ありしょうです。ウインク

 

 突然ですが、恐山に行って来ました。

 しかも宿坊で一泊です。びっくり

 

 何故かというと、以前にも来たことがあったのですが、

 そのとき「ここで夜の景色が見てみたい!」となり、

 しかも場内に宿泊施設まであると知り……

 

 実行しました。

 

 ではさっそく。

 六地蔵様のお出迎え。「また来ました~」

 ちなみにこの六地蔵様は、拙作のアイデアに使わせていただきました。ニヤリ

 

 楼門をくぐって入場です。

 

 何度来ても、この独特の雰囲気はいいですね。

 

 賽の河原。風車がカラカラと回ってます。

 

 宇曽利湖です。きれいですよね。景色もいい。

「昼は」ですけれど……ニヤリ

 

 さて、今回宿泊させていただく宿坊吉祥閣です。

 結構な大きさで、相当数が宿泊できそうです。びっくり

 

 ロビーです。

 

 部屋もかなり広いので、大人数でもいけるかとキョロキョロ

   

 広いお部屋を一人で使わせていただきましたニヤリ

 

 夕食の精進料理爆  笑

 他の方のブログで、夜食が必要と書かれていましたえー

 ご飯のおかわりは自由なのですが、

 雰囲気的にちょっと……。

 なので、夜食はあった方がいいかもです。

 

 

 さて、この後いよいよメインイベント!

 誰もいない夜の恐山を散策したいと思いますおねがい

(※ 外門とは別に、宿坊にも門限があるので要注意です)

 

外門は既に閉まっています。

これで誰も入ってこれません。

まさに隔絶された世界ですキョロキョロ

 

 昼間は色鮮やかだった楼門も、闇に溶け込んでいます。

 

 拝殿にも誰もいません。(当たり前ですが)

 

 夜の宇曽利湖。気を抜くと引き込まれそうに……ガーン

 なりませんねてへぺろ

 

 暗闇にさざ波の音。ここでしばらくぼーっとできました。

 

 別世界のような雰囲気。落ち着いた時間を過ごせました。

 

 

 日本の三大霊場とか、恐山という名前とか、独特の景色から「おそれ」られているのでしょうが、自分にとっては落ち着く場所でした。

 

 またふらっと寄りたいですね。

 

 ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

 前回の終わりに告知しました、今回は七戸に伝わる「姫塚伝説」を取り上げたいと思います。

 

 なぜここで取り上げるのか?ニヤリ

 それは「あかてこ」の伝承を追っていたら見つけたからです。しかもかなり似たような話ですので取り上げずにはいられませんでした。

 

私の勝手なイメージです……ウインク

 

 では改めまして「姫塚伝説」です。

 これは地元ではよく知られている話のようで、七戸城跡にその塚はありました。キョロキョロ

 

 横にも小さな塚があります。

 

 そして案内板もしっかりとありました。

 

「姫塚」の伝説

 

 昔、七戸城の殿様には美しいお姫様がおり、身分の低い武士と恋仲となり、それがある日、殿様に知られ、相手の武士は殺されてしまったそうです。

 その殺された武士の後を追い、お姫様も自害したと伝えられています。

 ここにある二つの塚は、お姫様と武士がこの世では一緒になれなかったが、あの世で二人が一緒にいられるようにという思いで、二人が埋葬されたものと言われております。

 

 ※あくまで諸説ある中の一説です。

 

ここにある石碑は昭和四十七に、三百年忌追善供養のために建てられたものです。

 この姫塚の呼び方にはさらに諸説があり、「姫ヶ塚」「鍋塚」などとも呼ばれております。

                                      七戸町観光協会

 

 諸説ある中の一説とのことですが、あまりにも似すぎていますね。凝視

 令和の時代に生まれていれば、こんな悲話にならずに済んだのかな?

 身分違いの恋にまつわる悲話が(実際に多かったのか、それとも後世に誰かが付け加えたのかは不明ですが)伝承の始まりなのは間違いなさそうです。

 

 ちなみにこの姫塚伝説にはこんな説も見つけました。

 

 今から三百年ぐらい前、現在の柏葉公園の場所に七戸城がありました。そこには美しい姫がいました。名前はお稲姫といい、その父である殿様は、姫が成長するにつれますます美しくなるので、年頃になったらどんな立派な人と結婚するのか、どこの国から縁談がくるか、とても楽しみにしていました。

 ところが、当時家来の中でもひときわ目立つ美男子があり、姫はいつしか身分の違いも忘れ、この男を好きになり、殿様の目を盗んでは会うようになりました。

 やがてほかの家来や女中に見つかり噂にのぼるようになり、とうとう殿様の耳にもはいってしまいました。

 殿様は身分が違うとか、見苦しいとか、武士道にあるまじき行為であるとなじりながら二人とも打ち首にしてしまいました。まだ十六才の若さだったそうです。

 その後、毎夜姫の悲しい泣き声が聞こえてくるようになりました。それは何か思いのこすことがあるかのような泣き声でした。

 泣き声が毎夜毎夜聞こえてくるので、殿様は哀れをもようし、裏の堀のほとりに小高い社を造り、二人のとむらいをしました。そして「自分の非をさとるならば逆さ杉を立派に育ててみせよ」と杉の木を二本植えました。そうすると年ゆくごとに、不思議にも大木となって育ちました。聞くところによると、枝もさかさにのびる木であったということです。

 この大杉はおしくも太平洋戦争の時、護国の一翼にと献木されたそうです。

 稲田姫のまつられている姫塚は、今は淋しい場所になっていますが、一度そのそばにたたずんでみて下さい。昔七戸が城下町であったころのことが、それに悲恋に終わった美しい稲田姫が、目の前に浮かんでくると思います。

 

【「姫塚由来記」(七戸城悲恋物語)】

 

 お稲姫という具体的な名前までありました。びっくり

 

 身分違いの恋、からの悲恋。いつの時代でも人を引き付ける何かがあるのでしょうね。

 

 せっかくなので、もう一つのお話を。

 「あかてこ」を調べていたら「かん子伝説」という話も知りました。

 これはいくつか他の方もブログで紹介しているので内容はざっくりとしか書きませんが、

 

『岩淵かん子は八戸藩士の家に嫁いだが、夫に他に好きな女性ができたため、母子とも川に突き落とされ溺死。さらに、銀杏の根元に逆さ埋めにされたため、幽霊となって現れるようになった。それから女の人の泣き声が聞こえるとか、火の玉まで目撃されるようになった。地元の人たちは、かん子の祟りだと言って、高台の銀杏の木の根元に、供養碑とかん子稲荷神社を建立して霊をなぐさめた』

 

というものです。

 

 せっかくなので寄ってみました。訪れる人がいないせいか、社も廃墟のようです。

 

 

 

 供養碑も何て書いてあるのか、判別できません。

 

 今回「あかてこ」を調べていたら、その地域に似たような話がいくつか伝わっていることが分かりました。

 元々は1つだった話が、時間と共に分れたのかもしれないし、どれも実際に起きた出来事だったのかもしれません。

 

 こういった伝承は日本の各地に存在します。

 

 また時間を見付けて、ちょっとだけ歴史を遡る調査をしたいと思います。(ほぼほぼ我流ですが 口笛

 

 ではその時に『伝承の始まりを追って』でお会いしましょう。ニコニコ

 

 日本各地に昔から伝えられている民話。

 そういった伝承には何か元になる話が実在しているのではないか?

 小説を書く過程で調査・収集した資料(主に伝承系)について、そんな視点で考えてみました。

 

 前回に引き続き「あかてこ」について。

 

 前回「あかてこ」について、皂莢樹の木があったのでは? という場所までは推測しましたが、では当の本人は誰だったのか?キョロキョロ

 

 今回はそれについてです。

 

 南部夜話には「南部家の何代目かはっきりしないが……」とありましたが、ここで南部家の家系図を見ていきたいと思います。

 ただ南部家というのは結構複雑多岐に分けれる家系なので、ここでは八戸南部家の系図となります。

 

「八戸市ホームページより」

 

 ちょっと見ずらいですけれど、ここで気になるのは、南部夜話に出てきた「山崎家に預けられた……」というところ。

 第5第藩主、南部信興の娘(6第藩主信依の兄弟姉妹)に山崎家へ嫁いだ人がいます。

ちょっと拡大しますと……凝視

 

 名は「栄」。家臣の山崎勘太夫室・早世、とあります。

 

 別の資料にもありました。

 他に息子の賢五郎が養子に出されていますが、この世代にしか山崎家との関わりが見られませんでした。

 早世というのは文字通り若くして亡くなることですが、具体的な年齢は不明です。

 そもそも不義というのが事実なら、それは一族にとって極めて不名誉なことなので、表の歴史に残すようなことはないのでしょうが、ちょっと引っ掛かりますね。

 

 この時代には地震や津波そして大凶作と、大変な事態がいくつも起きています。

 原因はともかく嫁いだ先で亡くなった姫様について、人々の様々な憶測が付加されて「あかてこ」という伝承が生まれたのかな?

 そんな気がします。

 

 さて、素人が調べるのには限界がありましてショボーン、これ以上の情報を得ることは出来ませんでした。

 少しモヤっとしますが「あかてこ」についてはこれぐらいにしたいと思います。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 ……って終わりにしようとしたのですが、じつは調査の過程で気になる伝承を見付けてしまいました。

 

 それは「美しい姫様が身分違いの恋をして、殿様の怒りをかって殺されてしまった」という話です。

 

 あれ? それは今まで書いてきた内容じゃん! と思った方、違います。

 八戸の話ではありません。七戸での話です。

 

 ということで、次回はその七戸の「姫塚伝説」を取り上げたいと思います。

 

 

 日本各地に昔から伝えられている民話。

 そういった伝承には何か元になる話が実在しているのではないか?

 小説を書く過程で調査・収集した資料(主に伝承系)について、そんな視点で考えてみました。

 

 

  第1回目は「あかてこ」です。

 

 青森県の八戸市に古くから伝わる妖怪『あかてこ』。

 南部藩政時代の話らしいのですが、この伝承の原型、つまりモデルとなった人物は実在したのか?

 そんな視点で考察してみました。

 

※ただし、史実の他にも個人的な偏見も含まれています。

 

では、さっそく。

 

 そもそも『あかてこ』とは、どのような妖怪なのか?キョロキョロ

 

 民俗学者(本人は資料収集家と言ってたらしいが……) 

として有名な佐々木喜善氏の著書には、

『陸奥国八戸町、小学校前の皂莢樹(さいかち)の古木から、アカテコと言って、赤い小児の手のような物が下がっていた。この樹木の根元には昔若宮神社という小祠があったが、川崎とかいう家のお婆さんの話だと、この皂莢樹の下に十七、八の美しい娘が振袖姿で立っていたのを見たことがある。この娘を見た者は熱病に罹ると言った』と記されてた。

 

 ネットでも大体同じ内容の話が見受けられました。

こんな感じでしょうか?照れ

 

 あっ、でも熱病に罹ると言うなら、

ホラーっぽくこんな感じ?ガーン

 

 しかし意外と情報が少ない……と思っていたら、ちょうど八戸に行く機会車があったので、調べてみました。

 

 まず向かったのは八戸市立図書館本。そこで郷土資料を探したところ「あかてこ」に関して、以下の記述を見付けることができました。

 

南部夜話

 八戸市馬場町立図書館の横に樹齢年数百年を経たサイカチの大木がある。この木の根元にポッカリ口があいており、内部をのぞくと人が三人入れる位の空洞があって、この穴が大分上の方まで続いている。ところでこの穴から〝あかてこ〟がでるというウワサは旧市内の人なら誰でも知っているほど有名な話である。だがその正体は誰も知らない。〝あかてこ〟は〝赤い手〟だとか〝赤い舌〟だとかいい伝えられてはいるが、出くわした人のことは聞かない。しかしこのサイカチの木が何かのイワレを秘めていることは確かである。

 この木にまつわる旧藩時代の二つの物語を紹介しよう。

 

 南部家の何代目かの時かハッキリしないし、その当時の当事者の名前も伝えられてはいないが、殿様に一人の姫が、どうしたはずみか近習の若侍と恋に落ち密通を重ねるようになったが、やがてこれが発覚しいわゆる〝不義〟の重罪に問われ若侍は処刑され、姫の方は『よきように取計らえ』と家老の山崎家へ預けられた。しかし姫にたいするこの寛大な処置は表向きのことで実は『密かに葬れ』という意味があり、山崎家では庭隅の木の下に穴を掘り姫を逆さに生き埋めにしてしまった。山崎家の屋敷跡は今の図書館と一高のグランドにあり、姫を埋めた場所はサイカチの木の根元である。

 

 いま一つの物語は南部家のお家騒動にからむものである。盛岡南部の二十八代重直公に二男二女三養子があったが、ことごとく早死にし公は世継ぎを決めぬまま歿した。そこで起こったのが世継ぎをめぐる騒動で、一派は公のもう一人の弟直房を立てて争ったが、幕府の処断は南部十万石のうち八万石を重信に与え盛岡南部を継がせ、あとの二万石は直房に与え八戸へ封ずるということだった。しかしこの処置を快く思わぬ重臣が盛岡側にいて直房公(八戸南部の初代)が八戸へおもむくとき梶川、石原という二人の刺客を供のうちにまぎれこませておいた。何年かたち機会をねらっていた二人は遂に目的を達し、直房公の首を抱え山崎家の木のところまで逃れてきたが、犬に吠えられ梶川は山崎家の当主にヤリで突き殺され、石原は一の坂(いまの八高あたり)で追手に斬り殺された。

 

〝若宮様〟というお堂がある。これは不遇にして歿した子供や若者を祭ったものだが、この〝若宮様〟のお堂がサイカチの木の根元についこの間まであった。薄幸な姫か武運つたなく殺された刺客のもので、それが〝あかてこ〟に関係があるのかもしれない。不気味なサイカチの老木を眺めていると封建社会の陰惨な裏面史をうかがうことができる。〝あかてこ〟で有名になったサイカチの木も昨年死に、今年あたり台風でもあれば倒れる恐れがある。サイカチの木は今はない。

 

(八戸市立図書館著 s38.10.15刊行)より

 

なんか少し分ってきましたね。

 皂莢樹の木にまつわる悲劇。ショボーン

 身分違いの恋を不義とされ殺された姫が「あかてこ」の正体だったのでしょうか?

 

 もう少し掘り下げて調べてみました。

 現在はもうないとされる皂莢樹の木。

 では、かつてどこにあったのでしょうか?

 

 姫が埋められた皂莢樹の木は山崎家の屋敷跡で、今の図書館と一高のグランドにあると書かれていましたが、現在の場所とは異なるようです。

 

 別の資料を見付けました。

 元八戸市長が昭和38年刊行の八戸小学校九十周年記念誌において寄せた手記です。そこには「当時の八戸小学校の校舎は大きな木「こうやまき」(現在も市庁舎前ロータリーにある)があるが、これとは別にあかてこが現れると言われた皂莢樹の木もあった。しかし昭和三十五年に八戸市庁舎が新築される時にとりかたずけられた」とありました。

 ちなみに八戸小学校は1873年(明治6年)創立です。

 

 さらに写真も見付けました。

 1959年(昭和34年)八戸小学校のロータリー前にあったサイカチの木です。(八戸市博物館)

 

 なんとなく皂莢樹の木があった場所も分かってきました。

 

 そこで街中を少し散歩しながら見て回ることにしました。すると、八戸市庁舎前の掲示板で、思わぬ発見が!びっくり

 

 八戸小学校とサイカチの木に関する記述と絵です。

 ↓拡大すると

 

 さらにもう1つ。

 南部夜話に出ていた、南部家の「山崎」という家老の屋敷跡地について。三八城公園の掲示板で見つけました。

見にくいですが、中央付近をよく見ると……

さらに向きを変えて拡大すると……

 

 

令和の現在。その場所はこんな感じ↓になってます。

 この辺に「あかてこ」が埋められた皂莢樹の木があったのですね。

 

 これまでに分かったことに憶測を加えれば、「あかてこ」の正体は「許されない恋に落ち、それを不義とされ殺されてしまった南部藩のお姫様」だった(のかな?)。

 では、そのお姫様とは?

 ……それは次の回にしたいと思います。

 

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。ウインク

 もともとマメな性格ではなかったこともあり、転勤ですっかり離れていました。

 ゆっくり再開します。

 気が向いたら立ち寄ってください。

すっかり更新を忘れはや二年近く……。

 

ちょっと思い出したので、超久しぶりの更新です。

 

で、いきなりタイトルが

 

『悪魔からの贈り物』

 

 

↑これです。

 

まったく身に覚えがない……はて? (゜_゜)?

しかも「悪魔の蔵のワイン」と書かれていた。

 

誰かに呪われてるのか、俺? と思いつつ調べると、どうやらTポイントカード絡みの死因……じゃなくて、試飲品らしい。

 

無料だし「新たに料金は発生しません」と書かれてたので開けてみた。

 

 

じゃんっ!

 

『カッシェロ デル ディアブロ』というチリのワインらしい。

ワインなんてまったく分からんのに、と呟きながらもさっそく飲んでみたら、

アルコール度数が普通のワインより高めなのに飲みやすい。(^ ^)

 

まさに悪魔の仕業でしょうね。

 

結構お勧めですよ、これ。

ついこないだ、年が開けたと思ったのに、
もう四月。
まさに矢のごとく時間は過ぎていきます。

ども、ありしょうです。

毎年恒例の“怒濤のごとき年度末”を何と
か乗りきり、四月を迎えました。

見ていた連ドラも次々に最終回を迎え、
また新しく始まりますね。
今度は何を見ようか楽しみです。

趣味で書いてるミステリーは……まあ結
果はともかく、苦しくも楽しいものな
ので引き続き頑張りたいと思います。
……でも、結果も欲しいぞ。
v(*´>ω<`*)v
今年もあと一月を切りましたね。

ありしょうです。

先日我が家で『コタツ』を出しました。

でも、ちょっとコタツ布団に汚れが……。

だから妻と娘と三人で、

新しいのを買いに行きました!

新しいのに替えて、

気分よくゴロゴロしていると、

リビング棚のアイテムのレイアウトが

何だかんだ気になって、

また三人で片付け始めると……

気が付いたら大掃除にっ!!

リビングの棚は、私の書斎へ移設され、

思いきって必要ないものを処分したら……

『何という事でしょう』\(^o^)/

我が家のリビングって、

結構広かったのね(*^_^*)

いやあ、スッキリしました。

これで良い年を迎えられるかな?

来年は何らかの手応えも欲しいので、

今日は書斎を一気に片付けます!


ではでは(@^^)/~~~
気が付いたら11月。
時の流れが(歳のせいではないと思う……)
ますます早く感じる今日この頃。
どうも、ありしょうです。

朝晩はすっかり寒いのに、
昼間は暑い日もあって
何を着たらいいか、困っています。


秋と言えば、公募の秋(?)です。
と言うことで、今年も懲りずに
長編ミステリー1作品出し終りました。

去年の冬頃から書き始めたものの、
すぐに、これは書き終えられないな~、
という状況に。
( ̄▽ ̄;)
さらに数ヶ月手が付けられない始末!
(|| ゜Д゜)

でも、頑張ってなんとか終わりまで
書ききりました。
v(´▽`*)

結果など気にせずに(気にしろっ!)、
次回作の下準備に取り掛かります。
d=(^o^)=b

ハロウィーンも終わって、
次はいよいよクリスマス!!
風邪などひかずに、
楽しく過ごしましょうね\(^o^)/





急激に暑くなりダウン寸前(;つД`)のありしょうです。

先週の事ですが、ドラマ『探偵の探偵』が始まりました。

早速、原作とは異なる展開が予想されて……。

どうなるんだろう?

なんか期待値上がります。


みなさん、夏バテには気を付けましょうね( ´∀`)




美味しい鰻が食べたいな……。