ホワイトカラー・エグゼンプションにはおおむね7割の人が反対しているそうです。

その理由。

「長時間労働への歯止めがなくなる」39%。

「賃金の抑制につながる」37%

「健康管理に不安」22%。


でも、この制度の導入に関しては、様々な制限が設けられるはずなんですが。

つまり、この制度が対象としているのは、

収入が一定額を超えている人で、

取締役だとか管理職にあたる人で、

ほぼ経営者と同等に近い位置にいる人のはず。

言い換えれば、現場の人じゃないと思うんですが。

例えば上場企業の「おエライさん」なんてのは既に現場を離れており、会社ではなく外の飲食店あたりで取引先と会食したりなんかして、そのような場合でも勤務扱いにするというケースがあるんじゃないのかなぁ。それにまで残業代払うというのは収益圧迫のはず。この例えがあてはまらないとしても、差し迫った業務もないのに会社に残っているおやじっているんじゃないですか?そんなものに残業代を払うのはやはり収益圧迫ですよ。

「健康管理に不安」という部分にしても、「業務内容を上から指示される立場にいない人」なら、無理して長時間労働するわけないし。

収入の額をある程度決めて、それ以上の、管理職(それも細かくね。例えば取締役以上とか)に限るものにして、更に企業規模が従業員何人以上とかの制限を設ければいいんじゃないですか?

「ろくな仕事してねえのに貰いすぎだろ!?」

「勤続年数がいたずらに長いだけの管理職が多過ぎ。早期退職して貰いたいよ」

なんていう会社にはうってつけじゃないかと。

そうすれば、導入前よりも帰宅時間が早くなるおやじが増えて、(ちゃんと残業がつく)現場の人間は仕事しやすく、おやじも定年後をじっくり考える余裕が出来て、いいことづくめじゃないかなと。


だいたい、残業せにゃならんのは勤務時間内に仕事を終えられなかったせいでしょ?何故終えられなかったのかを考えてみよう?これこれこういう仕事をいついつまでにやりなさいと指示があったとして、その為の時間というものはあらかじめ見通した上で設定しているはず。終わらないのは「仕事をさぼっていた」か「切った期限に初めから無理があった」かのどちらかでは?さぼるのは論外。「無理のある期限を切られる場合」を想定して、指示を受ける側がもっと賢くならにゃいかんのでは?

「3日でやれ!」

「いえ、無理です。5日下さい!」とか。

日本の悪しき慣習が邪魔して上司に反論できない?

自分が幸せになる為には言うべきときは言わなきゃだな。もちろん、それ相当に日頃からちゃんとしておく必要があるが。

やってみなけりゃわからないケース(例えば新企画とか)もあって、言うほど簡単ではなかろうけども、厳しいと感じたら「ピッチを上げるなど」考えるべきではないのかな。

「ハケンの品格」の大前春子はここぞという時には200%気合い集中でやっておいでです。


それはやはり理想論なのでしょうか。

ちなみに僕は自営業で。

残業手当なんて貰えるケースはありません。

番号ポータビリティの勝利者は「AU by KDDI」だったそうで。

ポータビリティで考えた 」という文章で書いたけども、熟慮の末、僕はドコモをそのまま使う事にした。乗り換える必要性も優位性も感じなかったからだ。


僕が携帯を持った最初はAUの前身というか、合併前の会社であるツーカーセルラーだったから、そのまま使っていればAUなわけで、以前使っていたから親近感がないでもないが。


ところが、契約者を伸ばしたAUが調子こいて春の新しいCMを始めたではないか。

これが・・・。

仲間由紀恵篠原涼子に、更に志田未来を起用しているではないですかっ!

な~んか替えたい気にさせるよなぁ、このCMは。

仲間と篠原はまだ我慢できるが、志田未来に語りかけられると、「うん、そうかそうか」なんて頭をなでたくなる。

お父さんとのメールのやりとりをテーマにしている「お父さん編?」では、お父さんは何度もメールをしてくるそうで。

何度も何度も何度も何度も」っていうセリフに打ちのめされる。

3回目の「何度も」で言葉がノドまで届いて、4回目の「何度も」により、だいたい「・・・わ、わかったよ。しょうがないなぁ」と言ってしまいそう。


サイトを覗くと、ナにやら2100円の割引があるようだが、これはドコモのお店からも同様の割引企画が封書で届いておる。各社で競ってるみたい。

この春の企画はいったいいつまでやるんかな。CMを目にすると替えたくてたまらなくなるから、早く終了して欲しいなと思う。僕がCMごときでなびくなんて滅多にない事なんだが・・・やってくれるじゃない・・・「AU by KDDI」さん?


ドコモの春企画はまだ見てないが、今はカツーンだから僕には響かないというか、つまんない。



志田未来

☆聞き違えてました。

上の「何度も何度も何度も何度も」は、「なんでもかんでもなんでもかんでも」って言ってました。

失礼!

2月3日訂正。管理者


ご存知国会議員との不倫の果てに「TBSニュース23」降板を余儀なくされ、その後干されて消えて行くしかないかと思われていたらば北野たけしに拾われて正月のウルトラクイズからかぶりもので復帰した山本モナ。こないだテレビ朝日の「ロンドンハーツ」に出ていたらしい。番組自体は見逃してしまったから番宣だが、飯島愛から「我慢できないの?」と問われて「うん!」などとこくっと即答している場面だけ見た。J-CASTニュース に詳しく出ているが、西川史子から「路チュー(路上でのキス)はいけないよ」とたしなめられて「暗がりとかあってもですか?」と聞き返したらしい。彼との最中に別の女に乗り込まれたいわゆる修羅場を二度も経験しているなどぶっちゃけトーク炸裂。


元々はアナウンサーなのに、惚れてしまったらもう昼も夜もなく場所もわきまえず、相手に特定の異性がいようがおかまいなく或いは我慢できずに突っ走ってしまうらしい。

人間っぽくって好きです。

という事は、フライデーに撮られて意向はその国会議員(名前はもう忘れた)と別れる以外に選択肢はなく、それこそ連日連夜泣き濡れていたのかもしれない。そう考えるとちょっと愛しく思える。幸いにも、たけしが手を差し伸べてくれたおかげで(アナウンスではないけど)仕事が入り、彼女はもう腹をくくったようだ。かぶりものにせよぶっちゃけトークにせよ、なりふり構わない姿勢は評価していいと僕は思う。

完全無欠の人間なんてこの世には存在しない。誰だって何がしかの過ちは犯すもので、彼女の場合はそれが全国に広まってしまったわけだ。もちろん立場上許される事とそうでない事があるが、もうみそぎは済んだんじゃないかなと考える。さりとて前と同様のアナウンス業にはもう戻れず、では民間企業に就職できるかといえば、なかなかそうもいかない。で、開き直ってバラエティに進出。土台はアナウンサーなのだからそれ相当の教養もお持ちのはずで、そこに本音トークが絡めばバラエティでは鬼に金棒ではないだろうか。今後は露出が増えると予想される。

韓国では人気のあった女性歌手が自殺したそうで。いったい何が引金だったかは知らないが、やはり死んだら元も子もない。モナみたく強くあったら死ぬこともなかったろうに。


山本モナと梨花は似ていると思う。

梨花も元はファッションモデルなのに、今やバラエティ番組では芸人と変わらない「いじられキャラ」。あんな風になったのも、サッカー選手との密会現場をバシバシ撮られて尻軽イメージが定着したからで、彼女自身が悪い。「我慢できない」という恋愛に対する「こらえ性のなさ」では同類のようで。けれども、この梨花もしたたかに生きている。バラエティタレントとしての認知度をぐいぐい上げながらも、幸いモデル業も細々と続けているようだ。

「言っとくけど私はモデルよ!」と番組で豪語してはいるが、本当のモデルならたぶん「うふふと微笑む」だけで周囲が納得するもので、自分でモデルだと宣言する必要はあまりない。その辺が、またネタになるという「他人には出来ない芸」がある。

この間は沢尻エリカに「同じ事務所だから」と挨拶に顔を出したらば「部署が違います」とけんもほろろに扱われた そうで、「あの女、何様だと思ってんのよ」と激怒していたらしい。


笑える。


山本モナ

今日はアメーバニュースでも取り上げようかと。

インターネット恋愛・結婚サーチの「マッチ・ドット・コム インターナショナル リミテッド」が女性を対象に行った「結婚観調査」によると、「結婚相手選びに重視する条件」では「性格」「価値観」「愛情」が上位に入った。 この結果を分析した恋愛・結婚アナリストの坂本裕美さんによると、かつて女性が相手に求めた「三高」(高収入・高学歴・高身長)からここ数年は「三低」(低姿勢、低リスク、低依存)に変わったという。また、「三手」というものもあるようで、これは「手伝う(家事)、手を取り合う(理解と協力)、手をつなぐ(愛情)」も男性にとって必要になってくるという。


マンガつきのニュースはこちら


まず「三高」ですが。

高収入・高学歴・高身長のいずれもありません。

最終学歴は、高卒(清峰高校)のあとは専門学校中退という、情けないもの。

173センチは高身長に入るでしょうか?入るとすれば、それだけは満たしますが。

収入は、自営業なんである意味無限大ですが、実際のところは・・・?


次に「三低」です。

オレって低姿勢かなぁ。自分ではニュートラルのつもりです。でも、ここぞという時は熱くなります。すると、「そんなに怒らなくったっていいじゃん!」などとやや引かれる時がありますが、別に怒ってはいない。ムキにもなってはいない。譲れない気持ちが強くなるだけ。議論を戦わせる相手が欲しいところです。結果、一人で熱くなって終わり。あ。低姿勢ってのは「高慢な態度ではない」ということか?それならばそういう気質はないだろうと思います。比較的穏やかな人間です。

低リスクは・・・まぁ自営業だけに、何の保障があるかと問われればそれはない。だけど、ごく普通に毎日営業していれば食ってはいけます。

低依存だそうで。それは、何かの趣味に滅茶苦茶に金をつぎ込むとかそういうことかな?またはひどいマザコンとか。40年も生きていれば、自分の限界も好悪の対象もひと通りわかっており、無理はしません。割合と広く浅くの方です。ブログを見てもらったら察しがつくのではないかと。何にでも言及する器用貧乏が見え隠れします。その時に自分が書けるものであれば勢いで書いちゃうわけね?ただ、垂れ流しとか中途半端にはしていないつもりです。おのおので完結させております。


お次は「三手」だそうで。

家庭において、男と女の役割は緩い分担があると考えております。それは単純にどっちがやるのが能率的かという事です。力仕事は男で、家事仕事は女になるのが自然でしょう。でも、例えば買出しの必要があれば行くし、ゴミ出しなんていうのは男の方がやっていいものだし、掃除ひとつとっても風呂の掃除くらいは男がやっていいんではと考えます。おぎやはぎの小木かな?彼は電球を取り替えたそうで。森山良子が言ってました。それだけはやってくれたと。

手を取り合う(理解と協力)というのは、もう当然の事だと考えます。二人なら、やれることは増えるのが当たり前。それはとりもなおさず協力するからにほかなりません。ちなみにお店は基本的に母と二人でやっておりますが、二人がフル回転すれば、「いざ鎌倉」的な日だってだいたい回せます。最近はかなり母が衰えて、僕に不満がないと言えばウソになりますがね。

手をつなぐ(愛情)に関しては、ちょっと口にはしにくいなと。(笑)

もう何年も女の子と手をつないでないなぁ。しょぼ~ん。


これが本当なら、僕にも春がやってきてもよさそうですが、なかなかそのような縁はありません、今のところ。女性が男性に求めるものが「三高」でなくなったのなら、少しは望みがあるのかもしれませんね?

自分のやるべき事をしっかり淡々とこなしていたら、きっとそのうち。

柳沢泊夫厚生労働相の「女性は産む機械・装置」との発言。

本人は「まったく不適切で女性の方の気持ちを傷つけてしまった事を深くお詫びする」と陳謝している。

塩崎恭久長官は「間違いなく不適切だったと私も思うが、直ちに訂正している。結果を政策で出していく事が大事だ」と述べて、福島瑞穂社民党党首をはじめとした複数の女性議員からの辞任要求などに関しても「その必要はない」としている。

安部首相も「厳しい注意を促した」上で「高い見識を持った方なので、今後職務に専念していただければ人柄も理解される。政策として結果を出す事で、国民の信頼を勝ち得るよう努力して欲しい」と語っている。


それでいいのか?


この発言の問題点はふたつ。

ひとつめは、女性を機械にたとえた女性蔑視。

ふたつめは、少子化の問題を女性になすりつけたこと。


「一人頭で頑張ってもらう」という言葉の裏には、「産める人がもっと産みゃぁいいじゃないか。(なんでもっと産まないんだ?)」という気持ちが潜んでいる。産める人が産もうとしない原因と理由を考えて、その対策を立てることを棚上げにしている。厚生労働大臣の発言ではない。

「女性が産む機械」であるならば、その機械から産まれたものは製品に違いない。その製品は、では何の役に立つのだろうか?その答えは労働力だ。柳沢氏によって人格を否定された労働力は、社会に出て労働力マシンとなり、工場の生産性を上げ、社会に貢献する。そういう構図となる。


日曜日(1月28日)の深夜に放送されていた日本テレビ系の「NNNドキュメント」を見た。途中から見たが、思わず見はまってしまったのだ。「ネットカフェ難民」とテロップが出ていた。24時間営業のネットカフェを渡り歩く若者たちの姿だ。彼らには住む家がないという。つまり住所不定。ネットカフェで毎晩過ごしている。

主にフリーターのなれの果てだと知った。

派遣社員。契約社員。アルバイト。フリーター。日雇い。

派遣社員と契約社員であればどうにか決まった収入が見込めるが、それ以下の場合は不安定極まりない状況になる。満足行く仕事に就けず、収入が安定せずという状況になり、そこで捕まるのが短期滞在型のアパートだそうだ。そこは敷金などのまとまったお金が必要なく、保証人もいらず、簡単に住める。ところが、何らかの事情で家賃にあたる支払いが1日でも滞ると即座に放り出される(有無を言わさず退去)そうだ。そうして宿無しになった彼らは急場の凌ぎにネットカフェを利用する。もともと蓄えはないからネットカフェを彷徨うほかなくなるのだという。こういうアパートを貸し出すのは「貧困ビジネス」と呼ばれており、救済と言えば聞こえはいいが、いわゆる悪徳金融も同じで、そのような弱者の弱みにつけこんで儲けている。


ある例。

契約社員ということで、ハローワークで見つけた職に就いたが、その工場に行ってみると単なるフリーターと違いはなかった。25000円の家賃を手出しして(会社負担と聞いていた)勤め始めたが、3ヶ月でいきなり解雇される。契約なので一方的な解雇は出来ず、工場内で「一日中何もさせられずに干される」そうで、否応なく辞めるほかないわけだ。


こんなケースが生まれる背景には、企業が都合のいいように人材を「消費」する現実にある。企業にとって、フリーターは単なる労働力に過ぎず、人材としては扱われないのだ。正規雇用の余力がなくなった企業では、ピークの時以外は余剰でしかない。フリーターはいくらでもいる。だが、当のフリーターは生身の人間であり、仕事がなくても衣食住にお金がかかる。

番組内で声をかけられていた30代の男性の言葉は悲痛だった。

「どうしようもないっしょ。別に何も求めてないっすよ。オレ今死んだって全然構わないっすから。」


完全に人格を無視される状況が続くと、人はこうやって腐っていくのだ。

余談が長くなった。


柳沢大臣が思わず漏らした言葉には、彼の本音が隠れている。いやそれが露呈した事になる。女性に対する敬意や尊厳など彼には全くなく、人を人として見ていない人物が厚生労働大臣なのだから聞いて呆れる。彼の基本的人権は憲法で保障されており別に死ねとまでは言わないが、小沢さんが言ったように人としてあるまじき発言であって、およそ国会議員の資質が備わっているとは到底思えない。絶対に思えない。少なくとも議員は辞めて欲しいと僕は考えている。直ちに訂正したとか言ってるが、それを言ってしまった時点でもう底が知れたのだ。謝って返しに来たら窃盗の罪はなくなるのかってんだ。

安部首相の言う「高い見識」が、これで政治に携わっていない一般市民以下だとわかった。それでも「辞任の必要はない」とうそぶくのならば、安部君も塩崎君も、「腹の中では似たような考えを持っているんだろ!」と言われても反論出来ないと思うがどうだろうか?



柳沢大臣

日本テレビの「瑠璃の島」で主役に抜擢されたのはいつだったか?

成海璃子は成長したというか、うまくなったなぁと感じた。

「演歌の女王」の3回目。


貞子って言えば、例の「きっとくるぅきっとくるぅ」しか思いつかないわけだけど、それに加えて苗字が五味だなんて。

大人目線からは「不憫で可哀想」とうつり、子供の目線からは「うっとぉしくってうざくってきもい」としか見えないあの風貌。

「ここが落ち着く」と隅っこに体育座りして、膝を抱え込む姿。

臭そうな髪の毛をそぞろに垂らして、そのほつれた髪をかきあげようともしない無気力加減。

更に、上着をルーズによれた着方をしてヨタヨタとしかも前のめりに引き摺りながらの足運び。目線は決して上げようとしないし。あれじゃぁいじめられる。

もちろん演出家が演技指導してるんだろうけど、ものの見事に、厭世観と悲哀とを表現できていた。その土気色の表情からは死相さえ滲み出てきそうだった。


しかし、まぁ。

ひまわりの役を演じる天海祐希には、まだ違和感が消えないんだけども、少し慣れた感はある。

第2話で引きこもりっぽい少年だった「シンちゃん」はもうすっかりヒトシ(原田泰造)の息子になりきった、「さばさばしてて人の事なんてカンケーないね的唯我独尊男」のキャラに変わっちまってるし。

来週は貞子が弟子入りした事で「ひまわりファミリー」の形が整い、今度はヒトシの妻(酒井若菜)との対決が描かれる模様。貞子も、すっかりシンちゃんの姉っぽいキャラに昇格するんでしょうね。目前の悩みであった親からの借金はひとまず返せたわけで、ひまわりの弟子でいる間はいじめられッコでもないから。

そういえば、「女王の教室」でマヤの生徒だった子が出てましたね。名前がわからんが、この子はテレビ版チビまるこの第一弾で森迫永依と共演しております。


福田麻由子の出番も結構あって嬉しいし、西山繭子の姿はあまり期待できそうにないけど、そのぶん成海璃子でカバーしてくれそう。


世の中の様々な問題を幕の内弁当的に散りばめてあって、コメディの楽しさでそれを中和させてあまりシリアスにはならないように仕立てているみたいです。


不満を言えばキリがないし、トータルで楽しむという事で。

百点満点で言えば、今のところは60点くらいだけど、今後もっとのめりこませて貰えるよう期待します。




何人もの人を殺めるとか、もう聞いただけで「死刑は免れないな」というようなひどい犯罪に関するニュースを目にした時、横で見ているうちの母が決まって言うセリフがある。


「はよ死刑にせんば(早く死刑にしなきゃ)」


しかし、死刑囚は例外を除いてすぐにはその刑を執行されないし、逮捕されたとしても、よく考えると由々しき問題がありそうだとわかる。


今や日本中の刑務所は満員もしくはそれ以上の定員オーバーに陥っているらしく、どこかの県では刑務所の建設計画が地元の反対にあって頓挫しているとも聞く。また、刑務所にはいくらかの税金が投入されており、私達の血税が犯罪者の為に使われているという現実もあるようだ。財政難で年金が先細りになり、夕張市は破綻し、消費税は上げざるを得ないという。その高齢化も進んでおり、中には「塀の中にいる方が楽」とばかりに刑務所の「マニア或いはリピーター」となっている者もいると聞く。極論すれば、露見していない犯罪は「露見しないままの方が」非当事者にとっての利益になる?・・・なんて事まで考えてしまう。けれども、それが続くとすれば犯罪者は「調子こいて」罪を重ね、やはり社会生活は脅かされる事になる。だから警察組織は必要。

ところがここ最近は、警察組織の中から逮捕者が出ており、もう秩序なんて無いも同然のような状況だ。

悪い事をした人は警察が捕まえてとっとと刑務所にぶち込んで欲しいものだが、それが引いては私達の生活を(長い目で見れば)圧迫するという不条理も生じている。


犯罪者を罰するという概念(つまり刑法の原理)は、「人は善意によって行動する」という性善説によってたっていると思うがどうだろうか?社会生活を乱す行動をすれば、それは刑法で裁かれる。一定の基準をクリアすれば、彼は死刑に処される場合もある。


がしかし、僕自身は「性善説」でなく「性悪説」を支持している。

例えば、川で溺れる我が子を助ける母親がいるとする。自分が溺れ死ぬリスクを承知で、一心不乱に川に飛び込むわけだ。一見、母が子に注ぐ愛情溢れた美しい光景で、これぞ「性善説」の象徴かとも思える。

しかし、僕はこう見る。

自分が溺れ死ぬリスクを冒してまでも、我が子を助けたいという己の欲望から出た行動であって、結果的に子供が助かって自分が身代わりに死ぬとしても、あくまでも自らの欲求に従った利己的な行動であると。

犯罪の発端は利己的な欲望から生じる。従って、人の犯した犯罪は「人間らしさ」の象徴ではないかとさえ思うのだ。人間は生きている限り「内側から生じる欲望」を断ち切る事が出来ない。その欲望をうまく消化して生きている人つまり犯罪者にならない生活者は上手に欲望をコントロールしているわけで、結果として罪を犯す人はそれがヘタなだけ。


そのように考えていくと、死刑制度というものは「生存する事さえ許されないという罰」を人に与えるもので、罪の重さが重くなるほど死刑に近付く事を考えれば、「人は善意によって行動するもの」という性善説に立つからこそ成り立つと言えるのではないか?では、その死刑囚を誕生させる(死とイコールの死刑囚をそう呼ぶのも変だが)裁判官もまた人であり、「人が人を裁く事の是非」が改めて問われるだろう。裁判員制度の紛糾は必至。


人は己の欲求によって行動するものだという性悪説を支持する僕にとって、この死刑制度はすこぶる矛盾を孕んでいると感じざるを得ない。もちろん、罪の重さが重くなれば、量刑が死刑に及ぶ事は充分理解出来るが、どこかの外国のように懲役300年とかのやり方もあるのかなと思ってしまう。何せ、無期懲役をくらった囚人が模範囚となって、たとえ仮であれ出所するという現実もあるではないか。そのように、お縄になった犯罪者が考える事はいずれも同じ。少年法の適用年齢は下がったものの、山口県光市のむごい事件のように、今や少年犯罪と大人の犯罪のボーダーラインは極めてぼやけている。


僕自身は死刑に矛盾があると感じているから、死刑制度そのものを取っ払って懲役300年にして、一生死ぬまで「いつ執行されるのかわからない恐怖」に怯えさせながら生かしとく方が見せしめ・・・歯止め・・・あ、犯罪抑止効果・・・はあるという気がしてならない。


池田小学校を襲った宅間被告は「はよ殺してくれ」などと嘆願していたわけだが、その願望を叶えて死なせてあげたというのも、「何ひとつ、お願いを口にする事さえ叶わない身の上になってしまった小さな被害者達」が嫉妬するんじゃないかと思う。

不二家の品質管理の杜撰さは日に日に明るみに出ております。

03年1月~昨年8月の約3年半に獲れたネズミが485匹だそうで。半端ないです。

うち(こんごうざん)は入り口のドアを開けたらまんま外なんで、夏場はよく虫クンから被害に遭います。彼らは灯りを求めてやって来ますから、ドアを開ける度に複数の虫クンが侵入してきます。焼き網にはごま油をあらかじめひいてありますが、そこに虫クンがペタっと張りついたり、ひどい時には店内の壁に大きめのガが涼しい顔していたりします。もうそういうのは、致し方ない面があるんで、お客さんには「すいませ~ん」なんて言って駆除するんですが。

それだけのネズミが工場内にいるというのは、いかに彼ら(ネズミ)にエサを与えていたかの証明になります。ひどい。


小林武史と一青窈が不倫しているとかいないとか。

やっぱ、それはいかんでしょう。手をつないで歩いていたそうで。

女性からすると、食事していたとかどこかの部屋に二人っきりだったとか聞くよりも、「手をつないでいた」というその一事は捨て置けないんではないのかと考えます。手ぇつなぐのは・・・弁解のしようがないではないですか。いわばラブラブの証明。絡みつく指なんかが浮かんできたりして、これはもう、怒り爆発です。

akkoが黙っちゃいないでしょう。

子供が二人もいるんだから、もう早いとこ土下座して謝った方がいい。

それで許してもらえるのかどうか、僕は知りませんが。

ミスチルの桜井あたりも、「小林さ~ん?僕はノーコメントっすよ?」なんて電話で言ってたりして。


それにしても、若槻千夏のブログ はすっげぇおもしろいです

普通、文章にする時にはもう少し・・・まぁ文語調というか、多少はしゃちこばったものを書くというケースもあるかと思いますが、この人の場合、バラエティで喋ってるまんまの言葉たち。彼女の日常がほとんど飾らずに書かれております。

開設以来10日で読者が2861人ついてます。一日300人のペースです。

ひと月経ったら10000人超えるんだろうか?

その時は10000人目の読者にはなんかプレゼントするとか、そういうのもおもしろいかと。

2008年北京オリンピックに向けて、野球の日本代表チームは星野ジャパンで行くそうです。

これはなかなか期待できますね。

「金メダルしかいらない」と言ってます。

12球団が全面協力して、強力に星野氏をサポートするらしい。

オリンピックの期間中は(まだ決まってませんが)シーズンの中断もあるようです。

実際、これが最後になるかもしれない野球の五輪での金メダルがかかっていれば、もう贔屓チームの勝敗どころじゃなくなるでしょう。みんなが日本の為に一丸となるということですね?


マリナーズのイチローは「五輪はアマチュアのもの」と言ってますが、まぁメジャーが五輪への参加を認めてませんから仕方ないかなと。そういうことで、事実上日本のベストプレイヤーと言えるメジャー組が参加出来ないのは、とっても惜しいです。

松坂をはじめとして、ゴジラ松井もいないしもちろん井川だってそう。そのあたりの戦力なしにどう戦っていくのか、力を結集させる必要がありそうです。


小学館の週刊サンデーに連載されている漫画、「メジャー」では、今WBCが描かれている真っ最中です。日本はアメリカと戦っているわけですが、その中にこんなセリフがあります。

「中米だろうが日本だろうが、今や優れたプレイヤーはいくらでもいる。アメリカが凄い訳でも何でもなくて、そういうツワモノが集まっているメジャーが凄いんだ」(セリフはうろ覚え)

現実の世界でWBCの優勝を日本が勝ち取っているからこそこういうセリフも説得力がある。アメリカはやっぱり参加しないんでしょうけど、アメリカという国が強いんではなくて、メジャーリーグが強いのだという事は今や暗黙の了解と言えるでしょう。そうして、その中で活躍する日本のプレイヤーが少なからずメジャーリーグに新しい風を吹かせて観衆の度肝を抜いている事も事実。加えて日本の緻密な野球の素晴らしさも再び知らしめて欲しいところです。


野球はチーム競技であって、勝敗のあるスポーツ。日本の場合、もう短期決戦の切なさや難しさは充分解っています。悔しい思いもしてきた。あのオーストラリア戦で最後の打者となった谷(現巨人)が一塁に駆け込んで、もんどりうって倒れて足を怪我して、同時にオーストラリアチームがこぶしを突き上げて歓喜する映像。あのシーンはもう見たくない。


チーム競技だからこそ、個人競技にはない大事な事は、メンバーがひとつになれるかどうかだと思います。調整期間を充分に取って、しっかりとしたチームを作って欲しいですね。で、その時に大切なのが気持ちの持って行き方で、闘将:星野仙一なら期待に応えてくれるんではないかと。時に冷静に、時に熱く、チームを導いてくれそうです。




星野監督



缶コーヒーのボスのCMから、「このろくでもない、すばらしき世界 」という文章を書いたのが去年の11月。「ノンモラルってゆうか 」は12月だった。


なんか、そんな文章ばっかり書きたくなるのってどうなの?


「発掘あるある大辞典」の捏造事件。日曜日のお茶の間に流れる、家族みんなが観ている番組でこんな大うそが流されていたなんて、もう開いた口が塞がらない。いったい何を信じたらいいのか?何が信じられるのか?わからなくなってくる。

僕自身も番組は一応さらっと観ていた。けれども納豆ばかりそんなに食べられるものでなく、もともと嫌いな部類だし、「週に一度くらいは食ってみるか?」程度の認識だった。「それじゃぁ殆んど効果は望めないじゃん!」なんて突っ込まれそうだが、結果的には躍起にならずともよかったわけだ。納豆そのものは自然食品だから、まぁそればっかり食べてりゃ身体の色んな部分にいい効果をもたらして、そのうち痩せる事もあるんだろうか?程度にしか考えてなかったのだ。だが、スーパーに買占めに走ったおばさん方や、供給に汗だくになったメーカーやお店は本当に迷惑千万だ。


番組に出演していた「志村けん」が自身のブログ でコメントしているそうだ。

「裏切られた感じ」と。

僕も最初にそれは思った。堺正明とか、番組でにこにこ納豆を食べてた人たちはまるでアホじゃないかと。彼らは番組スタッフが作ったシナリオに沿って進行しているに過ぎないから「そんなこと」とはつゆ知らず。ウソを言わされていた被害者だ。気の毒と言わざるを得ない。


不二家のウソもそう。床に落ちた商品は「3秒以内に拾えばOK」とか、蛾入りのチョコを製造しておいてクレームに「食べても平気」とか、もったいないから期限切れの牛乳も製造に使用するとか。メーカーとしての信頼の「し」の字もない。今後、不二家がどうなるのか知らないが、出てくるニュースを見たらば、知っててやっていたのは明白。

ちなみにこういう時に「確信犯」という言葉を使うケースもあるようだが、「確信犯」は宗教的・政治的理由をもとにテロなどを行なう『これは正しい行い』だと主張してやる(第三者的に見て)不法行為のこと。従ってこれは確信犯ではなく、故意で行なわれたものと言える。それを思えば、ミスを見落とした、知らなかった訳じゃないから、果たして再生できるのかどうか?雪印みたいに全部を解体するほかないという気がする。

そうでないと買って食べる気にはなれない。


一時の連鎖はひとまず収まったようだが、追い込まれて自殺する気持ちもわからないでもない。生きてる意味なんてあるんだろうか?と子供たちが自問自答する姿が滲み出てくるようだ。

北海道では、またぞろいじめに関する調査を拒むというようなため息出そうな話を聞く。

ただいま現在、苦しんでいる子供もいるだろうに。


今流行っているのは「ばらばら殺人」のご様子で、もうなんだろうね?

何も殺さなくっても・・・。


明るいニュースって少ないんだが、それでもやっぱりだ。


こんなろくでもない世界だからこそ、輝きがあるのだ。

その輝きになりたい。

なれるチャンスがある限り死んではいけないし、また誰かを殺してもいけない。


輝きを求めて生きる。