日本各地に昔から伝えられている民話。
そういった伝承には何か元になる話が実在しているのではないか?
小説を書く過程で調査・収集した資料(主に伝承系)について、そんな視点で考えてみました。
前回に引き続き「あかてこ」について。
前回「あかてこ」について、皂莢樹の木があったのでは? という場所までは推測しましたが、では当の本人は誰だったのか?
今回はそれについてです。
南部夜話には「南部家の何代目かはっきりしないが……」とありましたが、ここで南部家の家系図を見ていきたいと思います。
ただ南部家というのは結構複雑多岐に分けれる家系なので、ここでは八戸南部家の系図となります。
「八戸市ホームページより」
ちょっと見ずらいですけれど、ここで気になるのは、南部夜話に出てきた「山崎家に預けられた……」というところ。
第5第藩主、南部信興の娘(6第藩主信依の兄弟姉妹)に山崎家へ嫁いだ人がいます。
ちょっと拡大しますと……
名は「栄」。家臣の山崎勘太夫室・早世、とあります。
別の資料にもありました。
他に息子の賢五郎が養子に出されていますが、この世代にしか山崎家との関わりが見られませんでした。
早世というのは文字通り若くして亡くなることですが、具体的な年齢は不明です。
そもそも不義というのが事実なら、それは一族にとって極めて不名誉なことなので、表の歴史に残すようなことはないのでしょうが、ちょっと引っ掛かりますね。
この時代には地震や津波そして大凶作と、大変な事態がいくつも起きています。
原因はともかく嫁いだ先で亡くなった姫様について、人々の様々な憶測が付加されて「あかてこ」という伝承が生まれたのかな?
そんな気がします。
さて、素人が調べるのには限界がありまして、これ以上の情報を得ることは出来ませんでした。
少しモヤっとしますが「あかてこ」についてはこれぐらいにしたいと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
……って終わりにしようとしたのですが、じつは調査の過程で気になる伝承を見付けてしまいました。
それは「美しい姫様が身分違いの恋をして、殿様の怒りをかって殺されてしまった」という話です。
あれ? それは今まで書いてきた内容じゃん! と思った方、違います。
八戸の話ではありません。七戸での話です。
ということで、次回はその七戸の「姫塚伝説」を取り上げたいと思います。