20
私の話を聞いているのかいないのか、彼女は下を向いたまま念仏をやめた。白い地面を、さっき私を見つめていたときのような真剣な目で凝視していた。
こちらをからかっている感じではない。おかしな連中だが、ふざけているわけではない。知的障害・・・白痴の子?私は沈黙した。間をおいて、ため息とともに、いった。
「困ったな…」
すると、その女性は顔を上げて声をあげた。
「こまった?」
大きな声だった。
文字通り、鈴をころがすような、きれいな声だった。再び目が輝いていた。嬉しいのだろうか…?
「こまった?あたしも、こまったの」
彼女は雪原の彼方を見ながらそういった。誰にむかって言ってるのか、見当もつかない、いい方だった。
「こまったの。こまったの…」
今度は、「困った」のリフレインが延々と続くのかと思った。しかし、そうではなかった。彼女は、ふっと口を閉ざすと歩き出した。
「こっち、こっち…」
私を手招きで呼びながら、よたよた歩き出した。
すると山猿のような少年も、ゆっくり動き出した。下を向いたまま、彼女の後におとなしく従って歩き始めた。
「こまった、こまった、こっち、こっち。こまった、こまった、こっち、こっち…・」
薄紫と薄桃色に染まる雪の大地を、彼女は歩いて行く。たよりない伝道師のようにして。
じっとしていても何も始まらない。運を天にまかせて、私も、彼女に従い、歩き始めた。
・・・・・
雪原のなか。相変わらずおそろしく寒かった。しかしもう吹雪きではない。落ち着いた夕暮れだった。ピンク色の空は途方もなく広く、地平線の向こうまで続いていた。
私は女性の背中を見ながら歩き、その背中に向かって、自分は旅行者であり、ある人を探していると話し、どうでもいい話題…
自分たちをとりまく、この厳しいこの寒さとか、北海道の名物で好きなものは何だとか、を口にしたが、彼女からは、返事らしい返事は、かえってこなかった。
しゃべる間にも私は、自分の斜め後ろを歩く山猿のような少年が、また襲ってくるのではないかと、絶えず用心していた。
しかし、少年は、さっきの凶暴な行動がうそのように、雪の道を、ただ黙々と歩くばかりだった。
私は歩みを速めて彼女と並んだ。
この行動に、山猿が反応を起こすのではないかと予想した。しかし山猿少年は歩調を変えず、相変わらず下を向いて歩いていた。
・・・・つづく