JAMAICAN IN NEW YORK / SHINEHEAD
1992年にリリースされた4枚目のアルバム "SIDEWALK UNIVERSITY" に収録
マンハッタン時代の思い出の曲 "JAMAICAN IN NEW YORK" です。
NEW JACK SWING がメインストリームの中で、あの頃旬だった DAVE HALL が
プロデュースした "TRY MY LOVE" で SHINEHEAD のことを知りました。
この "JAMAICAN IN NEW YORK" は
ご存知 STING の "ENGLISHMAN IN NEW YORK" のカバーですが、当時ラジオで
ヘビーローテーションされていて、聴かない日は本当になかったなって思います。
ちなみに ■STING のオリジナル "ENGLISHMAN IN NEW YORK" です。
当時の雪が積もってるマンハッタンの風景が観れます。
このPVは大好きなディレクター DAVID FINCHER が創っていますが "う~ん"
おばあちゃんのカットが多過ぎて・・・
僕としてはもっとマンハッタンの街並をたくさん撮ってほしかったなって思います。
ツインタワーのカットがカッコいいです。
当時仲間からジャマイカのいろいろな怪しい話を聞いていましたが、皆口を揃えて
ジャマイカは天国みたいな国だって言ってました。
いろいろな "怪しい意味で" ですが(笑)
僕は行くことなかったですが、ジャマイカ好きでレゲーを聴いている連中は、ほぼ
100%怪しいことをやっていました( 笑)
先日マンハッタン時代の仲間から、珍しくヤツの写真が送りつけられてきました。
前から、ガッツリ気がついていて、気を遣って何も言ってませんでしたが、完全に
頭が薄くなり、末期の状態になっているのに笑顔で映るヤツを見て、俺のはまだ
残ってくれてるほうなんだなって JESUE と神様への感謝の気持ちで、泣きそうに
なりました(笑)
ちなみに
ヤツはモデルや日本のドラマにも出たほどの男前なんですが、その面影は全く今は
ないです(笑)
あの頃 夜通しで寝ずにバカやって遊んでいたし、寝なくても元気だったよなって
懐かしい時代の話をしました。
その中で、この "JAMAICAN IN NEW YORK" の話が出て、ヤツがこの曲のことが
大好きで、この曲を聴くとヤツのことを想います。
俺たちは本当にバカだったなって思うけど、今思うと奇跡のように楽しかった(笑)
いつか
マンハッタンに行こうぜ!と言ってきたので、くたばる前に行こうぜと話ました。
近年のニュースで、マンハッタンはもちろんマンハッタン郊外の家賃や物価までも
とんでもない額になっていると話題になりましたが、もちろん当時僕たちが住んで
いた頃も、アメリカで一番物価も家賃も何もかも高いのがマンハッタンでした。
今考えると、よくやりたい放題生きれたもんだなって思います。
僕の人生で圧倒的に時間もお金も全て使って、遊び回っていた元気な時代でした。
ちなみに
僕がマンハッタンにいた時代も1ドルは150円以上だったはずです。
僕たち日本人が、アメリカの何もかもを高く感じるだけで、アメリカの賃金と物価
の対比などが順調に推移して倍以上になっただけで、アメリカで起こっていること
は普通だなって思います。
違法移民を売電が入れたので、格差が広がっただけで、それは仕方ないよね。
マンハッタンで日本の有名ラーメン屋のラーメンが、1杯20ドル以上だぜって
友人に教えてもらった時はビックリしたけど、賃金も倍上がってるんだから、僕が
マンハッタンにいた時と数字が変わっただけで、同じだよなって思います。
同じように日本でも円を倍以上稼げていたのなら、頻繁にアメリカで遊ぼうとして
いる僕には、150円であろうがなかろうがそんなのは全く関係ない。
確実に言えることは、日本人が貧しくなったってことだけです。
MY TARZAN BOY には "アメリカでドルを稼げよ" そう言ってます。
もともと日本に帰ってくるなって言ってますから、彼も今はアメリカにいるつもり
だと思いますが、何もかもが安くて外の連中が日本のあらゆるものを買い漁られて
それに日本人が対抗出来ない構図になって、日本人がどんどん貧しくなっていく
北海道は買い漁られているその一番手だから、大切な資源や土地や企業、何もかも
奪われて、どんよりします。
何だかんだドルの価値も維持出来ないのは決定的だけどね。
昔のようにアメリカのやりたい放題になることは、もう今後ないのは確実ですから
マスマス、やりたいことをやって、生きたいように生きて、住みたい土地に住んで
心と人生を満たし、母国にいてもアメリカにいても、どこにいても後悔しないよう
"明日は我が身" が、普通に起こる時代になったことは間違いないです。
■TRY MY LOVE
■JAMAICAN IN NEW YORK
■LET THEM IN
このアルバムからは3枚のシングルがリリースされて、R&Bチャート94位では
ヒットになりました。
"JAMAICAN IN NEW YORK" は全英30位 のヒットになりましたが、あれだけ
あの頃ラジオでオンエアされていましたが、マンハッタンのラジオ局では流行った
んだと思います。
イギリスやアフリカ系の番組などのサウンドトラックに多く使われたみたいですね。
これほど出来上がっていたら、ヒットもしたし当然ですね。
僕たちも "JAPANESE IN NEW YORK" って替えて唄ってたので、マンハッタンに
住む外国人は皆、自国名に替えて唄っていたんだと思います
ただアメリカでのヒットにはなりませんでした。
コロナ前に
マンハッタン行きのエアチケットもホテルも全て完璧に用意していたのに、コロナ
が発生してしまって、DCのホテルも何もかもキャンセルになって、信じられない
状況になりました。
今でも頭にきますが、いつかマンハッタンをぶらぶらしてみたいと思っています。
MY DREAM IS STILL ALIVE
ROUGH BOY