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ひょっとすると、缶コーヒーを飲むのは、これが生まれて初めてなんじゃないだろうか?
私は、うん、そうか、と肯き、背後の山猿少年の方を見た。少年は、口を半開きにして、ぽかんとした表情で、彼女の方を見ていた。
しみじみ少年の顔を見ると、それはまるで無防備な顔で、子供そのものの顔だった。
これが、さっき私を襲った、獰猛な猛獣のような少年だとは、とても信じられなかった。
チャリ、ガチャン、というコインの挿入音がして、ゴロンといいながら、コーヒーが自動販売機から転がり出た。
彼女は缶を手にとって、ひゃあ、といいながら、缶のプルトップをつまんだ。「熱いでしょ?気をつけてね」私は彼女に声をかけた。
あついよ、あついよ、と彼女はいい、それから、からからと笑った。
コーヒー缶に口をつけて、始めは用心深く吸いつき、そして今度はやや大胆に、喉を鳴らして飲み、ふっと口をはなして、はあはあと呼吸した。
肩と胸で息をしていた。全身で息をしていた。生命の賛歌が聞こえてきそうな、眩しい笑顔で私を見ながら、またコーヒーを飲み、笑った。
「そんなにおいしいですか?」
私はあきれて、しかし、その、彼女の飲んでいる缶コーヒーがことによると人類が手に入れた史上最高の飲み物ではないかという気がしてきて、
「そうですか。そんなにおいしいの!」
「そうだよ、そうだよ。これ、これ」と彼女は、にっこり、まさに、文字どおりにっこりと笑って言った。「だめじゃないよ、これ。だめじゃ、ない。これ」
先ほどの会話に接触したような、「だめじゃない」というせりふが出た。そんな彼女の言葉を聞いていると、童心にかえってしまい、世の中に駄目なことは何もないように思えた。私はいった。
「そうですか。じゃあ、僕も買おうかな」
「買ったげる。あたし」彼女は言った。「ぼんずも、買ったげる」
ぼんず、と呼ばれた山猿少年は、また、これ以上の表情はないような、究極の嬉しい顔をした。本当に、まるで子供なのだった。
「そうですか。ありがとう」
私は素直に頭を下げた。私も、心の底から嬉しくなった。一体どうしちゃったのだろうか。たかが缶コーヒーで。不可解だった。
ここはどこだろう?自分は何をしてきたのだろう?どこへ行くのだろう?下手な詩でも作りたくなるような、嬉しい、しかし変な気分になった。この知的障害の女性と子供は、一体何者だ?
私と彼女と少年は、3人して仲良くベンチに座り、コーヒーを飲んだ。
あたりはさっきよりずっと夕闇が迫っていた。しかし幸せだった。どんなに寒くとも、このままこの3人でいるのが、ただしい幸せなんじゃないか。と、そんな気分に浸り始めていた。
そして、そんな時には必ず邪魔者がやってくるものだ。
私の頭を、そうい考えがよぎり、その考えは当たった。
轟音が遠くから次第に近づき、ぎらつくライトを照らしながら、邪魔者が、見る見る近づいてきた。
・・・・・つづく
今週前半、出張になってしまいました。このため次回投稿は木曜日か金曜日になります。