ロックんとの日々

ロックんとの日々

ロックんとは愛用のギター・アンプ Hughes & Kettner Grand Meister 36のこと

善悪の彼岸からの視点で思ったことを書きます

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このたびの株の大暴落で

 

大きな損失を被った。

 



全部でいくら失ったか見る気にもならない。

 

私が「失った」と言っているのは

 

実際に無くしたお金であって

 

評価損益が下がったことを言っているのではない。

 

よく、

 

「株は下がれば上がるからね」

 

と言う人がいるが

 

それは持ち株の評価が今は下がっているが

 

いずれ上がる、という意味で

 

私の場合はそうではない、

 

信用取引でいわゆる追証をくらい、

 

現金残高だけでは足りず、

 

現物株の多くを売却したのだ。

 

その株の中には莫大な含み損のものがあった。

 

実際に現金を失ったのだ。

 

 

 

 

オンラインで話している友人にそれを言った。

 

友人は損失はアメリカドルでいくらかと聞く。

 

私はそれを言いたくない。

 

なぜならドル換算すると少しに感じられるからだ。

 

もちろん円高になったから株は下がったわけだが

 

そもそも大変な円安なのだから

 

ドルで考えたくはない!

 

 

 

 

 

火曜日は史上最大の上げ幅だった。

 

 

あと一日早ければ

 

大金を失わずに済んだが

 

それを言ってもしかたがない。

 

信用取引とはそういうものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いわゆる労働をしなくなって丸4年以上が経った。

 

それで生活の水準はどうかと言えば、

 

特に変わりはない。

 

この4年で変わったものは幸福感だ。

 

それまでは自分が幸福だと感じたことはあまりなかった。

 

世間から一歩離れたことで、見えてきたものがある。

 

多くの人々が仕事に追い回されている。

 

多くの人がお金を稼ぐためだけに仕事をしている。

 

そして多くの人は目的さえ考えず仕事をしている。

 

まるで仕事をしなければ死んでしまうとでも言うように。

 

動けなくなるまで働くという人は珍しくない。

 

そういう人は労働すること自体に価値を見出している。

 

政府からすれば

 

年金を払わなくて済むのでそういう人が増えるほどありがたい。

 

だから勤労は国民の義務だと言われる。

 

しかし、本当にそうなのだろうか?

 

 

私はそれは作為的に作られた道徳観だと考えている。

 

毎日仕事に行かなくても規則正しい生活は送れる。

 

地域貢献や社会活動もできるはずだ。

 

今の時代、人との交流はスマホ一つあれば誰とでもできる。

 

 

 

世間体や道徳に縛られず、

 

自分を欺かず、本当に有意義だと思える日々を送ることこそ

 

重要なのではないか。

 

 

 

 

突き詰めて言えば、

 

2つの生き方しかない。

 

・美的で官能的な生き方

 

 自分自身の楽しみ、快楽のために生きる。

 

必ずしも浅薄な生き方になるわけではない。

 長い目で見れば、たいてい他人の利益にもなる。

       ↓

 快楽に突き動かされ刹那的な生き方をする。

       ↓

 生活が支離滅裂で安定性や安心感が得られない。

 そのつどそのつど心に訴えてくるものに対して快楽を求める。

       ↓

 外的世界に依存し、期待する。

       ↓

 受動的な生き方、自由がなくなる。

       ↓

 自分の意思でコントロールできない権力、支配欲、友情のようなものに翻弄される。

       ↓

 偶然の出来事に左右される。

       ↓

 安心感が得られないとわかる。

       ↓

   絶望(自分では気付かない)

なかには絶望を自覚しながら、絶望に人生の意味を感じる人もいる。

 「確かなものはこの絶望しなかい」

 

 「生まれつき絶望する運命だったのだ」と自分を慰める

 

 英雄的な絶望に誇りを感じ、穏やかな心持ちになれる。

 

    キルケゴールはその魅惑的な運命主義を批判

 

 自由を生み出すもの、自由の可能性を捨て去っている。

 

 運命付けられているなら、自分の運命に対する責任を捨て去るようになる。

 

   そうなると運命に弄ばれ、

 

 どう生きても自分の過失にもならなければ功績にもならない。     

 

だから官能的な生き方から抜け出すべきだ。

 

       ↓

 人生に対する全責任を引き受ける

 

 意思的な決断を行って自分を創って行く

 

 深く誠実に意思を働かすしかない

       ↓

 

・倫理的な生き方に到達

 

主体的なあり方が絶対的なものになる。

 

 

「自分の生き方を選ぶ」ことは、

 

一人ひとりの人間が自分の行動に対して全責任を負うこと。

 

 

その人のあり方が根底から決められてしまう。

 

 

自分なりの生き方のゴール

 

自分自身を知ろうとする。自分独自の選択をすることで自分を変化させていく。

 

自分で発見したことをそのまま受け入れるのではなく、

それをさらによくしていこうとする。

   

理想の自分になろうとする。

      ↓

もはや偶然的な存在、矛盾した存在ではない。

 

 

自分の人生のなかで普遍的なものを表現する。