セイカンレンラクセンに乗ってみたいと思いまへんか。 | 小豆島のエンジェルロードから徒歩圏内のたこ焼きBar「ナニワのあきんど日誌」

小豆島のエンジェルロードから徒歩圏内のたこ焼きBar「ナニワのあきんど日誌」

全国25都道府県の「粉もん」を食べ歩き、約2年掛けて新潟県、香川県、北海道、兵庫県、長崎県を渡り歩いた大阪出身者が、小豆島の「迷路のまち」でたこ焼きBarを営んでいます。

3月7日(木)通常営業

11:00~22:00(L.O.21:30)

※エンジェルロードBest timing 16:50頃



セイカンレンラクセンに乗ってみたいと思いまへんか。

毎度おおきに「MめAいZずE」でおま。



1908年(明治41年)の今日、3月7日は青函連絡船の開業日になるみたいなんですなぁ。

若いお宅はんなんかは、セイカンレンラクセンなんて言われてもわかりゃしまへんやろなぁ。



石川さゆりの「津軽海峡冬景色」っちゅうた方が分かりやすいかも知れまへん。



青森県と北海道の間に流れてる津軽海峡を往復してた船の事ですねんけど、青函トンネルが開通するまで88年間を行ったり来たりしてたみたいでっせ。






青函トンネルっちゅうたら、開通する60年以上も前から構想案が上がってたみたいで、1923年(大正12年)に初めて議題に上がったそうですわぁ。



ほんで、1988年(昭和63年)3月13日に無事開通したもんやさかい、青函連絡船はしばらくでお役御免となり終航となったみたいなんですなぁ。



せやから、津軽海峡冬景色が発売されたんは1977年(昭和52年)やそうやさかい、石川はんが「私もひとり連絡船に乗り~♫」っちゅうんは、青函連絡船の事を指してますねん。



今もなお唄い継がれてるっちゅう事は、世代によってはまだまだ青函連絡船が目に焼き付いて離れへん人もぎょうさんおるっちゅう事でっから、88年の歴史はそれだけダテやおまへんって事ですなぁ。



ほな!



※安全面を考慮して夜間を除く潮の引き始めのみ記載



~もしも大阪商人がコテコテの大阪弁で一方的に話しかけて来たら~



#小豆島 #迷路のまち #たこ焼き #エンジェルロード