敬天愛人
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おひさしぶりです。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


長い間、更新できなくてすいません。


今日は、レッズの話を休止して年末に起こったことについてお話したいと思います。


これまでとは一転、暗い話、かつ自己満足な話になりますので、読みたくない方は「戻る」ボタンでお帰りください。




年末、最愛の「ジジ」(祖父)が亡くなりました。ショックでした。

83歳でしたので、天寿を全うしたといえると思います。

9月頃に肺がんが発覚し、高齢で手術も出来ないので、後は死を待つのみと先生に言われていました。

正直、1年は十分もつと信じていました。

しかし、11月ごろ肺炎になり、みるみる体力を消耗し、12月には寝たきりとなりとなりました。

それでも12月27日にジジの強い希望で退院することとなりました。

実家からの電話で、退院の日に車でジジを送ってほしいと連絡を受けたのですが、私は卒業論文の執筆中でいけないと答えました。

年末年始は実家で過ごす予定でしたので、その時会えると思っていました。退院できたということから安堵感もありました。

しかし、その二日後、ジジは家の布団の中でババ(祖母)の横で眠るように息を引き取りました。

実家から連絡を受けて病院に向かったのですが、既にジジは動かない人になっておりました。

このときは、不思議と涙がでませんで、とにかく、なぜ、どういう理由で死んだのかということを医者に尋ねていました。


涙腺は弱いのですが、わざと気分を盛り上げて泣くのは大嫌いな性分ですので、極力涙をこらえました。

遺体とともにジジの実家に帰り、葬儀屋と一緒に葬儀の段取りをしました。父も駆けつけてきました。

みんな、涙を流さず個々の仕事を淡々と行っておりました。天皇杯準決勝の日だったので、ババは、会うなり

「試合、見に行ってたんでしょ?」

って言ってきたり(卒論が忙しくて学校にいました。)、父は、レッズが伸二の活躍で勝ったことを教えてくれました。

さすがに、「よっしゃー」といえる気分ではなく、「ああ」と答えました。


最後に、妹が駆けつけてきたのですが、妹だけは号泣でした。

花屋に勤めいている関係で、枕花を自分で生けて持ってきてました。初めて妹を誇りに思いました。


その後、解散となり、祖母を残して私の家族は実家に戻りました。


次の日の午後6時より通夜だったのですが、午前中の葬儀屋との打ち合わせに参加した後は、私はファミレスで卒論を書いてました。

5時になり、通夜を行うところに向かって、祭壇のある部屋に入った瞬間、ジジの写真が目に入り、初めて涙がこぼれました。

とまりませんでした。いっくらこらえても。びっくりしました。泣く姿を見られたくなかったので、トイレに入り一人泣いていました。

泣き終わっても祭壇を見るたびに泣けてしまいます。通夜の間も涙をこらえるので必死でした。


通夜が終わり、その後、誰かが、ジジのそばにいた方がいいということで、私が葬儀場に泊まりました。

みんなが引き上げて二人になったあと、祭壇に向かってジジと一緒にビールを飲みました。

一方的に私が話すだけでしたが。。。まず、27日に行けなかったことを謝ってから、これまでの思い出を語り合いました。

自転車並走して魚釣りに行った話、キャッチボールをした話、戦争について教えてもらったこと、将棋を教えてもらったこと、

いっぱい話しました。

大学時代、合コンも含めていっぱい飲み会をやってきましたけど、一番楽しい飲み会でした。

次の日の告別式もあるので朝の4時前には寝ましたが、本当に楽しかった。


83歳で、末期がんを宣告されて、死は数ヶ月前から分かっていたこととはいえ、本当に悲しいです。

私にとって、ジジは特別です。唯一、尊敬する人でした。

多くの事を学ばせてもらいました。


私事ですが、春には、博士号もとれ、研究員として働くことが決まっていました。

ジジが本当に楽しみにしていたことです。

その姿、見せたかった。ババが葬儀の日に言っていました。

「門の前で写真取るはずだったのに、ばかだね~」

って。

ごめん、ジジ。


もう死んでから2週間以上たっているので、流石に悲しみも癒えたと思って書き始めたのですが、やっぱ涙が止まりません。

この辺でやめます。最後まで読んでくれた人、俺の自己満に付き合ってくれてありがとう。


最後に、ブログのタイトルを変えました。

「敬天愛人」

です。天を敬い、人を愛す、という意味らしいです。ジジの家に掲げてあった木彫りの書です。

薩摩の西郷隆盛が好んで使った言葉らしいです。ジジは生粋の薩摩っ子でした。

この書は、掲げてあることは知っていたのですが、読めず、ジジの死んだ日に父に聞きました。

尊敬するジジの言葉、使ってみたくなりました。


ところで、告別式の後に、ジジの家に訪れた親戚は、全員これを見て、

「流石、薩摩の人だ」

って口々に言ってました。

私は、薩摩に行ったこともありません。(ジジは連れて行きたがってましたが)

ちょうど、三月に学会が鹿児島であるので、ジジの故郷に行ってこようと思います。

できたら、その話もいずれブログに乗せたいと思います。


それでは。

「ジジの孫」

引退のシーズンについて

こんにちは。

数多くのコメントありがとうございます!結構いろいろな人に読んでもらえて幸いです。

うれしいんですが、一応断っておきますが、あくまで俺の個人的な感想を、あいまいな記憶を元に書いてますので

時代背景が前後していることがあるかもしれません。


実際、いろいろネタを考えてると、俺が高校の時にJ2落ちしたと思っていたけど、よく考えたら大学2年の時だったとか。

ま、正確なことはWikipediaに聞いてください。


それでは、今日は、予告どおりミスターレッズ福田正博引退について語ってみたいと思います!


と思ったのですが、書き始めたら2002年シーズンのことばっかりになってしまったので、引退については次回で

今日はナビスコ準優勝とその後の連敗について勝手に話したいと思います。


ところで、福田が引退した年、2002年のレッズは、(個人的には好きではないが、)最高のFWエメルソンを中心に山瀬などの活躍でリーグでは優勝争いをしていました。

年齢的な問題から福田の引退は間近であることは確かだったので、

引退前に何とか花を持たせたい、選手、そしてサポーターの多くはそう思ったはずです。


リーグ戦優勝争いの中、ナビスコカップは決勝まで上り詰め初のタイトルをとる機会を得ました。

初のタイトルが今そこに!決勝の相手は常勝「鹿島アントラーズ」。


戦前の勢いではレッズのほうが上だった気がしました。しかし、結果は惨敗

スコアは正確に覚えていないのですが、確か2-0か3-0。結果以上に内容に差がありすぎました。

王者の貫禄をまざまざと見せ付けられ、試合巧者の鹿島に完全にやられました。

福田にカップを掲げてほしかったので、(これまでになく)必死で応援しました。しかし、

「負けた・・・」


ただ、本当にいい勉強をさせてもらったと思いました。


まだ、甘い!何かが足りない!!!


そして、その後、Jリーグでも連敗を喫し、J優勝も自ら逃してしまいました。


ナビスコ敗退、その後の連敗から、足りないものが明らかになりました。


「気持ち」


エメ、山瀬、達也を始め、多くのいい選手を獲得していたレッズは、弱小時代とは全く違った様相を見せていました。


このあたりのシーズンから、(エメの個人技も目立ちましたが、)レッズのサッカーは「球蹴り」から脱出していた気がします。

サッカーをしてました。

以前のレッズは、ディフェンスで奪ったボールを早く前へけりだし、速攻で点を取るというパターンでした。

野次にもありましたが、「球蹴り」という表現がピッタシのサッカーでした。

戦術は

「前へ蹴る」

勝つ時は、これに専念できた時。


ただ、上位争いが出来るようになったレッズは、個人の技術レベルの向上もあり、様々な戦術(エメに渡してただけじゃねーかとか言わないで!)を持っていた気がします。客観的に見ていても面白いサッカーになっていました。


だけど、ナビスコ敗退、Jでの連敗。
足りなかったのは、かっこよく言えば、メンタリティー


これは具体的に言葉ではかけません。

でも、試合を、特にナビスコ決勝、見れば分かると思います。

感じてください。

サッカーは技術だけじゃないんです!!本当に!!

だから、俺はサッカー観戦が好きなんです。

ここら辺の話は、いつか高校サッカーの話をする時にもお話できたらと思います。


福田は、このシーズンをもって引退しました。(詳しくは次回)

結局、主要なタイトルは一つも取ることは出来ませんでした。



次のシーズン、レッズは再びナビスコ決勝の場に!

歴史のすごさを感じて下さい!相手は「鹿島アントラーズ

神様がめぐり合わせたとしか思えません!


試合結果は、3-0。


レッズ優勝です。


試合内容もレッズの完勝


本当に、うれしかった。


書いてても泣きそうになる。

この試合、本当に、気持ちの入った戦いを見せてくれました。

(前年度も、気持ちは入っていたのですが、入れ方が違った。そこがメンタルの難しいところ。空回りというのかな・・・)


うれしい。。。これ以上書けない・・・・。


でもそれじゃ、いけないので、

ま、とにかく、このナビスコ決勝の2試合は是非、小学校の道徳の授業とかで取り上げてほしいです。


現実の厳しさ努力の大切さ

ナビスコ準優勝までのつもりが、つい興奮して優勝までさせてしまいました。


それでは、次回こそ、われらがミスターレッズ、福田正博の引退について勝手に語らさせてもらいます!


それでは、皆さん、

We are Reds !

弱小時代のスタジアム

またまた更新っす!

気合入れすぎかな・・・

ま、そのうち飽きると思うのでそれまでお付き合いください。


今日は、弱小時代のスタジアム観戦の感想について書かせてください。

弱かったころのスタジアムは、駒場、大宮競技場、国立と何回か行きました。

大宮以外はゴール裏ではなかった記憶があります。


一番印象に残っているのは、確か中学か高校1年ぐらいに行った大宮競技場。

めっちゃ狭くて、選手近くねー!?って思いました。

このスタジアムでは印象に残っているシーンが二つあります。


一つは岡野。

僕の目の前までダッシュをしてきて、エンドラインを割りそうなボールを必死に追いかけて、追いついて「おーー!」って歓声が上がりました。すげーと思ったのも束の間、あとはフリーで中央にセンタリングというところで、とんでもない所に。。。

当時の岡野を象徴する一つのシーンでしたが、さすがに

「へたくそ!!!」

と叫んでしまいました。

すると横にいた美人なお姉さんに「本当よねー」って話しかけられました。

ガキだった俺は、照れてしまいおどおどしていた記憶があります。



それから、もう一つはサポーター。

今の埼スタのように歓声が異常に大きかった記憶はあまりない(大宮競技場の収容人数は多分2万ぐらいかな・・・)のですが、

熱狂的でした。

相手選手が、コーナーキックを蹴ろうとしたところ、大きなブーイングが巻き起こり、

さらに大旗で相手選手の頭をゴツンと。。。

おいおい。。。ガーン

そりゃまずいだろ。。。

速攻、警備員に怒られてましたけど、強烈な印象でした。このスタジアムは何でもありなのかと。


当時の大宮競技場(今でもかもしれませんが)は、チケット買って中に入る意味がほんとにあるのかと思えるぐらい外から丸見えで、少年団の試合のようなほのぼのとした中で行われていました。

もう、絶対あの時代には戻れないだろうな。


次は、駒場競技場。実家から近いのでサテの試合も含めて何回か訪れましたが、どれもゴール裏ではなかったと思います。

駒場で印象に残ったシーンは、これも弱小を象徴するシーンなのですが。。。


前半、全く得点の香りもしないまま前半が終了し、ハーフタイムに控え選手たちがウォームアップをしてました。

FW選手などがシュート練習らしきことをしていたのですが、、、なんと、、、15分間シュートして一度もゴールに入らず。

ディフェンス無しでですよ!!

終了間際、さすがにまずいと思ったのか、某FW選手が無人のゴールへシュート!見事にゴール上空を越えていきました。

友達と見に行ったのですが、二人で

「結局、一回も入らなかったよな。。。」

って。。。予想通り、無得点のまま敗戦しました。


もう一つ、これはサポーターのサッカー好き度を物語るシーンですが、試合前のボーイズマッチでのシーン。

試合の前座として、少年たちが試合をするボーイズマッチ。

小学生の子供たちが2万人程度のレッズサポの前で試合をするわけです。

うらやましいといえばうらやましいですが、もうドキドキでしょう。

そんな中、フリーで裏へ抜け出した子供が、絶好のチャンスをはずすとスタジアム全体から

「あーーー・・・」

とため息。

いや、相手はプロでなく小学生ですよ!!!2万人の観衆に「あーーー・・・」って。


俺なら耐えられません(T_T)。


試合をある程度真剣に見ていたからこそ、各人つい出てしまったのだと思います。


しかし、2万人集まったスタジアムでは、それが大きな


「あーーー・・・」


になり、一人の少年を襲うのです。小心者の俺には耐えられません。

ため息を漏らした人たちは、もちろん、少年を攻めるつもりはなく、

純粋にゴールに繋がらなかったことを嘆いただけなんだと思います。

大人の目線から見れば、これは、試合を見てくれているからこそであり、幸せなことだといえますが。。。

前座でも、みんな真剣に見てるんだなって思いました。


そして、国立競技場。


鮮明に覚えているのは、ガンバ戦。エムボマです。

強烈でした。レッズディフェンスは全くその技術とスピードについていけず、てんてこ舞いでした。

何せ相手はエムボマですから。その試合の彼は特にすばらしく、2、3点取られたような気がします。

サッカー選手の中にも、格の違いが存在することを初めて目の当たりにした試合でした。


当時の試合中は、味方にも相手にも面白い野次が満載でした。

「球蹴り見にきたんじゃねーぞ、サッカーしろ!」

「抗議する前に練習しろ!」

「ラグビーじゃねーんだぞ!」

(いいポジショニングに福田がいるにもかかわらず、誰もいないニアにセンタリングをあげたレッズの選手に対して)

「福!もっと前に来てやれ!とどかねーんだよ!」


(倒れた相手選手のために、担架を運んできたスタッフに対して)

「4人もいらねーぞ!3人でいいよ!」


(担架で選手を運ぶスタッフに対して)

「おせーよ!おぶってけ!」


とにかく面白い野次を言う中年親父が必ず一人は近くにいて、野次を飛ばしていました。

自虐的なのも多いため、昔の阪神ファンに通じるところがあったような気がします。


ま、ほんとに楽しかったです。今の埼スタの雰囲気も大好きですが、当時も忘れられません。


それでは、次回は・・・ついに福田選手の引退について勝手に語っちゃいますか。


それでは、皆さん、

We are Reds!