長生きは幸福な事だろうか?

先日母親の代理で彼女の長兄つまりぼくの叔父の七回忌法要に出席してきた。親戚一同が集合してぼくは一番の若手(53歳)である、それに老人達をこんなに大勢いっぺんに見たのは初めての経験であった。 彼等の話題は病気を飛び越して介護の話でもちきりだ。いかに行政を相手に手厚くしてもらうか・・・その方便と実状―――、上は92歳で下は70歳までが元気良く熱弁を奮っている・・・!誰々は毎日「お迎えを待っている」...「いや誰々はアルツハイマーで自宅介護はもう限界」等々・・・老いからは逃げられないという想いが現実として切実に語られ又他人事ではなくなってくるぼく自身の現実―――。老いとはなんと苛酷なものなのか、そして人間とは本当に良くできたシステムで人生を送る生き物だろう!
淘汰の証(~14年の歩み)

気骨という言葉がある。事に堪える力というかまぁ「根性」の最強を指すのだろう。「骨のある奴」がぼくは好きである、が少ない。筋肉だけで人は成立しない、車だってシャーシが大事で建物は基礎と柱で良し悪しが決ってしまうほどである。 口先で食って行ける職業だって実は骨が必要で世の中の一端は誰でも「骨」を鍛えている。鍛え方は様々でも皆理不尽な世界で戦っていると思う。力いっぱい朝から晩まで仕事をしているのに成功に結びつかず「運」が無いと諦め嘆いている奴もいるが方法が良くないだけだから考え方を時代に沿って変えたほうが得策ではないだろうか―――、 ぼくもつまずき、転んだ事は数知れないが、どうにか石頭を自分で砕きながらここまでRMを運んできた・・・ぼくにはそうする骨があったのだ。今の仲間達は皆骨を持った「根性者」である。