官能的な生き方と倫理的な生き方 | ロックんとの日々

ロックんとの日々

ロックんとは愛用のギター・アンプ Hughes & Kettner Grand Meister 36のこと

善悪の彼岸からの視点で思ったことを書きます

突き詰めて言えば、

 

2つの生き方しかない。

 

・美的で官能的な生き方

 

 自分自身の楽しみ、快楽のために生きる。

 

必ずしも浅薄な生き方になるわけではない。

 長い目で見れば、たいてい他人の利益にもなる。

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 快楽に突き動かされ刹那的な生き方をする。

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 生活が支離滅裂で安定性や安心感が得られない。

 そのつどそのつど心に訴えてくるものに対して快楽を求める。

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 外的世界に依存し、期待する。

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 受動的な生き方、自由がなくなる。

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 自分の意思でコントロールできない権力、支配欲、友情のようなものに翻弄される。

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 偶然の出来事に左右される。

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 安心感が得られないとわかる。

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   絶望(自分では気付かない)

なかには絶望を自覚しながら、絶望に人生の意味を感じる人もいる。

 「確かなものはこの絶望しなかい」

 

 「生まれつき絶望する運命だったのだ」と自分を慰める

 

 英雄的な絶望に誇りを感じ、穏やかな心持ちになれる。

 

    キルケゴールはその魅惑的な運命主義を批判

 

 自由を生み出すもの、自由の可能性を捨て去っている。

 

 運命付けられているなら、自分の運命に対する責任を捨て去るようになる。

 

   そうなると運命に弄ばれ、

 

 どう生きても自分の過失にもならなければ功績にもならない。     

 

だから官能的な生き方から抜け出すべきだ。

 

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 人生に対する全責任を引き受ける

 

 意思的な決断を行って自分を創って行く

 

 深く誠実に意思を働かすしかない

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・倫理的な生き方に到達

 

主体的なあり方が絶対的なものになる。

 

 

「自分の生き方を選ぶ」ことは、

 

一人ひとりの人間が自分の行動に対して全責任を負うこと。

 

 

その人のあり方が根底から決められてしまう。

 

 

自分なりの生き方のゴール

 

自分自身を知ろうとする。自分独自の選択をすることで自分を変化させていく。

 

自分で発見したことをそのまま受け入れるのではなく、

それをさらによくしていこうとする。

   

理想の自分になろうとする。

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もはや偶然的な存在、矛盾した存在ではない。

 

 

自分の人生のなかで普遍的なものを表現する。