714冊目『朴体制下の韓国』(林建彦 教育社) | 図書礼賛!

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朴正煕は、1961年にクーデターを起こし、政権を握った。以来、79年に側近に銃撃され殺害されるまで、18年もの長きにわたって、韓国の政治を牛耳ってきた。朴正煕政権の特徴を一言でいえば、反共である。パルゲンイ(アカ野郎)に認定されれば、社会的に抹殺されたも当然だった。反共政策を下支えする国家保安法は、現在も存在しており、87年以降、民主化し、金泳三や金大中のような文民政権においても、ときに強権的な権力の発動があるのは、この国家保安法があるからである(詳しくは、625冊目『現代韓国の社会運動 民主化後・冷戦後の展開』)。しかしながら、冷戦の時代において西側の自由主義陣営の韓国にこのような独裁体制が敷かれ、なおかつ、それを米国が許容していたことは、実に驚きである。当時の米国の韓国観については、李祥雨が興味深いことを述べている。すなわち、「第二次大戦以来、アメリカが韓国に求めてきた二つの柱は『親米・反共』と『民主化』だが、これが矛盾する場合、アメリカは常に前者を優先してきたのである」(710冊目『朴正煕時代』(李祥雨 朝日新聞社)

 

しかし、このような米国観は修正すべきだろう。ここで朴正煕体制下における韓国と米国の関係を素描しておく。72年のニクソン訪中による電撃的な東西冷戦の融和によって、韓国の対北朝鮮への政策にも変化が訪れた。南北融和は、72年の南北共同声明(7月4日)を実現させた。その「祖国統一三原則」によれば、(1)外勢の干渉を受けることなく、自立的に解決する、(2)武力行使によらず、平和的方法による、(3)思想・理念・制度の相違を超越して、同一民族として団結する、とある。悲劇の舞台であり続けてきた朝鮮半島にもついに統一という平和が訪れるかに見えた。しかし、この南北融和も金大中拉致事件によって中断した。この事件に対して、北朝鮮は「民主人士に金大中に対するファシスト一味の拉致行為を断罪するととともに、これを断固糾弾する」(81頁)という声明を発表した。74年1月8日に発動した大統領緊急措置によって、朴政権の強権性が一段と増していったが、この頃、米国では、朝鮮半島の動乱に在韓米軍が「巻き込まれる」ことを心配するようになる。

 

73年2月18日の「米上院外交委員会報告」には、このような対韓不信がはっきりと表れている。この報告では、朴政権を「李承晩時代いらいの最悪の独裁制」と非難し、さらに次のように続く。「それ自身の独裁的主義的な団結という鏡に映ったイメージで、北朝鮮と対決しようという朴大統領の明白な努力がもし国内の混乱を挑発し、そしてそれを北朝鮮が利用できるとしたら、まったくもって皮肉といわざるをえない」とし、朝鮮動乱の可能性に触れ、在韓米軍の駐留の継続に強い懸念を示すようになる(119頁)。そして、人権外交を掲げた米国のカーター政権の下で、在韓米軍撤退が本格的に議論の俎上に乗るようになる。カーター政権は、欧州の安全こそ米国の安全保障にとって利害関係にあるとし、NATO重視の立場を取った。一方、韓国側は、撤退の前に韓国の安全に対する保障を施すことが米軍政の義務だという「先保障、後減軍」の立場を朝野あげて訴えていた。日本も米軍基地を抱える同盟国として、韓国のこの議論には学ぶところが多いだろう。

 

カーター政権の米軍撤退論は、韓国内で米国との関係を見直していく契機ともなった。当時のオピニオン誌では、「米国は千の顔をもっている。時には義人のように、また時には商人のように見えるかと思えば、たまには節操のない機会主義者のようにも見える。」(164頁)などとも書かれ、虚像の米国ではなく、リアルな米国を見つめるべきだという論説が載ったりもした。韓国では、70年にはソウルから地方都市へと結ばれる高速道路が完成し、「一日経済圏」が実現したが、後に「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長によって着実に国力をつけていった。こうした経済大国としての自信もまた、米国と対等になろうとする韓国の態度をさらに強めるものであった。世界的にも有名な映画監督であるポン・ジュノの代表作『グエムル』は、実は米軍こそが「怪物」であることをメタファーで覆い隠した反米映画である。グエムルの誕生は、米軍施設からの毒物放流という実際の事件がモチーフになっているし、中学生のヒョンソが怪物にさらわれてしまうのは、2002年に米軍装甲車によって女子中学生を轢死した事件と重なっている。私は、ポン・ジュノ作品では、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した『パラサイト』よりも、この『グエムル』を高く評価するものだが、この作品が鳴り物入りでヨーロッパに公開されたにもかかわらず不発に終わったのは、おそらくこの映画が、反米というコードに強く依存する韓国人のための、閉じられた物語だったからかもしれない。