議員Internship
永田寿康元議員が自殺 遺書も見つかる
1月3日22時23分配信 産経新聞
偽メール問題で平成18年に議員辞職した永田寿康・元民主党衆院議員(39)が3日午後6時半ごろ、北九州市八幡西区の11階建てマンションの駐車場で倒れているのを住民が見つけた。病院搬送されたが、まもなく死亡が確認された。八幡西署は飛び降り自殺を図ったとみて詳しい経緯を調べている。
同署によると、マンションの10階と11階の間の踊り場に永田元議員が置いたとみられる遺書があったという。
永田元議員は東大卒で大蔵省に入省。平成12年の衆院選で千葉2区から出馬して初当選し、当選3回だった。18年2月の衆院予算委員会で、当時のライブドア社長が自民党幹事長の次男への送金を指示したとするメールを取り上げたが、メールは偽物と判明。民主党から半年間の党員資格停止処分を受け、同党の前原誠司代表(当時)らが引責辞任。自身も18年4月に議員辞職した。
昨年7月には、17年8月の国政報告会で創価学会が不正な選挙活動をしたとの偽った発言をしたとし、千葉簡裁から名誉棄損罪で罰金30万円の略式命令を受けていた。県警によると、永田元議員は昨年11月中旬にも、療養中の福岡県宗像市の保養施設を抜け出し、手首を切って自殺を図っていたという。
reechoが大学2年の夏休み、.jpの議員インターンシップ で、永田寿康議員 の事務所にお邪魔した。.jpのチラシが中央大学で配られていて、とりあえず珍しいから説明会だけ見て来ようかと思って行って見た。.jpの理事を務めていたような大阪市議会議員の挨拶とか、政界はイジメ社会の最高峰だよなぁ~と思わせるものがあって、初めから参加する気を喪失した。そこで徹底して指導していたのが謝り方。何でもそれ以上追求出来ない誤り方という物を教えているのが可笑しかった。自分が希望する議員の名前を何名か書いて提出すると、ドットジェイピーの一次審査があって、それを通過すると直接議員の面接或いは筆記試験が受けられる。reechoは希望する議員は全て落とされ、どういう訳でか永田寿康議員のところへ回された。議員に詳しい訳でもなかったので誰でも全く関係無かったのだけれども、何故永田寿康議員の所へ回されたのか、後に永田寿康衆議院議員の事務所で議員インターンシップをした人たちのパーティーに参加して分かったのは、どうやらここでは沢山の学生を何の意味も無くがやがやと活動させて(或いは苛めて)楽しませよう(或いは楽しもう)と言う場所だということだった。何しろたった3日間でしばき倒されて辞めさせられたので、何の未練も無いと言えば確かに何も無いのだが、はからずもお世話になった事務所の代議士に自殺されるのは気持ちが悪い。
ちょうど田中真紀子さんの秘書給与流用疑惑 の関係で永田議員がちょくちょくテレビ出演していた頃。ミーハーな学生ばかりが集まったようなインターンシップ生の前で、それよりも更にミーハーに見える永田寿康議員が妙に印象に残っている。「他の議員はインターンシップ生の受け入れが僅かなのに、どうしてここはこんなに沢山なんですか?」というreechoの質問に、「他の事務所がどうかは知らないけれども」という前置きで、「沢山いれば楽しいじゃん」というお気楽な返事が返って来た。生で国会議員と口をきいたのは生まれて初めてで、へぇ~、これが国会議員か、とまるで初めて間近にパンダを見た気分だった。でも失礼ながら、いくらミーハーとは言え、こういう議員を追っかける気にはならんよなぁ~と思ったのを覚えている。
議員インターンシップ初日の国会議事堂見学では、ほんの数日前まであった田中真紀子さんのネームプレートが無くなった玄関等を説明を受けながら見て回ったりした。reechoの小学校の同級生は皆、修学旅行で国会議事堂を見学しているのだけれども、風邪で修学旅行を休んだreechoは生まれて初めて国会議事堂の中に入った。もしかすると、小学生が受けられる説明よりも詳しい説明を受けながら、大理石と絨毯と古い木がごちゃごちゃとひしめくウサギ小屋のように狭い建物の中を一巡した。民主党総裁の上に天皇の部屋があって、天皇の部屋の上に自民党総裁の部屋があるんだよ、とか。建物自体が自民党の為に出来ているからねぇ、と永田寿康議員事務所の事務をしているおばさんの話。他の場所に拡大移転する話も出ているとか言っていたけれども、日本の政治の象徴になるには随分ちゃちと言うか、こぢんまりしているという感じがした。国会議事堂前で.jpの仲間数人と記念写真も撮ったけれども、その翌々日にインターンシップを辞めさせられてしまったreechoは、現像した写真を受け取ることも無く、体験学習を過去に葬ることになったのである。
個人的な感想としては、初めて国会議員を生で見て、永田寿康議員を見て思ったのが、お人形ってことだろうか。議員会館内の永田寿康議員の事務所内で、早稲田大学出の議員秘書とスタジオで生出演中の代議士の映像を見ながら、踊らされてるなぁ~と思ったのを覚えている。操られているだけの人と言うのは非常に失礼なのだけれども、自分の意思で行動出来ることが一つも無さそうに見えるのである。はっきり言えばつまらないのである。
欝の日記 でも2ch でも言われているけれども、人を馬鹿にしたようなところがあったし、当時から覚せい剤か酒か麻薬で目が充血していて可笑しい感じがあった。けれどもだからこそ、どう見てもふざけている日本の政治の一部として、言うこと滅茶苦茶、やること滅茶苦茶な永田寿康議員の事務所を見られたことは勉強になったと思っている。政治家は苛められながら無理やり動かされているらしいという意味で。
上の2ch で参考になったのが創価学会のこと。田中真紀子を辞めさせたからゼネコン系に埋められたんじゃなかろうか、とか密かに考えたんだけどね。真紀子さん自身が辞めたかったのかと思わせるような雰囲気はあったんだけど、ゼネコンはやくざが一杯いるから何されるか分からないじゃん。確かに公の場での批判として田原総一朗 は叩かれていないみたいだし、創価学会を敵に回すと恐いぞ~、と言う脅しになるかどうかは分からない。でも創価学会の潰しは強烈だろうね。具体的に何をされるのか知らないけど。
Lynch
12月23日の天皇誕生日の午前十時頃、近所のお爺さんが今日亡くなったと近所の連絡網で電話が入った。心理的に便秘をしているなんて書いていたけれども、昼間は頭痛と眩暈と吐き気で普通に動けず夜は耳鳴りで眠られず、別に人が亡くなるから体調を崩していた訳では無いけれども人が死ぬのは本当に良くない。短い期間に近所で何人も亡くなっていることもあり、ともかく近所のお葬式は懲りている。死体を見る度に死が許せないと思うのだが、いずれは必ず自分の番も回って来るのである。自分の死体を他人に見てもらいたいとも思わないし、reechoは密葬でと家族に頼んでいるけれども、お葬式の準備もお通夜も、近所の場合には一家で必ず一人が出席しなければならず、近所のしきたりとして、何があってもお葬式には必ず参加しなければならなくなっているのである。しかし今回reechoはこれらを全て風邪と言って休んだ。しきたりの厳しい地域のこと、付き合いが悪かったり下手にでしゃばったらリンチとか、自分たちの意識が乱れれば些細なことでいびり倒すようなことがある柄の悪さも手伝って、大学に入る二年前のお祭りの時には、地域の人たちが集まった場所で、ダンボールで出来た被り物(ポンキッキーズのPちゃん人形)を被せられて物が見えず身動きの取れない状態で、子供たちに殴る蹴るの暴行を加えられたこともある。それがこの辺の田舎の付き合いというもので、遊びも虐めもワイルドで激しいのである。reechoとしては、ともかく地域の人々から虐められないように上手く付き合わなければならないと思いながら、避けられる付き合いは全て避けたいという願いがある。地域の人たちの、reechoの復讐に対する心配が感じられなくもないし、復讐出来ない程に徹底的に叩きのめそうと頑張る人が見られるのも事実である。柄の悪い田舎では、以前は学生の殴る蹴るの虐めなど当たり前のように行われていたし、よほどの怪我が残らない限り、いちいちそんなものに警察が介入することも無かった。しかし例え子供の遊びとは言え、人前で公然と殴る蹴るの暴行を加えられたreechoとしては、やはりそういう野蛮な常識は捨ててもらいたい。柄の悪い環境で育たなければreechoも乱暴に育たなかったかもしれず、乱暴な環境でのデメリットを挙げればきりがないのだが、そういう厳しい環境があったからこそ、今現在も毎日殴り合い以上の喧嘩を続けながら平然と生き続けられるのだろうなとも思う。精神的にどのくらい残虐かなんて他人が少しばかり見ただけで分かることではないし、一般的に見て「良い人」の残虐性をよく見ておかないと人付き合いは失敗するものだと思う。
東国原宮崎県知事の講演会
、行きたかったね。この人とか麻生さんとか、密かに阿含宗の信者じゃないかとか勝手に疑われていたりする。浅田選手なんかも阿含宗の人が見たら信者じゃないかと疑いたくなるような、ブルーハーツの曲が流れるCMに出ていたり。どうせデマを流すならもう少し真面目な人を信者にしておかないと阿含宗が馬鹿にされてしまうぞ(笑)。あそこの教団は馬鹿ばかり集めているなんて他の教団から侮られないように頑張るべきなのでは??先日は、フィギュアスケートの日本選手権大会を見た。真央選手が変にドラマチックに自分を演出することもせず、随分すんなりと大会に出ていたと言う感じがした。前もってどんな八百長が可能なのか知らないけれども、やたらと気負ったりわざとらしく盛り上がったりされても、ただ見ているだけの赤の他人にとっては不可解なのである。観客に楽しんでもらおうとサービスするのも分からなくは無いが、あまりにわざとらしい演出には付いて行けない。
フィギュアスケートの放送が終わった直後に、裏番組でやっていたTBS系列特番「平成20年史」にチャンネルを変えた。過去20年間の犯罪をおさらいする所から見たのでその前にどんな内容があったのか知らないけれども、お笑い番組の軽いノリで殺人を語るのは不謹慎じゃないかと思うところがあった。「目立ちたがりの芸人と同じで、目立ちたくて殺人をする人がいる」とか、その殺人犯の心境について語りながら誰でも殺すし殺せるんだからと殺人を吹聴しているようにも見られ。ここ
のblow by blowではないけれども、加害者の心理や行動を事細かに教えてそれが必ず教訓に成り得るのか疑問が残る。次のニュースでも「人との関わりを切実に求めている人が、人と接する手段として人を殺す」みたいなことを言っているし、人と関わりたくない人は人を殺さないのか変に興味をそそられた。変わり者の心境ばかり皆に教えて普通の人に真似をされる心配をしないのだろうか。
特に関心があったのは番組中に何度か出てきた中央大学教授
の藤本哲也氏
である。この教授が指導していた研究員の発表をここ
で聞く機会があり、その後でゼミ生の交流会みたいな立食パーティーらしきものがあって、出られる所に当時は何処にでもずうずうしく出ていたreechoも参加した記憶がある。韓国人はともかく儒教の上下関係が厳しくて、年下のreechoがその立食パーティーで先に物を食べたら突然マジギレしていたのを思い出した。その時はその研究員の担当教授がそんなに有名だなんて思いもよらなかったのだが、この教授がテレビ出演した映像を、後で宮園久栄先生の授業でも一回、自宅でも一回見たような気がする。テレビを見ないreechoがこれだけ見ているのだからかなりの頻度でテレビ出演しているのに違いない。宮園先生が自分の指導教官が仏教系(reechoの母の予想によると真宗大谷派)で死刑反対だとか言っていたけれども当時はそれが藤本教授
のことだとは知らなかった。宮園先生も何度か自分のゼミ生に「犯罪行為をして実刑判決を受ける率は、司法試験合格率より低い。」と言って司法試験の受験生を励ましているとか言っていたけれども、そういえば丁度その話が出た時の授業のテーマも少年犯罪だったような。それで、少年犯罪を専門にしていた藤本教授による、平成9年頃から少年犯罪の傾向が変わったというコメントである。その頃から日本の殺人犯の動機が曖昧になり「殺せるなら誰でも良かった」と供述し始めるのだそうで、意味の分からない人殺しを前に、誰でも被害者になれるし誰でも加害者になれると訴えながら、製作者側がかなり効果的に恐怖を演出している印象も受けた。何故殺せるなら誰でも良いのかと言えば、彼らが人を見ないからである。誰でも良いなら何故自分を殺さなかったのかと言えば、恐らく自分を見られないからだろう。他人に対する差別意識や支配欲もあるだろうけれども、自分で自分を見ないから他人に頼るのである。
ついでに勝手なことを言わせてもらえば、誰でもない相手を叩きのめしたり蹴飛ばしたりするロールプレイングゲームを楽しめる人間程、夢の延長線上で現実でも平気で誰でもない他人を殴ったり蹴ったり出来るだろうなと思う。エロビデオなんかは例えアニメーションで実際の人間が映し出されていなくても、猥褻物として18禁になったりするが、実際の人間を映していないといっても、人を殺すバトルゲームは幼い頃から楽しめる。少年犯罪を減らす為には人を殺すロール・プレイングゲームを全て18禁にしたら良いと思うね。物心ついたころから人を殴る蹴る殺すゲームに熱中している子供なんていて欲しくない。人間関係は全て演技だから、なんて偉そうに言っていたゲーム会社に就職した人を思い出すけれども、フィクションとノンフィクションの区別が無いと言うか、自分の現実は全てフィクションと言いそうな程に、全てについて演技に徹していたようにも見えた。sexについても同じで、全部フィクションだからノンフィクションは要らないと言うのである。大して知りもしない相手と親密な演技をするように頼まれても、reechoは演技を売っているお姉さんじゃないんだから無理な話なのだが、彼の頭には演技で食べているお姉さんばかりがinputされていて、reechoは不愉快だと言って捨てられたのである。彼らが欲しいのはフィクションだけである。万が一にもその演技が元で実際に子供でも出来たら必ず捨てさせる。求めているのは初めからフィクションだけだから当たり前のことである。それが日本の一般常識であって、それを支持しない大人はそんなに多くない。都合の悪いノンフィクションは作り変えれば良いというのが、気持ちよく生きることを願う普通の人々の良識なのである。人は、お互いに気持ちよく暮らす為に、それなりに上手く演技をしながら生活している。恐らくは、自分が徹底して演技をして生きることに誇りを持っている人は、突然ノンフィクションを追及して問題行動を起こすことは無い筈である。
しかし、作り物に嫌気が差してノンフィクションを求める人はどうなのか。反対にノンフィクションを全て作り物にしてしまいたい人はどうするのか。reechoに仮想現実を非難する権利は無いけれども、テレビも本も殆ど見ずテレビゲームも知らず、物理的にノンフィクションしか見ない状態で育った人間としては、下手に高度な作り物(偽物)ばかり子供の頃から見せない方が良いと考える。人間の高度な創作物がより一層現実的になることを願う空想が、良心的なものならばまだ良いが、人殺しのバトルゲームだったらどうだろう。例え作り物であったとしても、人は無意識のうちに見たものを真似る。それが楽しければ尚更である。自分がこれから見るものについても、自分がそれまでに見て来た物に重ねるのが自然である。繰り返し見れば見るほど脳裏に焼きつき、自分の文化として定着することになる。人々は、未だかつて経験しなかった程簡単に仮想現実(嘘)を日常的に見ることが可能になった。フィクションを見るなとは言わない。しかし、当たり前のようにフィクションだらけの中で育った人は、ノンフィクションに対する意識が薄くなり、実在する物の価値を軽んじるようになりがちだ。
実際の自分の生活とは程遠い作り物ばかりを見ているのは、「誰でも良かった」と発言している犯罪者だけではない。毎日のように誰かと同じようにテレビを見ている不特定多数についても同じことが言える。誰でもない誰かがいなければ誰でもない自分もいない。テレビをつければ誰でも良い目立ちたがり屋が誰でも良い不特定多数に向かって喋り続けている。人を蹴落としてでも目立ちたがる調子の良い人ばかりを毎日見ていたら、一般の目立つのが大嫌いな地味な人々まで派手になろうと真似し始めないか疑問なのだが。おとなしい人の話を聞いていれば自分も自然に心が穏やかになっていく感じがするし、reecho自身も他人の事をとやかく言えないけれども、見たものを真似ない確固たる自我と独自性、ついでに自立心が誰にでもあるとは思えない。身の程知らずと言うのは簡単だけれども、アナウンサーって何故か凄まじく人気のある職業だし。絶対に真似しない人もいるかもしれないけれども、心理的に余程の隔離が無い限り、見たものに影響を受けるな真似るなと言うのは無理な話ではないかとも思う。
自分とは全く関係ない人を沢山見られてそれが誰であっても一向に構わないという非常に薄い人間関係が社会を作っていることを考えると、「誰でも良かった」と言いながら赤の他人に勝手なことをする人間が、結構普通の人であることも分かる気もする。記憶喪失にでもならない限り、誰でも自分の事については自分が一番詳しい。自分以上に他人について考えられる人も多くない。オバマの演説を真似る訳では無いけれども、マケインの想像力がどうのではなく、ただ単に知らないから思いつくことが出来ないこともある。一生懸命考えても全然知らないから見当違いをしてみたり。熱心に学んだとしても果たしてどれ程の知識が得られるのか疑問だ。基本的に自分のことしか分からない人が、自分の知らない他人について一体どれだけ思いやることが出来ると言うのか。他人の事は分からない。どういう人なのか知りたくてもそう簡単には知り得ない。薄い関係を続けるだけならば知る必要も無いし知ろうとも思わないのが普通である。だからこそ、自分が知らない人間とは、お互いに理解が行き届く前に深く関わる必要は無いと思う。予期せぬ悪事を考慮するならば、早合点して接触せずに離れた場所で先ず相手を確認するべきである。人間関係には遠慮が必要だ。ただ闇雲に知らない人と深く関わることが人間関係では無い。悪いことに巻き込まない・巻き込まれない、不愉快な思いをしない・させない、尊重し合うお互いに自立した関係が築けるまでは、関わることを避けるのも一つの選択だと思う。むやみに関わりを求められたら、べたべたと馴れ合う人間関係を嫌う人が世の中には沢山いることをきっちり教えてやったら良いだろう。関わりを強要することが暴力になることもある。だからこそ余計に、人間関係での「遠慮」を個々人の文化として定着させる必要があるのだと思う。思い込みが激しくて配慮を欠く人に理解を求めるのは難しい。しかし、距離をおいて理解を求めるだけでは無く、厚かましくて無理解な人との関係については、いつでもどこででも清算する余地を残すべきであると思った。
頼るべからず。
reechoの場合inputばかりでoutputが無いと心が便秘する。心が弱い証拠なんだろうけれども、数日間全くoutput無しに些細なことで罵り合う著作権侵害のドラマに熱中していたら気分が悪くなった。韓国ドラマは面白いんだけど感情的な激しい言い争いが多過ぎて萎える。説教も多い。そんなに簡単に泣けるものかと思うくらいに登場人物の涙腺が緩くて、直ぐに泣くのが感性の豊かな良い人なのだと教え込まれた中学時代を思い出す。その時の気分で泣いても全く反省していない人も多くて、その場でのノリが良いだけの人を感性豊かと褒め称えるのもどうかと思うのだが。他人を謝らせるために懸命になる姿ばかり見ていると、思わず自分も自分に被害を与えた相手に謝罪させたくなるという悪循環を感じたり。キリスト教徒が多いからか、韓国は日本より懺悔の文化が発達しているようで、相互理解の為に納得行くまで徹底的に謝罪させる文化というのは、やはり日本人には真似が出来ないようにも思う。衝突を避けるのが美しいと考える日本の文化では、執拗に謝罪を求める姿を見ると気分を害するのが落ちであり、熱心に攻撃して謝罪させるのが当たり前と考えている人の執拗な攻撃には、正直に言って手の打ちようが無い。執拗に謝罪を求められない為の必要以上に大袈裟な謝罪にもげんなりするし、また執拗に謝罪を求められない為に行う猛烈な反撃や隠蔽を見るのも不愉快だ。けれども時には徹底的に他人を攻撃して激しく謝らせて鬱憤を晴らしたいものだね、どんなに衝突を避ける日本人であっても(笑)。
使っていないなら貸して欲しいと言われて、reechoが大学二年の時に初めて買った白いパソコン、HITACHIのPriusを中国人に貸したのだが、実はかなり後悔している。「お前なんか要らないがパソコンは欲しい」らしく、パソコンを貸したのと同時にreechoがゴミになった感じがする。故郷とのコミュニケーション手段がとりあえずパソコンONLYだから仕方無いのだが、パソコン目当てでreechoに絡んでいただけだったことが判明して失望した。ともかく商魂たくましい中国人のこと、NOと言わせない能力は非情に異常に長けている。不況の為に研修先で残業が無いからafter5時のアルバイトが欲しいと言ってreechoに車を運転させ、あちこちの食堂やレストランに皿洗いのアルバイトを募集していないか聞いて回ったりもした。いまどき日本人でもアルバイトを探すのが難しいと言うのに日常会話程度の日本語も危うい中国人を好んで雇ってくれる所は無い。しかも、研修生と言う立場で他の職場で就労する権利があるのか、就労違反で強制帰国させられる可能性もある。それでもひたすら金が欲しい、と極秘で雇ってくれる場所を探し求めるのである。探すだけならまだ良いのだが、入った食堂で皿洗いの募集を問うでもなく、いきなり料理をオーダーし始め、お前が払えとreechoの腕を引っぱる時には困って逃げたよ。reechoがタバコの煙がある場所に長時間いられないことを完全に無視しながら、自分の都合だけ押し付けて他人の都合を考えない中国人にどう付き合うべきなのか、やっぱり分からない。reechoから言わせると、そういう人からは心理的に完全に自分を隔離するしか選択肢は無く、遠慮するのが当たり前の上品な中国人ばかり知っていた為に、下品で無教養な中国人にぶったまげることになった。
冷静になれば、美しい面を剥げばこんな風にも成り得るのかと教えられ、それなりに勉強になった気もする。余程親しくならないと遠慮ばかりが目に付いて分からないものだが、中国人同士が全く譲り合っていない所を垣間見れば納得出来ることでもある。たまたまreechoの知るアパートで見られただけかも知れないけれども、三人が一緒に暮らす部屋で二人がパソコンを持っていても、残りの一人には絶対にパソコンを貸さないのである。知り合いが遊びに来れば親しくない人とでも当たり前のように平気で同じ布団で寝られるのに、何故パソコンのshareが出来ないのか。中国人は遠くから訪ねた来客に対しては特別に親切だと言われるようで、日本人も他の事をとやかく言えた筋ではないが、基本的に自分勝手で最低限の衣食住以外は他人に与えないのが常識と捉えて良いのだろう。
中国人なら考えることは皆同じであるらしく、これまで全く連絡の無かった中国人研修生からも一昨日“请你帮我找工作!”と助けを求める電話が掛かって来た。この中国人は比較的やせ我慢の上手い中国人で、おおっぴらに厚かましく物をねだったりすることが無くて安心していたのだけれども。日本人なんだから中国人より話が出来るでしょ?なんて中国語で言われ、「reeechoに仕事が無いのに何故お前らにあるのだ?」と中国語で思い切り怒鳴りつけて電話を切ってやった。しかし、仕事に就けないreechoに対する冷やかしも含めて、又「おいらの仕事を見つけてくれろ」と収入源を探し続けるのに違いなく。「日本人の半額で」と交渉すればどこかで極秘で雇ってもらえると信じているようで、実際に今の研修先でも日本人の半額で日本人と同じ作業をしているからしょうがないのだが、安い労働力目当てに単純作業の研修生を受け入れる企業が後を絶たなかったら話にならない。申し訳ないけれども、技術の要らない単純作業の中国人には早く帰ってもらわないと、日本人の浮浪者が日本国内で浮かばれる日が来ない。物価と賃金が日本の1/20なんて言う場所から来た人々と一緒に合法的行為を追及するのは所詮無理な話なのかも知れないが、触法行為を推進する行為をreechoに頼むのだけはやめてもらいたい。