岡田歩です。(自己紹介はこちら)
先日の土曜日、めっちゃ寒い日でしたが
映画を観に行ってきました。
上映期間が4日しかなくて
絶対に見逃したくなかったのです。
クイーンの伝説的ライブ映像『QUEEN ROCK MONTREAL』。
クイーンのツアーで最高峰とされる1981年のライブの映像です。
曲はまるでベスト盤のようなラインナップで
しかも応援上映といって、声を出したり、立ち上がってOKな映画で
めちゃ楽しめました!
めちゃ楽しめただけでなく
すごく癒されたんです。
クイーンって全然癒し系ではないと思うんです。
そのうえ、ボーカルのフレディは、
当時、めちゃくちゃ生活まっただ中だったはず。
フレディは1998年に45歳の若さでエイズの合併症で亡くなります。
数年前に大ヒットした映画『ボヘミアン・プソディ』を
見た方は、ご存じだと思うけれど
ものすごい才能はあるけれど
かなり激しくやりすぎ感のある生き方をした人。
そんなフレディのことを
今は好きなんだけれど
1980年代年のリアルタイムのときは、
私はだいぶ苦手だったなぁ。
10代の頃、自分の出っ歯がめちゃコンプレックスだったから
かなりの出っ歯のフレディーに人気があるとか意味不明だったし
身なりも動きも私にとっては異質すぎて、キモかった。
昨日、映像を見て、自分がなぜキモと
感じたのかよくわかった。
私の自我の囚われのせいですね。
今となっては、クイーンは大好きなんですが
自我はたまーに
ちょっとキモくない?って言ってくる(笑)
それでも、昨晩は、癒され感があったんだよなぁ。
スピリチュアルなヒーリングって
癒し系だとか、そうじゃないとか
どう思うとか、どう思わないとか
そうした資質や自我という制限を超えるものだと
改めてひしひし感じました。
制限を超えるというのは
制限を無効にすることとは限らなくて
制限を包みつつ、それよりも大きな本質が
表現されるといったほうが正確です。
全然癒し系じゃないフレディたちに
癒される自分を感じて、そんなことを思いました。
ヒーリングって「悪い所をよくするもの」や
「何かをもっとよくするもの」っていう
イメージかもしれない。
そうしたイメージはヒーリングを小さく見積もっています。
自我や資質の制限だけじゃなく
良いこと、悪いこと
望まないこと、望むこと
の制限を超えていく。
それがスピリチュアルなヒーリングです。
スピリチュアルなヒーリングをもたらす源泉は
生命そのもの、あるいは全体性。
私たちは命だし
全体性の中からはみ出る存在はいないから。
全ての人がヒーリングの中にいる。
自我やら資質や肉体がどうであれです。
たとえ"見かけ上は"ヒーリングの中に
いないように見えるときだって
絶対にはみ出ない。
つまり
ヒーラーであってもなくても
誰もが癒し人で、誰もが癒され人。
こんな実話を思い出しました。
子供の頃から激しく嫌ってきたお母さんが
重病になって、しかたなく看病した女性の話です。
看病しているうちに、話をするようになって
亡くなるちょっと前に
お母さんに
「人生の終わりになってから
自分の人生を生きようとしても遅いのよ」
と言われ
自分の人生を立て直す気持ちになったそうです。
そして、亡くなる瞬間、お母さんは
はぁぁぁーっと息を飲むような呼吸をして、人生を終えていきました。
「あの呼吸はなんだったんだろう」
自分の人生を生きるべく自己探求しているうちに
この女性に目覚めの瞬間がやってきました。
そのとき、お母さんが亡くなるときとまったく同じ呼吸が起こり
お母さんに何が起こったのかわかったそうです。
お母さんも娘さんも癒し人であり癒され人です。
良いこと、悪いこと
望まないこと、望むこと
の制限を超えれば超えるほど
癒し人であり、それと同時に癒され人に
なっていきます。
今週末からヒーリング講座が始まるというこの時期に
フレディを見て、そんなことを思いました。
あなたもきっと誰かに(何かに)癒され
きっと誰かの癒し人です。
それは、なんていうか
ほっとする世界ではないかしら?
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