誰しも、失敗はしたくありませんけど


目的を達成するまでは、ある意味

失敗をし続けるということになります。


(「成功」や「失敗」の意味づけは

 人や状況により様々ですけど)




もし、「結婚すること」が目的ならば


結婚にいたらなかった恋愛関係などは

失敗ということになりますし、


「月収100万円」が目的ならば


達成するまでの過程は

失敗ということになるわけです。



私たちの持つ「失敗」のイメージは

大概ネガティブですよね。


なので、何度も「失敗した」という

経験を繰り返すと、


どうしてもイヤになって挫折してしまいます。


でも、1回で成功してしまうことは少ないため

必ず失敗をし続けることになります



なので、失敗はマストなのです。


起きてはいけないネガティブなことではなく、


むしろ失敗経験を積んでいかないと

目的を達成できないのです。


失敗をすることは

目的を成し遂げるための、検証なのです。


失敗はどんどんすべきです。


むしろ、失敗をしなくてはいけない。



ただし、闇雲にやらないこと


検証するために、

意味ある“失敗”でなくてはいけません。


何の意図もなく、無意識に失敗を繰り返すのは

無意味に自信をなくすだけです。



「あ、この方法はよくなかった」

「これは自分には合っていない」

「こうすると、こうなるんだな」


という検証を積み重ね

自分なりの答えを出していきます。



そこに、あまり一喜一憂せずに


淡々と“失敗”をし続けること。



さぁ、また“失敗”するぞー






 

 

『孤独』かどうかというのは、

 

傍(はた)から見て

一人でいようと、大勢に囲まれていようと

 

あまり関係がないものです。

 

一人でいても孤独を感じていない場合もあるし

 

大勢に囲まれていても孤独だという場合もある。

 

 

一般的には、

 

周囲から切り離されて孤独を感じる場合

心身に悪影響があったりしますが、

 

そんな場合は、適切な支援が

必要かもしれません。

 

 

ただ、孤独がいけないものでもないし

 

孤独だからといって

 

誰もが寂しくてどうしようもない

ということでもないわけです。

 

寂しさを埋めようと

 

闇雲に繋がれる人を求めて

一瞬、寂しさを紛らわせたとしても

 

結局また寂しくなってしまう。

 

寂しさや孤独を感じたくなくて

外側の誰かや何かで埋めようとしても

 

そういうものは

“逃げる”と“追いかけてくる”ものです。

 

元々、人は一人だし

孤独を感じることを必要以上に嫌わなくてもいい。

 

気の合う友人や

本当にわかり合えるパートナーがいれば

 

それはそれで素晴らしいことだと思います。

 

でも、人は唯一無二の存在だし

ピッタリ合うなんていうのは幻想です。

 

 

それに、

 

「自分を生きる」

という覚悟みたいなものを持つ人や

 

周りとは大きく違う意識で生きる人は

 

どうしたって孤独だと思うのです。

 

しょうがないことです。

 

ただ、そんな人の思いや考えに

共感する人たちはいるかもしれません。

 

たとえ人気者の人生ではなくとも

 

上質の孤独を味わい生きる

 

そんな人生もいいと思いませんか?

 

 

 

 



社会不適合とは、

社会に適合しない、しづらいということ。


今の社会に適応できないと

当然、生きづらいわけです。


昔に比べれば、多様性が受け入れられ

いろんな生き方が可能な社会になりました。


社会に適応していくことも

生きていくためには必要なことだけど、


自分にとって生きやすい環境を

自分で探したり、整えることも

可能な時代になりました。



学校が合わなければ

リモートや通信制、フリースクールもある。


友達や恋人がいなければ

世界中のコミュニティから探せる。


生きていく糧だって

いくらでも生み出せる可能性があって、


様々な特技やサービスを販売したり

作品を世界に向けて発表することもできる。

(お金に替えられるプラットフォームがすでにある)



むしろ、小さな社会の枠に

収まって生きていく方が


可能性を狭めてしまうのかもしれません。



社会に適合する自分に

なろうとするのではなく、


自分に適合した環境を

自ら創り出すことができる時代なのです。


それを、求めるかどうか

それは、自分次第です。






他人でも、自分でも機嫌がいい

気持ちよく過ごせます。


「機嫌がいい」状態とは、いわゆる


「波動が高い」状態とか

「運気がいい」状態とも

言えるかもしれません。


つまり、物事を円滑に進められたり

人との良い関係やご縁を呼び込んだり


いわゆる運の良い状況に持っていける

ということです。



もし、相手も自分も

イライラ、モヤモヤしている状態だと


何となく物事が上手く運ばないな…

と感じるものです。


そう考えると、自分や相手の機嫌をとるのは

けっこう重要なことだと思います。



ご機嫌て、どうしたら良くなるでしょう?


自分の機嫌をとるのは

できる人はもうとっくにやってると思うので、


どうしたら自分の機嫌がとれるのかが

わからない場合は、その時点で


あまり上手くないのかもしれません。


私は、自分より、相手の機嫌

とることを考えます。


その方がわかりやすいので。

(相手の機嫌ばかり

 気にするのはよくないですが)


相手が求めていることは何なのか

を考えるのです。


「話を聞いて欲しいのか?」

「静かにして欲しいのか?」


「さくっと早くして欲しいのか?」

「じっくり丁寧にして欲しいのか?」


相手によっても、場面によっても

シチュエーションは様々です。



できれば、最初から機嫌のいい人と

いられれば一番いいのですが、


そうもいきませんので。



「どうしたら相手が喜んでくれるか?」

「どうしたら相手が笑顔になってくれるか?」


を、いつも考えられれば

結局は自分の運も良くなると思うのです。


相手(他人)が喜べば、大抵の人は

自分も嬉しくなりますから。


人の笑顔っていいものですよね(*^^*)










一時から、競争する(させる)ことが

懸念されるようになりました。


競争が加熱すると、


なりふり構わない

他人を蹴落としてでも

不正をはたらいてでも


といったことになりやすいのは確かです。


そして、競争した結果で

勝ち負け優劣をつけられてしまいます。



私も、これまで様々なコンプレックスを抱き

自信を失い、傷ついてきました。


人間誰しも、

自ら辛い思いはしたくないものです。


競争などしたくないですし、


勝ち負けなどで自分の価値を

はかりたくはないです。



ただ、振り返って思うのは、


もし競争がなかったら

怠け者の自分は成長しなかっただろうと。


たしかにその最中は

キツイ思いをしているのですが、


競いあってるうちに

能力が上がったり、腕が磨かれていっている


それは、気付かないうちに

いつの間にかなっているもので、


辛いことの連続で

自分には見えてないことかもしれません。



でも、今の自分を自分たらしめている要素は

競争に揉まれる中で作られたものもあって、


それを認めることは

自分を肯定することにもなります。



競争社会の是非善悪を議論することは

あまり意味がないと思うのです。


良いところも悪いところもあるので。


その時の社会のルールや、潮流を

読んで生きていくしかないです。



スポーツゲームが楽しいのは

ルールのもとで競えるからで、


もしプレイを楽しめない、苦しいと思うなら

無理する必要はないと思います。


そのことを責めなければいいだけです。


肩の力を抜いて

楽しくプレイしましょう♪