突き詰めて言えば、
2つの生き方しかない。
・美的で官能的な生き方
自分自身の楽しみ、快楽のために生きる。
必ずしも浅薄な生き方になるわけではない。
長い目で見れば、たいてい他人の利益にもなる。
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快楽に突き動かされ刹那的な生き方をする。
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生活が支離滅裂で安定性や安心感が得られない。
そのつどそのつど心に訴えてくるものに対して快楽を求める。
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外的世界に依存し、期待する。
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受動的な生き方、自由がなくなる。
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自分の意思でコントロールできない権力、支配欲、友情のようなものに翻弄される。
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偶然の出来事に左右される。
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安心感が得られないとわかる。
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絶望(自分では気付かない)
なかには絶望を自覚しながら、絶望に人生の意味を感じる人もいる。
「確かなものはこの絶望しなかい」
「生まれつき絶望する運命だったのだ」と自分を慰める
英雄的な絶望に誇りを感じ、穏やかな心持ちになれる。
キルケゴールはその魅惑的な運命主義を批判
自由を生み出すもの、自由の可能性を捨て去っている。
運命付けられているなら、自分の運命に対する責任を捨て去るようになる。
そうなると運命に弄ばれ、
どう生きても自分の過失にもならなければ功績にもならない。
だから官能的な生き方から抜け出すべきだ。
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人生に対する全責任を引き受ける
意思的な決断を行って自分を創って行く
深く誠実に意思を働かすしかない
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・倫理的な生き方に到達
主体的なあり方が絶対的なものになる。
「自分の生き方を選ぶ」ことは、
一人ひとりの人間が自分の行動に対して全責任を負うこと。
その人のあり方が根底から決められてしまう。
自分なりの生き方のゴール
自分自身を知ろうとする。自分独自の選択をすることで自分を変化させていく。
自分で発見したことをそのまま受け入れるのではなく、
それをさらによくしていこうとする。
理想の自分になろうとする。
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もはや偶然的な存在、矛盾した存在ではない。
自分の人生のなかで普遍的なものを表現する。