718冊目『ぬるい毒』(本谷有希子 新潮社) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

本作は芥川賞候補にもなった作品で、本谷有希子の作家として地位をひとつ押し上げたような記念碑的な作品である。実際に芥川賞を受賞した『異類婚姻譚』(716冊目)よりも、明らかにこちらの方が、作品の世界観が深い。『ぬるい毒』は、地方小説である。地方の閉塞感を下地においていないと、なかなかその魅力に辿り着けないような作品である。後ほど詳しく述べるが、この作品が芥川賞選考委員からたいして高い評価を得られなかったのは、選考委員の彼(女)らにこの閉塞感が掴めなかったからかもしれない。地方を軒並み閉塞した場所だと言ってしまうのはあまりにも強引だが、それでも若者を中心に地方から都会への人口転出は止まらないし、自分がかつて生まれ育った場所をやすやすと棄ててしまっているのが現状である。私もまた、休日といえば同級生と居酒屋で飲む以外、特に楽しみもない閉塞した田舎での暮らしに嫌気がさし、上京を決意したひとりである。

 

『ぬるい毒』は、19歳の女子短大生熊田、そして熊田の同級生だと名乗る男向伊との奇妙な男女関係を描いた作品である。二人の関係性が放つ不気味さはいくようにも解釈できるもので、この曖昧さが、選考委員の方で逆に低評価になってしまっているのだが、ひとまず粗筋を確認しておこう。ある日、突然、熊田のもとに電話がかかってくる。電話先の向伊という男は、熊田を知っているようで、学生時代に借りた金を返したいと突然言い出す。金を貸した記憶どころか、向伊の存在さえ記憶にない熊田は当惑するしかないが、家まで行くという向伊の言葉をそのまま了承した。案の定、向伊は全く知らない男だった。それから一年後、向伊は熊田に電話をかけ、高校の同級生と飲んでいるから来ないか、と誘う。その電話を受けた熊田はいつも以上におめかしをして出かけてしまう。結局、熊田は冷やかされただけだったが、帰りに向伊に送ってもらったことで、少しずつ、自分がこの男に傾斜していくのを感じる。

 

普通に考えれば、全く知りもしない男集団の飲み会に女ひとりで参加するというのが、そもそもおかしい。熊田の言動の違和感はこの場面だけに限らないが、しかし、私はこのときに熊田の気持ちがなんとなく分かるのである。最初に確認したように、小説「ぬるい毒」は地方小説である。このことを念頭に置かないと、この作品はおそらく理解できない。熊田は地方の閉塞感に押しつぶされになりながら生きている。地元の短大に進学し、結局、地元の企業の受付嬢に就職するというルートは、田舎の保守性を象徴している。実際においても、両親から「女が四年生大学に行く意味はない」、「東京なんか行って何になる」と言われ、泣く泣く進学先を変えた女性は多いのではないか。しかし、それでも地方に日常を充実させる何かががあればいい。ただ残念ながら、地方で生きることは、何でもない毎日が繰り返されることにただひたすら耐え忍ぶだけといった現実が多分にある。つまり、田舎には饗宴性がない。向伊は、この作品世界でこの饗宴性をもたらしてくれる人物として機能している。だから、たとえひやかしではあっても、閉塞した日常から何とか抜け出したいと思っている熊田は、そうした向伊の、得体の知れない言動に賭けてみたい気持ちがある。選考委員の黒井千次の「正体の定かならぬ男の構えの中に女が次第に吸い寄せられていく理由といきさつがうまくつたわって来ない」への回答としては、今言ったようなことになる。

 

熊田の場合、こうした地方の閉塞感を言語化できないところに、もうひとつこの作品の深みがある。具体的な対人関係については深遠まで考え抜く傾向が熊田にはあるが、自分自身を大きく追いつめている社会の構造のようなものには目を向けない。つまり、熊田はフェミニズムや構造的差別といった理論が求められる場所にいながら、その理論の存在を知らずに生きている。だから、熊田は身体で反応せざるをえない。知り合いでもない男集団の飲み会に女一人で参加するのもそうだし、向伊と心霊スポットに行くのもそうだし、騙されていると知りながらも、向伊と一緒になるために東京行きを決めるのもそうだが、熊田は常に、閉塞性と饗宴性を天秤にかけ、身体の感覚を根拠に後者に軍配を上げてきたのである。ただ熊田は、その饗宴とやらも結局、人に嘘をつき、だまして、ピンハネして、セックスして終わり、というなんともしょーもないものでしかないことを薄々わかっている。閉塞性には辟易し、饗宴性も欺瞞だ、だったら何を信じればいいのか。しかし、熊田自身、頭の中でクリアにこのことを整理できているわけではない。ただひたすら身体の感覚でこの問題に挑んでいる。熊田は結局、田舎に戻り、地元の運送会社の受付嬢として就職することになり、閉塞性に安住する道を取った。本作は、地方の閉塞感や、そこに住む人の心性を見事に抉った良作であるが、芥川賞選考委員からは否定的な意見の方が多かった。選評コメント程度しか、選考委員の本作の「読み」を推しはかるすべがないが、否定的な評価を下した山田詠美、黒井千次、高樹のぶ子の選評を見る限り、本谷有希子は、選考委員の皮相な読みの被害者のような気がしてならない。特に「ただのいっちゃてるお姉ちゃん。つき合いきれない」と述べる山田詠美に至っては、自分には小説が読めないと言っているに等しい。

 

(注)

1 芥川賞-選評の概要-第145回|芥川賞のすべて・のようなもの (prizesworld.com)