実話
この間、ウチのネット管理やってるABEが聞くんだ‥「ブログの話し本当なんですか‥?‥アレはフィクションですよね」って‥。「ホントの話しだよ(笑)去年亡くなった母親に最近妙に逢いたくなって‥まぁ一周忌も近いし供養のつもりだ」‥と答えておいた。オレの年代は「複雑な家族関係」は珍しい事じゃないし、時代が許してくれない事だっていっぱいあった‥国に追従する国民全員が「明日の日本」を真剣に考え、一日単位で精一杯生きる事だけに情熱を傾け、耐え難い仕事でも無理矢理挑んで飯を食っていた‥貧しいが強いオトナ達が沢山いた時代だった。当然のように子供達はオトナに憧れ、早く一人前の男に成りたいと背伸びする‥「あの時代の子供」として当時の背景を話してみたかったのだ。‥家族をとうして感じたオレという子供の眼差しで‥。
向島界隈
東京は隅田区向島‥この辺り一帯の花街でも有名な料亭Mで仲居をしていた叔母(ミヨの長姉)が独立して小料理屋を開店するに当たり母に白羽の矢を立てた。叔父(ミヨの次兄)の印刷業を手伝っていた母は当然のように「渡りに面白い舟!」とばかりトラバーユ、叔母の住む長屋にホームステイ。同じ河っぺりでも川崎(多摩川)と東京(隅田)じゃ賑わいの品格が天と地だ!浅草、上野、東京、銀座が近く向島の贔屓筋はみんな垢抜けた男達!‥チャンスの数が違う。叔母の住む長屋が凄い‥五軒続きの二階建てで木戸付き、江戸情緒たっぷりで大家は一階角の駄菓子屋の婆さん、住人はヤクザと情婦、芸者、金貸し婆さん、大工‥木戸門の前が神社、まるで落語の世界だ‥しかも二階は半分が広間になっていて博打開帳は日常茶飯事(ゴト)。この時期、叔母の店の常連客に板前とヤクザ(博打打ち)の二足の草鞋を履く若い衆がいた‥背の高い細面の二枚目、役者顔で‥。だいたいがこのタイプの相場は絶対ヤバイ!のだが‥案の定引っ掛かっちゃった‥「色男金と力はなかりけり‥」そ
して無責任だった‥。こいつがオレの親父‥初代!
この頃の母親は「ネンネミヨ」‥まだ子供だったはずだ。だがここから母の運命は迷走の一途を辿る事になる!オレはまだオタマジャクシで‥昭和27年春の宵、東京タワー完成六年前の出来事だった。
して無責任だった‥。こいつがオレの親父‥初代!
この頃の母親は「ネンネミヨ」‥まだ子供だったはずだ。だがここから母の運命は迷走の一途を辿る事になる!オレはまだオタマジャクシで‥昭和27年春の宵、東京タワー完成六年前の出来事だった。
クレイジーミヨ
新婚気分の両親はさておきオレは家を出なくては「全てがムリッである」近所の元住んでた祖母の部屋に居候を計画したので頼みに行った‥が、既に母の手が廻り「土曜日だけッ!近所の眼ある!」って‥そんな眼は一番気にしなかったヤツが‥。仕方なく承諾‥飯だってスッカリいれあげてるオヤジの好物、海で捕れる物全般!オレは大嫌いナンダァ〓オレはオレの金で銭湯へ友達と行き、牛乳飲み、帰りに中華屋でタンメンにコーラ!‥ショートホープ一服‥ガキじゃねぇ~んだよッ‥で13才の秋。ここから遡る事10年前辺り‥借りてきた猫みてぇーになってるミヨ虎の非行と奇行は子供のオレにとってはショータイム!カミソリベビーと云われた天才ガキのオレは自分が初めて歩けた時の記憶だって定かで、読み書き計算は3才で小学生なみ!こんなガキだと母は知らずに随分と好き勝手な行動で世間の荒波をかい潜っていた‥(昭和30年代始め)‥我が師ミッキーカーチスがトップアイドルに昇りつめるホンノ少し前、‥我が日本が高度成長を遂げるスタート時期で
もあった頃の話しから始めよう‥。
もあった頃の話しから始めよう‥。
新生活勃発!
一家の新生活は平和荘という六畳一間のアパートから始まった‥オレもオヤジも母さえも家庭という初めて挑む環境に戸惑いを隠しきれない‥ましてや新婚家庭に半分トサカの生えたオレがいるのはお互いに耐え難い問題を生じるであろう事は当事者はもとより親戚全員のニヤけた心配でもあったのだ。‥心配通り即日その問題は母親の狂喜乱舞の悲鳴と共に勃発し、寝たふり以外ヤル事がないオレの夜長はついに一週をまたぎ我慢と忍耐は臨界点に達してしまった。三十半ばの「女盛りオンナ」にまんまとはめられた感の「七歳年下オトコ」の醜態はもとより、オトナの生の営みを接近ライブで鑑賞せざるをえなかった13才はこれをもってクーデターへと発展するが、実はここからが「クレイジー美代(母親)」の真骨頂であった!‥オレは戦いの決心を固めた。‥




