餃子の作り方
普通、餃子の皮は強力粉で作る筈なのだけれど、何故か使った小麦粉は全部薄力粉で、皮は厚くしないと破れるから薄くしては駄目だとか、餃子は中国では普通水餃子だから、水の中に中身が出てしまわないように、隙間が出来ないよう皮をきちんと閉じないと駄目だとかで、具を少なくしないとはみ出してしまって包むのが大変だった。弾力が無く、薄力粉は簡単に破れて駄目なのである。高活性干酵母というものも混ぜて練って膨らましていたけれども、本当に薄力粉で作って良いのか分からない。味の方は、慣れていないと分からない味……。どんなんや~~。。。reechoの母は酢醤油に付けるととっても美味しいなんて感動していたけれども、reechoにはかなり不可解な味だった。
昨日は、彼の真似をしてreechoが自分で餃子を作ったのだけれども、今度は近くのスーパーで買った日清製粉 の強力粉で作って見た。申し訳ないけれども彼が作った餃子よりも美味しく出来た。特に皮が美味しかった。Chineseパスタだね、と母と共に感動。彼が持っていた香辛料 が中華味にさせていただけなのか、何かreechoが作った餃子はすっかりItalianの味になってしまい、Pastaの中にオムレツが入ったような感じと言うか、酢醤油よりもCatsupを付けると美味しかった。こんな のを入れれば結構それなりに本場の味が出るのかどうか。上の動画はこむぎ粉くらぶ の動画をパクって密かに著作権侵害……。美味しいことは大事だけれども、その家庭独自の味が出せればそれで良いのである。
【王守义十三香】……こちらの解説を参考に。
八角茴香、山柰、白胡椒、砂仁、花椒、白芷、陈皮、草果、木香、肉豆蔻、丁香、木桂、高良姜
≪出所≫
●生地
日清カメリヤ(強力小麦粉) 200g(2カップ弱)
熱湯 140cc(3/4カップ弱)
打ち粉(強力粉) 適量
●具
豚ひき肉 200g
白菜(またはキャベツ) 1/4個
にら 1/2束
長ねぎ 1/4本
しょうが 適量
にんにく(お好みで) 1/2片
ごま油 15cc(大さじ1)
食塩 適量
こしょう 少々
しょうゆ 適量
酒 適量
●つけだれ
しょうゆ、酢、ラー油 適量
●その他(焼くときに)
サラダ油 約24cc(大さじ2)
お湯 約70cc(カップ1/3強)
沈黙
すっぽりBlogを休むこと二週間、先々週の9月29日にはまた近所でお葬式があり、この時 と同じく火葬場へお茶汲みに行った。前日のお通夜の日には、本当に全ての活動を止めた人の顔をまた拝むこととなり、冷たく固くなった人を見る度に自分もその場で同じように冷たく固くなる気がして、その気分からなかなか抜けられず。永遠に後を引く静けさを前にすると自分が物を語ることがいつまでも苦しくなると言うか。毎度近所の人達は結構明るく葬式の準備に参加するのだけれども、死亡した人の家族の話によると、死亡前日に親族がお見舞いで病院に集まった時には、これから長くなりますと言う説明を受けていたそうで、翌日突然死ぬなんて思いもよらなかったとのこと。看病していた家族は全然大変じゃなかったと言うけれども、ひょとして、半身不随だと看護が大変だから死期を早めるような薬でも投与されたんじゃないかとか、安楽死の注射を打たれて気持ち良く亡くなったんじゃなかろうかとか、周りからはあり得ない憶測が出て来る始末で、その死の唐突さに痛く考え込まされてしまうものがあり。病院で働く人間として、実際に病院の都合で様々なことが行われていることを鑑みると、勝手に人を動かしたり甚振ったり、ともすれば勝手に命を落とさせることがあっても不思議は無いのじゃないかと考えてしまうことも無い訳ではないのである。簡単なことで例を挙げるならば、病室の床にワックスを塗る為にベッドの移動をするのが面倒だから、年に一度のワックス掛けの日に合わせて入院患者を減らすとか。患者さんの様態を第一に考えるべき立場の人が簡単に自分の都合を優先していることを肯定する訳にもいかず、表向き「そんなことは致しません」と言うに違い無いけれども、偶然に見せかけて患者さんよりも管理者側の都合が優先されることがしばしばあるのである。日本人は総じて、管理される側の人間からは何も文句が言えないような形で管理するのが得意だと思う。自分が黙るのも得意だし他人を黙らせるのも得意と言うか。管理される立場のreechoはやっぱり、深い溜息をつきつつ黙っているのが正しい生き方じゃないかと考え、いつまで沈黙出来るか試してみようかとBlog上で二週間沈黙を続けて見たところ、このまま大人しくしているのが自分にとって快適だと感じられるようにもなり。沈黙が快適だなんて今まで考えられなかったのだけれども、レポートを書くために生きていた学生時代の習性がようやく抜けてきた為か、生活自体に安らぎと喜びを見出し始めた為か、タバコの副流煙によって考えることが面倒になっているだけなのか、ともかく深い溜息と共に沈黙を続けることが苦痛とは思わなくなり。短絡的な二次元の世界でストレス解消しようという気も起きなくなったところで、また改めて書く気を起こして二次元のBlogで三次元の邪魔をするなんて言ったら、タバコの煙と権力でまた永久に黙らされそうな気もして、限りなく低い自分の立場を省みてしまう。