翻訳コンクール優秀作品集到着
심사위원 오 영진
日本語が高校の第二外国語として選択されてから30年になる。毎年大学からは6千名もの日本関係科の卒業生を出している。歴史と人数から鑑みれば初有の「静岡コンクール」は余りにも遅すぎる。357名の応募者が端的にそれを証明していよう。
(中略)
次回はロシア語と聞く。すると韓国語の次の順はいつになるのだろう。十の指では数えきれない。ただのこの一回で近くて遠い両国の距離がうんと近くなったばかりでなく、確固たる権威としてあまたの日本語日本文学を志向している韓国人に希望と期待を抱かせたのも事実である。賞の多寡にかかわりなく、韓国に限っては英語と同様、否、それ以上の関心を払うべきであろう。
審査委員 水野俊平
韓国語は日本語と統辞構造(いわゆる「語順」)が類似しており、共通した漢字語彙も多く、日本語を学んだ韓国人にとって(韓国語を学んだ日本人にとっても)日本語文の韓国語訳は多言語による翻訳よりも相対的に容易である。ある程度の韓国語を学んだものなら新聞の論説程度は容易に翻訳できるものである。
しかし今回の課題作品は俳句・短歌や文語文が含まれているなど、単純な論説文の翻訳とは次元を異にするものであった。寄せられた応募作品はどれも甲乙つけがたいものであったが、「日本語の翻訳は容易である」という先入観のもと、文意を把握できないまま誤った翻訳をこじつけた部分が少なからず見受けられた。これは日本語文の韓国語訳を行う上で(韓国語文の日本語訳でも)特に注意しなければならない点である。
翻訳は辞書にある語彙を当てはめる作業ではない。日刊辞典で調べきれない語彙や表現があれば、国語辞典や古語辞典、漢和辞典、各種資料にあたる労を惜しんではならぬであろう。
今回、最優秀作・優秀作にもこうした作業をおろそかにした誤訳が含まれていたことは惜しまれるが、難解な課題策に果敢に挑戦した努力の痕跡も随所に見られた。今回の受賞に慢心せず、さらに翻訳の腕を磨かれることを期待したい。
357名も応募者がいるのだから、韓国語の翻訳コンクールの優秀作品は他の外国語に比べたら非常に高いレベルの翻訳になっているだろうと思ったのだが、それでも選評を読む限り、最優秀作にもまだ改善の余地が残されているようだ。かなり辛いコメントだと思うのだが、果たしてどの程度の出来栄えなのか、まだ韓国語初級レベルのreechoには分かる術が無い。
呉英珍氏の選評には、日本人が一般的に使いそうもない表現が含まれていて、審査委員がこの様な日本語能力なのだから素人の参加者に多くを期待し過ぎるのも酷なのではないかと思ってしまった。文学的情緒をどこまで噛み砕いて他の言語に置き換えられるのか、日本人が見て「ちょっと変」な日本語を書く審査員に果たして分かるのかどうか、疑問になることも否めない。
落とされたからと言って決して格段に劣っていたとも思われない。何も知らない他人がつべこべ言えた話では無いが、単に文体が審査員の好みでなかっただけなのかも知れず、是非より多くの参加者に挑戦してもらい、腕を磨いて頂きたいと思う。そしてこの翻訳コンクールのレベルアップと同時に、より美しく、より洗練された翻訳によって、より高度な異文化交流が可能になることを期待したい。
個人的には「花より男子」の韓国語ドラマの翻訳を試みて、自分の韓国語能力の低さに幻滅しているreechoである。第一話をアップロードした瞬間から、何度も修正を加えているけれども、韓国語を学べば学ぶ程、修正箇所が尽きることは無く、修正が必要な文章がこれ以上増えたら困ると思ってしまったりする。単なる聞き間違いも含めて、かなり頓珍漢な翻訳があって、自分の間違いに気付けば気付く程その間違いのレベルの低さに落胆するのと同時に、新たに翻訳文をアップロードすることが恥ずかしくなってきて、未だに第二話の翻訳文に踏み切れずにいる。第二話以降が第一話より笑える脚本では無いということもあるけれども、上げたらその瞬間から修正の山との葛藤になりそうだし、著作権を侵害しながらわざわざ自分の実力の低さを露呈するのも気が引ける。自己満足で楽しむだけなら一人で見ていれば良い訳で、他人に見せるって言うのはそれなりに勇気の要る作業だね^^。
頑張れ静岡翻訳コンクール!
번역콩쿨 파이팅!
Shizuoka International Translation Competition
地元の役場に隣接する菊川図書館の利用者カードを紛失したまま早10年が経過しようとしていたのだが、最近韓国人とメールで文通を始めたところ、高麗大学で経営学を学んでいる学生が教養科目で日本の文化を勉強したそうで、「論文とかレポートとか読ませてくれたら嬉しい」と言ったら『菊と刀』についてのレポートがメールで送信されて来た。日本の文化人類学分野では世界的にかなり有名な本らしいのだが、reechoはまだ「菊と刀」を読んだことが無く、レポートの内容を把握する為に一念発起して図書館へ行って「菊と刀」の文庫本を借りて来た。読むのが面倒になって途中でやめてしまったけれども、これがきっかけで再発行手数料40円を支払いながら図書館の利用者カードを再発行してもらい、これから毎日の暇を埋める為に時折菊川文庫に足を運ぶことになりそうだ。高麗大学の学生に「キム・ヨナ選手が入学するけど、どんな気分?」と聴いたら、「学校で会うことは無さそうだけど同じ大学に通う者として誇りに思う」という返事が返ってきた。
菊川図書館のカウンターで、「韓国語で書かれた書物はありませんか?」と聞いたら、受付のお姉さんが閉架書庫に入って行って「第四回しずおか世界翻訳コンクール優秀作品集」を持って来てくれた。韓国の出版社が出版した韓国語Onlyの本は存在しないけれども、韓国語の長文を読もうとしたら、とりあえずここの館にはこの本しか無いと言われた。中央大学の馬鹿でかい図書館に慣れてしまってがっかりするばかりだが、小さな町の図書館で贅沢は言えない。韓国語を読める本があっただけでも感激するべきだろう。本を手に取って興味を持ち、発行元の静岡県教育委員会文化課に電話で問い合わせたら、無料で韓国語の優秀作品集を自宅へ郵送してくれると言う。海外からでもe-mailで交渉して見れば発送に応じてくれるかも知れない。コンクールの応募者には全員に(勿論海外へ)課題図書文献が無料で郵送されるのだそうだ。このしずおか世界翻訳コンクール
、日本でも有数の優れた翻訳コンクールであるらしい。この世界的な大恐慌の中でいつまで続くかは不明だが、海外から賞金100万円を狙って沢山の応募者があり。「只今審査中です」という今回(7回目)は、韓国語の開催としては4回目に次ぐ2度目になるらしい。韓国語はどの外国語よりも応募者が多く、文法が似ているからというだけではなく、多分その競争率から考えても最も美しく正確に日本語が翻訳されているだろうと思う。韓国からの応募者の多さは、日本語が出来る韓国人がどれだけ多いか、また日本にどれだけ関心が高いかを示しているようでもある。それに関連して、reechoが菊川図書館から借りて来た本の中から韓国の教育に関わる部分を少々抜粋させて頂きたい。以下、太文字部分は山田俊英著、秀和システム出版の「韓国がよ~くわかる本
」から。
第二外国語は高校から。選択率トップは日本語
韓国では、中学から校長の裁量で生活外国語(仏・独・西・日・中・露・アラビア)の科目を設置できることになっていますが、正規の第二外国語は高校一年から*となっています。
(欄外注釈*… 韓国大使館に確認したところ、制度上は高一から履修が可能とのことだったが、実際は高二から授業が始まるケースが多いようである。また、中学には、第二外国語の予備戦のような「生活外国語」という教科がある。)
□日本語の授業内容
大半の高校では第二外国語は仏、独、日か、仏、独、日、中のいずれかから選択するようになっていますが、この中で一番人気は日本語で、「2003年度韓国教育統計年報」(教育人的資源部)によると、2003年に日本語を選択した高校生は、第二外国語を履修した学生の63%、約56万人にも及びます。
このような日本語の人気ぶりには、日本製アニメーションやマンガの影響もありますが、文法が韓国語と似ていて覚えやすく、大学修学能力試験(韓国版センター入試)で点を取りやすいことが第一の理由です。
筆者の甥(家内の妹の長男)も高校生ですが、第二外国語は日本語を履修しています。
授業時間は学校によって異なっていて、週二時間から三時間で、高二だけとか高二と高三だけという学校もあります。教科書は国定ではなく検定方式で、複数の出版社から出版されています。(p.102)
日本語を学ぶ人数が多いだけではなく、韓国の高校生の日本語能力は非常に高い。ここ
にメッセージを残した当時中学二年生の金允国さんは、高校入学前に日本語能力検定3級を取得し、既に日本のテレビで放送されている会話の7割くらいは理解出来ると言う。反日主義者の多い韓国で生まれ韓国で育ちながら、日本の文化に対する詳しさもまた驚くべきものがある。しかしこれだけ日本語学習者が多いと、日本語を熱心に学んでいても親日的とは限らず、日本語が上手いからといって必ずしも日本人と親しくなりたいと思っているとは限らない。例えば日本人が悪さをしないように彼らの言動を細かく執拗に監視するのが目的であるとか、日本人に日本語で説教出来たら良いと考える人も少なく無いだろう。日本語を見るのも不愉快だと言う韓国人が多い一方で、日本人が日本語で何を言い何を考えているのか、一番関心があってまた口出ししたいのも多分韓国人だろうと思う。日本語を勉強すれば自然に日本に興味が沸き、日本の良いところも悪いところも目に付き易くなる。reechoが大学入学時に日本語に似ていて楽だからと言う理由でハングルを第二外国語として学び始めたように、「楽勝科目」として日本語を学び始め、日本に一層興味を持ち、日本を非難する手段として日本語の習得に力を注ぐ韓国人が多いのも頷ける。日本ではまだ第二外国語は大学に入らないと誰も勉強しないことになっていて、ドラマや音楽等を通じて韓国に興味を持つ若者が増えているけれども、大学で第二外国語履修者の過半数が韓国語を選択するようになることは考えにくい。日本の大学生は勉強しないから、第二外国語を韓国の高校生と同じように熱心に勉強する人がどれだけいるか分からず、怠け者のreechoもそれなりに韓国語を勉強して、韓国人と少しでも対等な語学力で話が出来るようになれたらと思う。
名門大学の御三家――ソウル大、延世大、高麗大
□バンカラの高麗大、ハイカラ延世大
韓国100大企業の経営者142人の出身校を調べたら、ソウル大が52.1%、延世大が11.3%、高麗大が9.9%で韓国大手企業の社長、会長の73.3%が御三家出身者で占められています。中でもソウル大学は突出していて、弁護士、検事、判事の8割、マスコミ関係の幹部職員の6割が出身者だそうです。
高収入を約束される、就職に有利と学生の間でも憧れの的ですが、一方、ソウルの漢江の南側にある裕福層が集中して住む地域(江南
)の出身者が入学者の五割を占めるところから、裕福な家庭の子供だけが将来を約束されて特権階級が固定化されるという懸念で「カースト制」と批判する向きもあります。(p.106)
GDPに対する塾、家庭教師など学校外教育費はOECD加盟国一
韓国の小中高生は、塾(韓国では「学院」といいます)の勉強に忙しく、塾に通っていない人だと、家庭教師が付いていたりします。
□エスカレートした深夜授業
高校生になると、塾の授業は深夜にも及びます。筆者の甥は高校生になっていますが、彼は学校の授業が終わると、補習授業、その後に塾通いで、家に帰るのは毎日深夜12時近くです。当然、家計からの塾や家庭教師への支出は日本よりも多く、2000年の統計では、学校外教育費の対GDP比は日本が1.2%なのに対し、韓国は2.8%。公的財政で計上される正規の学校教育ヒの対GDP比も、日本が3.5%なのに対し、韓国は4.3%。両方を合わせた教育費全体の対GDP比は、日本が4.6%なのに対し、韓国は7.1%と大きく差が開いています。(p.112)
それはもう、韓国人の学習意欲には素晴らしいものがあり、「夜中まで学校・学院で勉強して勉強が辛くならない?」と問うと、「知れば知るほど楽しい」という答えが返ってきて驚かされる。日本では、上位10%程度の学生でもそんなに熱心に勉強していないのだが、韓国では過半数の学生が、日本での上位10%以上の勉強量をこなし、当たり前のことだと思っている。毎日真夜中まで勉強していたら睡眠時間が足らなく無いのか質問したら、学校で居眠りするけれども体力的に問題は生じないと言うのである。学校生活が辛くて退学する人も殆どいないそうだ。日本人より韓国人は体力があると思う。「友達と一緒だから全然辛くない」と言う学生もいる。韓国人は、どうやら誰かと一緒にやることが好きであるらしく、隣の席の人の消しゴムを無断で借りるとか歯ブラシの共有はもとより、「韓国がよ~くわかる本」p.78には「一人で飲みに行く人はほとんど皆無といってよい」そうで、お酒は人間関係の潤滑油だから親しくなりたい人と一緒でなければ意味が無いと思われるのか、一人で行ったら異常な程に孤独なのか死ぬほど悲しいことがあったのかと心配されてしまうらしいのである。何をするにも誰かと連れ立って行動し、一人で勉強することも嫌なのかと思ってしまう。同性が大人になっても手をつないで歩く場面を見たことが無いreechoは、やはり韓国の人間間の距離の短さには驚くべきものがあるし、人と遠慮の無い関係になることが好きで、遠慮したり距離を置こうとすれば冷たい人間だと思われて嫌われるというのはあまり良く理解出来ないことでもある。何でもずうずうしいことが美徳とは限らないけれども、親切で孤独な人を放っておかない韓国人、果たして韓国では孤独になりたい人がいないのか知りたいけれども、孤独が好きなreechoが韓国へ行ったらどこからどう見ても怪しい人だと思われるのだろうなと思う。