625冊目『現代韓国の社会運動 民主化後・冷戦後の展開』(金栄鎬 社会評論社)  | 図書礼賛!

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韓国映画『1987 ある闘いの真実』(2017)は、軍部独裁政権に対して民主化を求める人々の闘いを実に生き生きと描いている。南営洞でのソウル大生の拷問死をきっかけに、民衆の怒りに火がつき、従来の学生運動の枠を超えて、メディア、さらには公安までもがそれぞれの正義を信じ、強圧的な政権に対して徹底抗戦し、ついに民主化という大成果を成し遂げる。韓国現代史を学ぶ上では絶対に見なければならない映画だ。1987年は現代韓国の原点である。韓国映画ではこのような軍部独裁に対する民衆の闘いを多く描いてきた。なかでも1980年に起きた光州民主化闘争は、その悲劇さゆえに実に多くの映画作品が作られている。ソン・ガンホ主演の『タクシー運転手』(2017)もまた、この光州事件を扱った映画だ。この映画で分かるのは、軍部政権は光州を完全に孤立化させた後、そこに軍隊を一点集中させ、光州市民の民主化運動を武力鎮圧したことである。鎮圧の過程で軍人は街宣デモを行っている市民に発砲した。これは決して許されないことだ。この暴力的な鎮圧のなかで多くの光州市民が亡くなっている。光州事件は、今では民主化運動という評価がなされているが、当時は軍部政権によって共産ゲリラの暴動だと発表されていた。実際、光州事件に参加した鎮圧部隊の隊員のひとりは、共産ゲリラを一掃するのだと聞いていたが、そこにいたのはただの市民だったと驚きをもって語っている(NHKアーカイブ「光州民主化闘争」)。しかし、光州事件の真実が明らかにされたのは、民主化以降だ。『1987 ある闘いの真実』や『タクシー運転手』を見ると、韓国の民主化運動はまさに死を賭けた闘いだったということがよく分かる。民主主義や自由は、天から降ってくるものではない。命がけの闘争ゆえに勝ち取るものだ。韓国は1948年に樹立してから、独裁的な軍部政権が韓国を引っ張ってきた。アメリカで亡命生活をしていた李承晩は、南朝鮮での単独選挙の結果、初代大統領に就任した。李承晩は「四捨五入改憲」で知られるようにその政治手腕は荒かった。やがて、その独裁的な政治運営が国民の反感を買い、大統領の地位を追われ、ハワイに亡命することになる(4・19革命)。しかし、独裁者を追放した喜びも束の間だった。1961年に軍人の朴正煕がクーデターを起こし、張勉内閣を打倒し、またしても軍部政権が国内を統治することになる。朴正煕はクーデターの意義を飢えに苦しむ民衆のために立ち上がっただけだとして、やがては良心的な政治家にポストを譲ると言っていたが、結局、最後まで権力者の椅子から降りることはなかった。朴正煕もまた戒厳を繰り返し、独裁的な手法で国内の引き締めを行った。そんな朴正煕だが、その最期はあっけないものだった。なんと部下のKCIA部長の金戴圭に殺害されたのだ(『南山の部長たち』)。唐突な独裁者の喪失に、一瞬、「ソウルの春」が訪れたが、またしても今度は全斗煥がクーデターを起こし、三度軍部独裁体制が敷かれることとなった。このとき、全斗煥の維新体制に抗議するために民主化運動に取り組む大学生がソウルに集結したが、市民にまではその運動の輪は広がらなかった。学生運動の指導者は学生の意思がちゃんと政権に伝わったという名目で集会を解散させてしまうが(ソウル駅回軍)、結果的に、このことが軍隊が介入する口実を与え、民主化運動を続けていた光州だけが軍部と直接対峙することになってしまった。このことは光州の悲劇を考える上で非常に重要である。光州事件を鎮圧した全斗煥政権だったが、1987年に高まる民主化の波についに抗しきれず、大統領直接選挙を導入し、民主化宣言を行った(6・18民主化宣言)。80年のソウル駅では学生しか声をあげなかった民主化運動が、87年には市民も呼応する大きなうねりとなって、かつてない規模の民主化運動となった。民主化を求め、政権と闘う市民の姿は国を超えて人々の胸をうつ。韓国映画は、この民主化の熱を普遍的な理念として主題化し、なおかつエンタメとうまく融合させるところに高いクオリティがある。さて、ここで素朴な疑問なのだが、民主化以降の韓国において映画は何を描けばよいのだろうか。民主化という主題を失った韓国映画は次は何を主題にするのだろうか。もしくは軍部政権の解体と同時に、描くべき主題もなくなってしまったのだろうか。そもそも、民主化以降の韓国は一体どのような社会なのだろう。前置きがだいぶ長くなったが、本書では、主に金泳三と金大中といった民主化以降の政権に対して社会運動側がどのような論理を構築し、行動したのかを分析した本だ。民主化は、軍部の恣意的な横暴がなくなったという意味では確実に韓国社会の進歩である。しかし、民主化の時代にもまた特有の不条理がある。民主化以降の韓国において、社会運動はこの不条理に対してどのように対峙したのだろうか。まず各政権における社会運動の展開について見てみよう。なお、以下の記述(第二段落、第三段落)は、全面的に本書に依拠するものであり、引用箇所以外は特に頁を示さない。

 

金泳三は、1993年に第14第韓国大統領として就任した。前任の盧泰愚が元軍人であったので、金泳三大統領の誕生は文民政権の誕生として民主化達成の成果だとひとまず言うことができる。しかし、金泳三政権もまた社会運動を弾圧する措置をしばしば取ってきた。たとえば、「弔問論争」である。94年7月に北朝鮮の金日成主席が急死した際、野党側から弔問の意思はあるのかと質問されたことで、韓国国内では弔問論争が沸き起こった。金泳三政権としては弔問は親北であるとして、国家保安法違反という論理で野党議員や社会運動への取り締まりを強化した。実際、金泳三は一部の運動団体を「北韓のしわざ」と言ったこともある。1987年の民主化によって、韓国は民主化を達成し、軍部独裁時代に別れを告げた。そういう意味では1987年以前と以降の韓国には明らかな分断がある。しかしながら、1987年以前との連続性も存在する。それがこの国家保安法の存在である。この国家保安法がある限り、北朝鮮は常に本質的に敵であり続け、分断体制は再生産される。さらに、その象徴的な事件が1996年8月に起った。延世大学におけるデモ鎮圧事件である。延世大事態とも呼ばれるこの事件は、延世大学で行われた韓総連におけるデモを金泳三政権が鎮圧した事件だ。韓総連の主張は、①朝米平和協定の締結、②米軍の段階的接収、③連邦制統一の促進、④国家保安法の撤廃であり、つまり分断体制の固定化への批判である。金泳三政権は韓総連は国家保安上の利敵団体として、集会参加者全員の拘束方針を決定し、大学を完全封鎖し、放水車、催涙弾などでで5000人以上の学生を連行した。韓総連議長によると、その時の様子は次のようなものだったという。「九日間にわたる延世大抗争は戦争そのものでした。すぐ隣にセブランス病院があるのに、ヘリコプターを動員して催涙弾を乱射したかと思えば、大会の閉幕を宣言して地方に帰宅しようとする学生を延世大に監禁し、一網打尽を大言壮語して数百の私服特攻隊と数十機のヘリコプター、装甲車、ブルドーザーを動員して無差別連行と鎮圧を強行しながら、1000人以上の負傷者と5700人以上を令状なしに連行する一方、470人以上を拘束し、学生たちの両親や市民団体による飲食物搬入と負傷者への治療を遮断し、特殊機動隊を動員した総合館の鎮圧作戦などは、戦争状況をしのぐ反人倫的で反統一的な暴挙に他なりませんでした」(141頁)。民主以降の文民政権においても、かつての光州事件のような政権の弾圧が行なわれていたのである。国家保安法がある限り、こうした事態は常に起こりうる。金泳三は国家保安法撤廃を主張することも国家保安法違反であると理由で武力投入を決行したが、これは87年以前の軍部独裁体制と同じ論理の繰り返しである。『1987 ある闘いの真実』では、治安本部対策本部のパク本部長(キム・ユンソク)が’「アカの逮捕を邪魔する奴は無条件にアカと見なす」と言うセリフがあるが、このようなパルゲンイの論理が軍部独裁政権と文民政権に地続きであることは注目すべきだろう。そして、こうした分断体制をさらに強化させるのが米軍の存在である。米軍の存在が北朝鮮にとって脅威であることは論を俟たない。米軍の存在は朝鮮半島に常に緊張を用意し続ける。たとえば、1994年には休戦中の北朝鮮との戦争が再び勃発した場合、北朝鮮への攻撃、軍事占領、体制破壊、吸収統一までのプロセスを定めた韓米連合作成計画五〇二七が作成され、そのことが北朝鮮を刺激し、「ソウルは火の海になる」発言(94年3月19日)が飛び出すまでに至っている。北朝鮮という敵を本質化する分断体制はこの国家保安法に支えられている。国家保安法は、北朝鮮との緊張を生み、そして、そのことがまた国内に抑圧的な体制が取られることの正当化につながる。国家保安法に起因する緊張を国家保安法によって解決するといった韓国政治の循環構造はまだ存在している。表現の自由の侵害という意味で手続き民主主義的に問題のある国家保安法だが、大法院では合憲とされている。最後に、金泳三政権で注目すべきは、光州特別法の制定である。盧泰愚政権のとき、光州事件は暴動から民主化運動というふうに評価が改められたが、犠牲者への補償、真相究明、処罰者責任は見送られた。金泳三政権は一旦、光州問題の処理を「歴史に任せよう」と問題を棚上げにしようとしたが、社会運動団体側が、「五・一八真相糾明と光州精神警鐘国民委員会」を構成し、光州特別法制定要求運動を開始することで政権に圧力をかけはじめたことに加え、1992年の選挙資金に盧泰愚前大統領の5000億ウォンのマネーが金泳三のもとに流入したスキャンダルで世論を敵に回してしまったことで、当初のこの問題に消極的だった金泳三は一転して光州特別法を受け入れる立場に転換した。この光州特別法の意義について最後に述べる。

 

次に金大中政権を見てみよう。金大中は、軍部独裁体制から民主化運動の闘士として活躍し、全斗煥政権のときには国家保安法違反の罪で死刑宣告まで受けている。海外からの批判によって死刑執行は免れたが、亡命先の日本においても国家情報院から暗殺されかけた(『KT』)。祖国の民主化に伴い、帰国した金大中は、盧泰愚、金泳三の後を継いで1998年に第15代韓国大統領に就任した。分断後初の南北首脳会談を実現したことでノーベル平和賞を受賞した大領領として日本でも有名である。しかし、就任早々の金大中が取り組む課題は、IMF管理下における経済の構造調整だった。金大中は、金泳三が棚上げしていた労働三制(整理解雇性・変形労働制・労働者派遣制)を法制化した。労働者の生を不安定にする、この九八年法が金大中政権のときに成立したのは重大な意味がある。それは「国民に過酷な犠牲を強いる構造調整が『韓国憲政史上もっとも正統性が高い』と言われる『国民の政府』によって進められた」(197頁)からだ。まさに民主化の不条理である。この不条理に対して社会運動側は「雇用・失業対策と財閥改革及びIMF対応のための汎国民運動本部」を立ち上げた。注目すべきは、運動側も韓国経済の再生のためには構造調整が不可避であることを認識していたことだ。厳しい経済情勢の認識は政府と共有しながらも、運動側は政経癒着のもとに進められる官僚主義的な統制を批判し、雇用と生活の保証を優先する構えを打ち出している。この運動の形態には、「国際機関や外資などの外圧ではなく、内部からの・下からの圧力によって進めようとする志向」(198頁)が観察できる。新自由主義の世界化は経済弱者をさらに困窮させるが、これに対する防御装置は国家に託されている。したがって新自由主義体制では国家の役割が従来にもまして重視されることになる。IMF危機における社会運動は、国家のあるべき役割を問いただし、経済の民主化を要求したのである。また、金大中政権においても在韓米軍の問題が社会問題となっている。京畿道の梅香里に米軍射撃場があり、そこでは1日11時間もの演習が行われ、韓米合同軍事演習の特別演習中には24時間続けて演習が行われるが、射撃演習における住民被害は、土地徴発の被害、農業の生計上の被害、騒音被害、誤爆・事故等である。これに対して社会運動側は「梅香里米軍国際爆撃場閉鎖汎国民対策委員会」を発足し、抗議行動を展開した。在韓米軍の問題の歴史は根深い。朝鮮戦争時における老斤里民間人虐殺の掘り起こしも金大中政権の時に起きている。老斤里一帯で起きた避難民への射撃で400人以上が米軍に殺されたこの事件は、軍部独裁体制下では明るみにはならなかった。40年もの過去の米軍犯罪が再び「今」に関わる問題として社会問題化したのは、冷戦構造、分断体制のもとで抑圧され続けてきた韓国人の心理の奥底に米軍の存在がしっかり眠り続けていたことを物語っている。米軍の犯罪は現在進行形の問題であり、SOFA改正のきっかけともなった尹今伊さん(当時26歳)が米軍人二等兵に殺害された事件は韓国人の反米意識を醸成させるきっかけにもなった。韓国警察署捜査班長は、駐韓米軍の犯罪によって10万人以上の韓国人が苦痛と犠牲を経験しており、ほとんどが処罰されずに終わっていること、さらには、環境汚染、麻薬、混血児問題、地域発展の阻害など社会の広範囲にわたって影響を及ぼしているという旨を語っている。そして、日本もまた米国とは軍事同盟のパートナーであり、国内に米軍基地が存在している点で韓国と同根の問題が存在する。なかでも多大な負担を強いられているのが沖縄だ。沖縄もまた、宮森小学校米軍飛行機墜落事件や米軍人による一般女性殺害事件などで、韓国と同じ多大な苦痛を犠牲を味わっている。このような被害を共有する団体として「沖韓民衆連帯」が結成されている。米軍がもたらす被害に対して、沖縄は韓国と共闘できるという国境を超えたネットワークだが、日本と韓国の連帯ではなく、沖縄と韓国の連帯であることが、日本の米軍基地問題に対する非対称性が浮き彫りになっている。ところで、韓国にも、沖縄のように一部負担を過剰に強いられている地域が、その不平等を告発するという社会運動はあるのだろうか。日本では鳩山民主党政権の2010年に普天間基地の国内移設問題が社会問題となったが、韓国でも同様の問題があるのだろか。これについては今後調べてみたい。

 

本書では、韓国の社会運動の特徴として、①道義性、②国家選考、③記憶の三つを挙げている。まず、ひとつずつ見て行こう。韓国史を代表する四・一九革命や、光州事件や、一九八七年における民主化闘争のように、学生や市民は独裁政権に対して民主化を求め、闘ってきた。民主化闘争の中で多くの犠牲者が出たことから分かるように、まさに死を賭けた闘いだった。いったい、この民主化のうねりはどこからやってくるのだろう。この問題を考えるときのヒントとなるのが、①道義性である。本書では、韓国の社会運動の特徴として、「悪法に服さない」とう行動様式が存在すると述べている。「つまり、在野運動にとっての運動資源は何よりもその道義性にあり、権力によって沈黙を強要される国民からの道義的な関心と支援にあったと言える。」(38頁)。この場合、特徴的なのはその道義性は外からもたらされるということである。腐敗した権力機構の自浄作用は期待できない。政権の不正は外側からの道義的な批判によって正されねばならない。社会学者の金東椿は、この韓国の社会運動の特徴を場外政治と形容している。そして、このような道義性に依拠した社会運動は文民政権のときにも繰り返されている。文民政権においても、社会運動は道義的に果たすべき国家の役割を求めて闘ってきた。その点、次の指摘は重要である。「『文民政府』にあっても制度外の集合行為が民衆主義体制を不安定にするどころか、逆に民主化に重要な役割を果たしている」(157頁)。韓国憲法前文には、李承晩大統領を辞任に追い込んだ4・19革命について、「不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し、」と書いてある。ここには民意の委託を受けた政権が民意を反映していない場合、民衆による道義的な抵抗を憲法上の理念として認めていることがわかる。以上のことは、「選挙に五回勝ってる(から何をやってもいい)」などと国会答弁で平然と言う総理大臣がいたこの国がいかに政治感覚として不健全であるかを逆照射している。そして、さらにこの道義性は、②国家選考とも関わっている。80年の光州民主化闘争においても、87年の民主化運動においても、より良い国家を求める社会運動であり、時の政権が言う共産イデオロギーによる国家転覆などではなかった。民衆は国家へのアクセスを求め、より良い政府を作り上げるために社会運動を展開したのである。そして最後に、③記憶も韓国社会運動のおける大きな特徴である。たとえば、金泳三政権時に1980年の光州事件の清算が求められたのは、民主体制に移行したことで国家に異議を申し立てをしやすくなったことに加えて、道義的な理念もそれを後押しする先述の①、②の要素も無視できないが、記憶も運動を駆動するひとつの要因であった。運動の強靭性の背景にあるのは、集合的記憶からメンタリティである。「八〇年代の当時の大学生たちは、四・一九革命の記憶と六〇ー七〇年代の民主化運動、そして光州民主化運動の記憶を持った最も組織化された勢力だった。過去の運動の記憶は、学生たちの集団的な文化の中に溶け込み、彼らの行動を指し示す最も重要な教師だった」(49頁)。おそらく韓国映画の強さは、こうした記憶を映画という物語に乗せ、もう一度現代史の文脈で語り直したことにあるだろう。では、冒頭で私が述べた民主化以降の韓国映画の主題とは何だろうか。ここまで述べたきたことから分かることは、87年民主化以降においても、政権はしばしば強圧的な措置を取ってきたという事実である。野党時代に国家保安法によって死刑宣告を受けた金大中までもが、自らが政権の座についたときには、国家保安法違反という名目で社会活動家を拘束している。そして、この国家保安法は朝鮮半島の分断そのものを根拠にしている。そして、その状態が在韓米軍の存在によって「事実」として定着し、分断の構造はいっそう強化される。四方田犬彦によれば、ポン・ジュノの『グエムル』は「純然たる反米映画」である。「朝鮮戦争休戦以降、韓国人がアメリカ人に対していかに屈辱的な立場を強いられてきたかを考えたとき、はじめてその細部の意味が立がってくるような作品である」(『われらが〈無意識〉なる韓国』作品社、135頁)。米軍基地内にある科学研究室から毒物が漏れるというのは、米軍基地からホルムアルデヒドが放流された在韓米軍漢江毒物無断放流事件をモチーフにしているが、なかでも注目すべきのは主人公パク一家が体現している韓国現代史的な価値である。四方田は言う。「一家の面々はそれぞれに韓国現代史を代表している。父親は60年代にヴェトナム戦争に従軍体験のある古参兵であり、弟は90年代の学生運動華やかなりし頃の闘士のようだ。妹は新時代の強い女性でありながら、一方で古い伝統文化を継承している。約めていうならば、一家は韓国の庶民の歴史的体験を賭けて、米軍と政府、病院とメディアという「国家のイデオロギー装置」(アルチュセール)に対し敢然と闘争を挑むのだ」(137頁)。また四方田によれば、怪物にさらわれ娘のヒョンソは、2002年6月に米軍の装甲車によって轢死した中学生の姿が重ねられているという(ただ、四方田が根拠とする、ヒョンソが最初に登場する場面にこの日付が表示されるという指摘は、私には確認できなかった)。となれば、ヒョンソは米軍という怪物の犠牲となり、無念の死を遂げた二人の女子中学生の化身のような存在であり、ヒョンソをさらう怪物は、まさに米軍ということになる。この怪物退治に最終的に対峙させられるのが、パク一家という家族の物語になってしまうことは、韓国現代史の不条理をそのまま表象している。ポン・ジュノこそ民主化以降になおも存在する国家の不条理を正面から捕え、映画を撮ってきた人物なのだ。