605冊目『日韓関係史』(木宮正史 岩波新書) | 図書礼賛!

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90年代以降、日韓関係がぎくしゃくしてきたのは、日韓の国力の差がほぼ無くなり、対等の関係になったからであるというのが筆者の主張である。それまでの日韓関係は、国力的に日本が圧倒する非対称な関係であった。非対称から対称へ。これが日韓関係史を理解する重要なキーワードである。そもそも韓国は、1970年前半までは、一人あたりGDPは、北朝鮮にすら負けていたのである。1974年に逆転して以降、一人あたりのGDPの南北の差は開く一方となり、現在では、約48倍にもなる(韓国33、622ドル 北朝鮮688ドル 2018年)。朴正煕は、1965年に日韓基本条約で調達した請求権資金を基に軽工業製品を米国などに輸出することで、高度成長を実現した。朴正煕は独裁的な権力を駆使し、荒い政治運営だったが、韓国に「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長をもたらし、現代韓国の礎をつくったことは、やはり功績といってよいであろう。こうして、韓国は先進国の仲間入りをした。

 

韓国は経済大国になっただけでなく、1987年以降、民主化し、自由と民主主義を尊ぶ近代国家となった。そういう意味では、韓国は同胞の北朝鮮よりも、同じ自由主義陣営である日本と提携できるのであり、実際、日韓は北朝鮮を共通の敵として政治面や軍事面でも協調した関係を築いてきた。日本は、1987年以前の、李承晩、朴正煕、全斗煥といった軍事独裁体制を決して肯定はしていなかったが、過去の植民地支配という負い目もあってか、その体制自体は特に批判をすることもなく、経済面、軍事面で関係を築いてきた。しかし、1987年の6・29民主化宣言による韓国の民主化によって、日韓関係は共通の価値を共有する隣国として、良好な関係を構築できる基盤が整えられたた。実際、この時期は、日韓関係の未来は明るいものになるはずであるといった論調が一般的だった。

 

しかし、実際のところ、90年代以降の日韓関係は決して良好になったとはいえない。むしろ、従軍慰安婦や徴用工判決といった、帝国日本の植民地時代の負の遺産がたびたび問題として浮上し、それへの対応をめぐって日韓が対立する局面を何度も経験した。日本側の立場としては、植民地支配の清算は、1965年の日韓基本条約で解決済みであり、それを今更蒸し返すのは、「最終的に、かつ不可逆的に解決」と明記した請求権協定に違反するものだ、というものである。したがって、日本では、国際間の取り決めを守らない韓国が悪いと思っている。一方で、韓国の立場は、90年代になって軍事政権下で声を挙げることを許されなかった戦争被害者たちの声がやっと可視化されてきた、新たな不正義が明らかになったのだから、その不正義についてはまた別の問題として議論すべきだと考える。韓国哲学の研究者小倉紀蔵がいうように、日本では約束の履行を何よりも優先するのに対して、韓国では、道徳を何よりも優先すべきものと考える。この日韓の政治意識の差が、この問題を難しくしている。

 

この溝を埋めるのは大変に難しい。そのためか、日本では、「断交だ」、「もう無関心でいい」といった韓国との関係を断つことを主張するような言説も出てきており、それらが堂々と書籍として出版されたりしている。主にネトウヨから発せられるこうした嫌韓言説は、かつては弱小国として見下していた韓国が、いまや日本と肩を並べる経済大国になったことへの焦燥感が漲っている。こうした言説に欠けているのは、韓国喪失の想像力である。たしかに日韓にはさまざまな軋轢があるが、一方で、自由と民主主義を大切にする共通の価値軸を持つ隣国同士でもある。実際、日韓は自由主義陣営として協調さえしてきた。複雑な東アジアの地政学において、韓国という理解者を喪失することでもたらされる損失は、はかりしれないほど大きい。そして、ネトウヨだけでなく、多くの日本人一般においても、韓国に対する想像力が欠けている。四方田犬彦はこう述べる。「だが韓国人の身になって考えてみよう。韓国人は日本人以上に困難な課題を突き付けられているのである。すなわち彼らは、絶対に赦してはいけないものを、それでも赦さなければならないのだ。この要請がいかに苛酷なものであるかを、日本人は想像しなければならない。たとえばあなたは自分の母親や妹を凌辱した卑劣煥を、どのようにすれば赦すことができるというのか」(『われらが〈無意識〉なる韓国、32頁)。この想像力の果てにしか、創造的な日韓の未来はない。