17
私は首を振った。あたりを見回した。闇ではなく、ピンクがかった紫色の世界だった。
夢の第二幕だろうかと思って軽く掌で頬を叩いた。すると全身が激しく震えた。激しい寒気のせいだった。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
私は自分をあやすようにして、いった。そしてゆっくりとあたりを見つめなおした。
そこはもう、白い地獄の世界ではなかった。ブリザードの時間は終わったようだ。
あたりはシーンと静まりかえり、短い時間に降り積もった雪が、ちょっとした山脈を形成していた。
雪はまだやんではいなかった。ちらちらと、ゆっくり、空から舞い降りてきていた。大空には夕暮れがさらに迫っていた。それで世界はピンクがかった紫色だったのだ。
私は仰向けに倒れていた。ゆっくりと、上体を起こした。そして、ぎくりとした。
何か黒いものが動いている。
人影?紫のライトで照らし出されたような雪原に、何者かが動いている。
目覚めたばかりの私には距離感覚がなく、それがまじかに迫る何者かに見えた。
私は立ち上がり、身構えた。頭痛が吹き飛んだように思った。
しかしその人影らしきものは、私に迫るのではなく、次第に遠ざかるもののようだった。
私からは100メートルも先を歩いていた。雪に埋もれて、道らしい道もなくなってしまった中を、ゆうゆうと歩いていた。
それは美咲セツ子ではなかった。セツ子にしては少し背が高く、歩き方も違っていた。
その人影の先の雪原はもう薄暗くぼんやりとしていて、何も見えなかった。明かりも何も見えない。さびしい闇に呑み込まれている。
「お前さんかい?俺を殴ったのは?」
私は無理に口を大きくあけてしゃべった。寒さで凍りそうになっていた顔の筋肉を動かした。
自分の顔が、まるで解凍の完了する前の冷凍肉みたいな感じがした。細胞質にみぞれを詰め込まれた肉とでも言ったらよいのだろうか、何だか気持ち悪かった。
「なさけない。油断大敵だよ」
そういってまた口を動かし、顔を解凍しようと躍起になり、何度もあごを動かした。「うおー」とか「やー」とかの気合の叫び声をあげた。そしてラジオ体操第二のさわりの部分をやって、また大声をあげた。
大声は長く響いた。まるで自分の声ではないように思えた。
その通りだった。それは私の声ではなかった。
大声が響きながら、私の斜め後ろの、こぶのように盛り上がった雪の小山が震えた。
私はぎょっとして、内心「もう、やめてくれよ」と嘆息した。
白い雪のこぶの影から、小さな生き物が飛び出してきた。
小さい、と言っても、人間の子供くらいの大きさだ。全身が真っ黒だ。黒い毛で覆われているらしい。
私を殴ったのは、まさかこいつか?また殴るつもりか?
その生き物の目が光り、口が大きく開けられた。白い牙が見えたように思った。
・・・・つづく