850冊目『パッキパキ北京』(綿矢りさ 集英社) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

駐在妻の北京滞在小説である。著者の綿矢りさも北京に滞在したことがあるらしく、その経験が基になっている。ところで、パッキパキとは何なのか。この小説の中では、次のように出てくる。「湖の水と同様、川の水もパッキパキに凍っていた」(59ー60頁)。どうやら、この擬音語は、余裕で零下を下回る厳しい冬の凍えるような状態を表す言葉のようだ。主人公は、次のようなラップさえ歌い出す。「冬の北京はパッキパキ」(60頁)。以前、なんかの本で「思想は冬に深まる」という言葉にえらく感動したことがある。真冬に外を歩いていると、マフラーに顔をうずめ、手をポケットにいれ、縮こまったように歩く。厳寒を肌で感じることの緊張が、そのまま思考の深化につながるような気がする。

 

主人公の菖蒲(アヤメ)は、とことん今を楽しみたい性格である。今さえ楽しければ、将来にはどんな苦労があっても構わないと思っている。そもそも将来の不安は全く杞憂である可能性もあるわけだし、そもそも人はいつ死ぬか分からない。そんな不確定な将来のことを考えて、びくびく過ごすぐらいなら、思い切り今を楽しんだ方がいい。菖蒲は、旦那の北京滞在に伴い、北京行きを決める。しかし、冬の北京は、日本の冬の寒さの比ではない。しかも、当時はコロナ・パンデミック真っ最中で、中国は世界一と言っていいほど厳しいコロナ対策を実施していた。いくら菖蒲といえど、北京暮らしを楽しめるのだろうか。

 

しかし、そんな心配も何のその、菖蒲は北京暮らしの醍醐味を骨の髄まで味わい尽くす。観光地はもちろんのこと、高級デパートでブランドものを買いあさり、本場の中華料理で腹を満たし、とにかく遊びまくる。冒頭で「思想は冬に深まる」という言葉を紹介したが、菖蒲には夏も冬も関係ないだろう。むしろ、季節の都合に合わせて生きるのではなくて、季節が私に合わせろ、と言わんばかりにアクティブなのだ。おそらく、菖蒲は、シベリア送りにされても、デスヴァレー国立公園で迷子になっても、その異常なサバイバルスキルで、苦難を楽しみに変えてしまうだろう。とにかく、こっちが引くくらいポジティブなのだ。

 

この菖蒲の生き方は、同時にコロナ禍を考えるヒントにもなる。菖蒲は、ワクチンも打っていないにもかかわらず、コロナの猛威が吹き荒れる北京で、外出して遊びまくっている。ちなみ、日本にいたときも、皆が自粛して外出していないときに、せっかく宿代が安い時期にもったいないと旅行しまくりだった。旦那は、そんな怖い物知らずの妻が心配で仕方ない。しかし、菖蒲は言う。「コロナが始まってからあなたは仕事以外はほとんど人に会わなくて、体調くずして青白い顔をしてるけど、この三年間幸せだった? 私は確かにコロナに二回感染したけど、とっても充実した日々を過ごしてた。思い出もいっぱい、アクティブに過ごして少しも後悔なんてない。特にあなたは今までずっとゼロコロナ政策で閉じ込められ、やっと今解放されたんでしょ? 今遊びずいつ遊ぶの?」(61ー62頁)。コロナ・パンデミックを振り返ってみるとき、パンデミックの勝者は、感染対策でもなくワクチンでもなく、菖蒲だったのではないかと思わざるを得ない。