849冊目『AMEBIC』(金原ひとみ 集英社) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

この作品は、金原ひとみが、『アッシュベイビー』(846冊目)の次に書いた作品である。相変わらず趣味の悪い作品だが、実に金原ひとみらしい作品である。前作『アッシュベイビー』と本作をつなぐのは、おそらく主人公の狂気だろう。『アッシュベイビー』を読んだとき、個人的に傑作だと思ったのは、主人公アヤが、ルームメイトがさらってきた赤子に、出もしないおっいを与えようとして、赤ん坊に乳首を吸われて感じてしまい、赤ん坊に乳房を加えられたまま、オナニーするという場面だ。まさにここには金原ひとみにしか書けない狂気がある。

 

『AMEBIC』の主人公も狂人だ。エッセイストとして仕事をしている主人公の女性は、非常にガリガリで、体重も30キロくらいしかない。だから献血に行っても断れてしまう。一日に摂取するのは、野菜ジュースとアプリくらいで、他は何も飲まないし、食べない。水すらも飲まない。自分の体から水分が出て行くことに生理的な快感を感じてさえいる。肉や魚を食べる人間はゴミ同然も同然。一方で、自分のことは天才だと思っている。一日中、妄想にとらわれ、強迫性障害を起こし、とにかく直情径行的に行動してしまう。本作は言ってみれば、狂人日記のようなものだ。

 

さて、その狂人の面目躍如たる場面がある。狂人の主人公が、目的もなく外出し、電車に乗る場面だ。

 

私は自分が座っていたベンチから見て若干右側にあったドアを選んだ。選んだ、というのはそこから乗り込んだ、という事ではない。私は右側のドアを選んだけれど、左側のドアから乗り込んだのだ。(25頁)

 

自分の意志としては右側のドアから入ることを決めたのに、一方では、その決断を信じられず、左側のドアから入る自分がいる。意志と行動の二分というか、意志が分裂しているというか、まさに狂人的な思考だろう。しかし、こうした錯乱が常態化している者にとっては、錯乱こそ平常運転なわけである。私はもし自分が狂ってしまっても、精神科に通おうとは思っていない。むしろ、狂気と共存したい。目的もなく外出し、目的もなく人に話しかけ、目的もなくルールを破り、目的もなく拘泥する。目的論から解放された生がどういうものなのか一度味わってみたいのだ。