「あの人」への愛を語った後、すぐに「あの人」への憎しみも言っている。
                           (抜粋省略引用。カッコ内はバーソ注釈)

1.あの人は厭な奴で、悪人だから捕まえてほしい。
「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。厭な奴です。
悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。私は、あの人の居所を知
っています。すぐに御案内申します。殺して下さい」



ジョット・ディ・ボンドーネ『裏切りと報酬』。左の黒い悪魔サタンがユダに入ろうとしている。
 
2.とはいえ、あの人は非常に愛すべき人だ。
「あの人を抱きしめ、共に泣きたく思いました。あなたは、いつでも優しかった。
いつでも正しかった。いつでも貧しい者の味方だった。そうしてあなたは、いつ
でも光るばかりに美しかった。あなたは、まさしく神の御子だ」
「私には、いつでも一人でこっそり考えていることが在るんです。それはあなた
が、くだらない弟子たち全部から離れて、また天の父の御教えとやらを説かれる
こともお止しになり、つつましい民のひとりとして、お母のマリヤ様と、私と、
それだけで静かな一生を、永く暮して行くことであります」


3.しかしながら、あの人は意地が悪く、私ユダに感謝がない。
「私は群集からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、
宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげていたのに、あの
人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。たまには私にも、
優しい言葉の一つ位は掛けてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも私に
意地悪くしむけるのです」


4.あの人は女にうつつを抜かすような人間だ。
「あの人が、たとえ微弱にでも、あの無学の百姓女(マルタの妹マリア)に、特別
の感情を動かしたということは、やっぱり間違いありません。私の眼には狂いが
無い筈だ。ああ、我慢ならない。堪忍ならない。…私だって(女を)思っていたの
だ。町へ出たとき、何か白絹でも、こっそり買って来てやろうと思っていたのだ。
私は口惜しいのです。ジェラシィというのは、なんてやりきれない悪徳だ」



ピエール・シュブレイラ『シモンの家の宴』。マルタの妹マリアがイエスの足を高価な香油で
拭いている。しかしこの絵は同じようなことをしたマグダラのマリアと思われているようだ。

 
5.あの人はどうせ殺されるのだから、私ユダが殺したほうがいい。
「いずれは殺されるお方にちがいない。またあの人だって、無理に自分を殺させ
るように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える。私の手で殺してあげる。
他人の手で殺させたくはない。花は、しぼまぬうちこそ、花である。美しい間に、
剪らなければならぬ。あの人を、一ばん愛しているのは私だ。どのように人から
憎まれてもいい。一日も早くあの人を殺してあげなければならぬ」


6.あの人は発言が過激で、世間を騒がす予言なんぞを語っている。
「あの人は宮に集る大群の民を前にして、無礼傲慢の暴言を、滅茶苦茶にわめき
散らしてしまったのです。まだそのほかに、饑饉があるの、地震が起るの、星は
空より堕ち…ることがあろうだの、実に、とんでも無い暴言を口から出まかせに
言い放ったのです。なんという思慮のないことを、言うのでしょう。身のほど知
らぬ。いい気なものだ。必ず十字架。それにきまった」


7.あの人は私の裏切りを見抜いているので、だから銀30枚で売るのだ。
「あの人は死ぬる人のように幽かに首を振り、『私がいま、その人に一つまみの
パンを与えます。その人は、生れて来なかったほうが、よかった』と意外にはっ
きりした語調で言って、一つまみのパンをとり、腕をのばし、あやまたず私の口
にひたと押し当てました。それがあいつのせめてもの腹いせだったのか。あいつ
は私に、おまえの為すことを速かに為せと言いました。私はすぐに走り出て、夕
闇の道をひた走りに走り、ただいまここに参りました。はい、私は、金が欲しさ
にあの人について歩いていたのです。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴ら
しい。いただきましょう。私は、けちな商人です。はい、有難う存じます。はい、
申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ」
 
ヤコポ・バッサーノ『最後の晩餐』1546  ★問題:裏切者のユダはどの人か?(※答えは最後)  
 ____________________
               
ユダはイエスへの熱い愛情を語りつつも、イエスの薄情さや傲慢さを訴えている。
彼の愛情の裏側には恨みがあり、そこには嫉妬という暗い炎が燃えているようだ。

そして最後は、結局は自分は商人だからご褒美が欲しいのだと卑屈に言っている。
ユダは使徒たちの会計係をしていたが、商人であったという記述は聖書にはない。
太宰がユダを商人としたのは、シェークスピアの『ヴェニスの商人』に出てくる
ユダヤ人の金貸しシャイロックの“守銭奴”イメージと類型させるためではないか。

太宰が考えるユダの性格には、ナルシスト的な誇大な自信過剰があり、一方的な
恋愛感情や被害者意識もあったようだ。これはストーカーの心理とよく似ている。

警察庁の統計によれば、ストーカーに占める精神障害者の割合は、わずか0.5%。
とかく自己中心の思考をする人は、容易にストーカーになる可能性がありそうだ。
相手の立場になって考えることをすれば、自分の行為が是か非かは分かるのだが。

                       

最後のほうで、夜なのに小鳥がピイチク啼く声がユダにはうるさく聴こえる独白
が突然出てきます。これはユダの心の中を表すメタファーのようで、さすが文豪
の文章術だと感心します。とても面白いですよ。ぜひ、一読することを勧めます。


★問題の答え――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※ヤコポの絵では、おそらく、手を挙げて、「裏切者は私じゃない」と身振りをしている人物がユダ。
画面左上の、左から二人目の緑服の男は手を振って、「違う、違う」と否定しているように見える。

イエスの前にいるのはヨハネで、居眠りをしているのと若すぎるのが気になる。そうなったわけは、
当時は寝椅子に左ひじを掛け、傾き姿勢で座り、右手で食事をとったので、イエスの左のヨハネは
イエスに寄りかかるように座っていた。ヨハネ13章23節では「イエスの胸に寄り添って席について
いた」となっているのを、画家は、ヨハネが胸に寄りかかっている⇒横になっている⇒寝ていると
解釈したようだ。顔が少年なのはダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の絵の影響もあるのではないか。
ダ・ヴィンチの絵では、イエスの左隣の人物は色白で優しく、どう見ても若い女性の顔をしている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――