852冊目『平安人の心で「源氏物語」を読む』(山本淳子 朝日新聞出版) | 図書礼賛!

図書礼賛!

死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

『源氏物語』を読むことは大変難しい。まず54帖もある大長編を原文で読み切ること事態、尋常でない労力がいる。昔から『源氏物語』を通読することの難しさを示すものとして「『源氏』は須磨あたりで挫折する」という言葉がある。だが、実際は須磨巻まで読めれば十分な実力者で、たいていの人は桐壺巻あたりまではなんとか頑張っても帚木巻あたりで挫折するのではないか。たしか一昨年あたりの新聞記事で、古典愛好家の市民たちが立ち上げた「源氏物語を読む会」が二〇年ほどかけてやっと『源氏物語』を読み終えたという記事を読んだ。『源氏物語』を読むとは、かくも壮大なプロジェクトなのだ。

 

もちろん内容面でも難しさがある。というより、難しいことだらけと言った方がいい。まず桐壺巻冒頭の「いづれの御時か」からして、早速、読者は謎解きをしかけられるのだ。『竹取物語』、『伊勢物語』を見れば分かるように、物語の出だしは「今は昔、」から始まるのが定石である。当時においてはそれ意外のパターンは存在しない。だから、「いづれの御時か」という出だし表現は、すでに革新的なのである。『源氏物語』は、従来の物語文法の枠組み、世間の常識などにとことん反旗を翻しながら、革新的な物語を紡いでいった。ここの『源氏物語』の凄さがある(793冊目『夢の浮橋 「源氏物語」の詩学』)。

 

『源氏物語』の革新性に気づくためには、当時の時代背景や、習慣や常識を知っておかなければならない。それは、つまり、平安人の心で『源氏物語』を読むということに他ならない。本書は、まさにそんなコンセプトで書かれた本だ。本書は『源氏物語』の五四帖のあらすじを簡単に紹介しながら、その内容にまつわる平安時代の制度や習慣が解説されている。女御、更衣とは何か。源氏とは何か。恋愛のタブーとは何か。そうした物語を理解する上で欠かせない重要事項がきちんと整理されている。世の中には大学受験の古文用に、古文常識の本が出版されたりしているが、個人的にはこの本一冊で十分ではないかと思った。受験生用が読んでも十分に役立つ。

 

さて、私が大変興味深いと思ったのは、著者が、『源氏物語』の執筆背景として定子の悲劇的な人生を土台にしていると述べている点だ。「定子の悲劇的な人生が時代に突きつけた問いを正面から受け止め、虚構世界の中で、全編をもって答えようとした。それが『源氏物語』だと考えるのだ」(268頁)。紫式部が仕える彰子と、清少納言が使える定子は政治的には対立していた。父の道隆が死に、兄弟の伊周・隆家が花山天皇に矢を射かけた罪で流罪になるなど、定子は政治的には没落していった。定子は、媄子内親王を産んだ直後に死去するが、この定子の死は同時代人にとって非常に大きな衝撃だったらしい。『源氏物語』は、そんな定子の死を文学的に昇華し、レクイエムとして完成させたというのが、著者の説である。たしかに彰子は、定子が産んだ第一皇子の敦康親王を引き取り、愛情をもって育てた。彰子と定子との関係は単純な対立関係では説明できない。著者の説は、一考に値すると思う。