717冊目『韓国の変化 日本の選択』(道上尚史 ちくま新書) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

著者紹介のところに、「韓国で5回計12年勤務し、外務省きっての韓国通」とある。本書には、現地で長年生活してきた著者による、韓国の社会や政治についての体験、見聞、分析がふんだんに盛り込まれている。日本国民に奉仕する外務省役人として国益を追求しつつも、決して夜郎自大な考えに陥ることなく、どういう点で日本が韓国に負けているのか、韓国から学ぶべきことはなにかを必死に模索する姿が伺える。私はたびたびこのブログでも書いてきたが、日本人の「韓国から学ぶことはない」といった、かつての宗主国意識を無意識に内面化しているメンタリティを非常に危惧している。そうした歪んだ精神構造からいち早く脱し、等身大の韓国をありのままに見つめなければならないと切実に思う。そういう意味で、本書は日本人の韓国観をアップデートするのに格好の本である。

 

日本は、朝鮮半島を36年ものあいだ植民地統治をした。まずこのことについて、私はいかなる擁護もできない蛮行だとはっきり述べておく。保守派がよく言うような、「当時は合法」「帝国主義時代における生き残り戦略」「当時の価値観を現在の視点で裁いてはいけない」といった意見に私は与しない。ここでひとつひとつこれらの主張に反論するのは今回の目的ではないが、価値観というのは、常に普遍的な次元で考察すべき問題であり、時代の制約は考慮にいれつつも、いかなる時代も批判の対象から免れないとだけは言っておく。さて、近年の韓国の態度の変化については、漠然と日本人に負の印象をもたらしている。もちろん従来にも慰安婦問題や竹島問題があったが、2020年の徴用工判決には大きな衝撃が走った。これは1965年に合意した日韓基本条約を覆すものであり、これをもって、多くの日本人は「韓国は約束を守らない」「韓国と付き合うのは時間の無駄」という気持ちになった。

 

木宮正史の『日韓関係史』(605冊目)によれば、日韓の国力の差がなくなり、対等な関係になったことが、日韓関係がぎくしゃくしだした遠因だとする。アジアの盟主としての日本は過去の栄光となり、国力が相対的に弱まってきたことで、韓国にとっての日本の重要性はかつてよりも低下した。こうした認識は官民レベルで浸透している。木村幹は『韓国愛憎』(629冊目)で、韓国の日本離れを指摘しながら、韓国にとって日本の重要性が低下した頃から、韓国は日本に対して歴史問題について遠慮しなくなったのだ、と述べる。本書にも次のような記述が見える。「韓国の知人が言っていた。近年の韓国では、日本と良い関係を築こう、両国関係をよい意味で「管理(マネージ)」しようとの発想があまり見られなくなった」(36頁)。結果として、2000年前後には力を持っていた合理的な日本観が後退し、感情的な日本叩きが前面に出てくるようになった。日韓問題を考える上では、韓国の日本離れという現象について、しっかり理解する必要がある。

 

さて、韓国の日本離れが進んだことで、かえって歴史をめぐる論争は先鋭化したといってよい。日韓の歴史問題については、日本側は法的に解決済みという立場を取り、韓国側は道義的にまだ未解決の問題があるという立場を取る。しかし、その日本の拠り所である法の次元でも韓国に軍配が上がるとしたらどうだろう。移行期正義という言葉をご存じだろうか。これは植民地などの帝国主義の犠牲になった正義を回復しようというグローバルな運動であり、国際法もこの流れを徐々に受け始めている。たとえば、小倉紀蔵は次のように言う。「徴用工や慰安婦に関しても、国際司法裁判所などの法的判断にゆだねれば日本の主張がかならず認められる、と日本政府や保守派は考えているのかもしれないが、それは甘い、むしろ日本が完敗する可能性すらある」『韓国の行動原理』(577冊目))と述べている。嫌韓言説で相手が見えなくなり、それどころか国際的な時流も読み損ね、その結果、完全敗北という事態になったのでは実に笑えない。日本の外交官として、この移行期正義をについてどのように考えているのか、是非見解を聞きたいところだ。