実際の面接に呼んでもらうまでは随分苦労した。まずは知り合いからもらったゲーム会社の電話番号に電話してみた。知り合いの話によると、3Dアニメーションをやりたかったらこのゲーム会社が人材を募集しているので是非連絡してみてはということだった。電話は受付に繋がった。受付の女性からは事務的な対応しか得られなかった。現在は経験のない人材は雇用していないのでまた次の機会にと言うのだ。ではインターンシップを受け入れているかと聞くと、基本的には受け入れない方針だと言う。なんとか人材担当者と話せないかと問い合わせると、ようやく他の担当者に回された。電話に出た担当者は日本人で、日本語で話すことになった。私が日本人で日本語もできて日本出資の会社にとっては良い人材になりうると主張したからだろう。しかし、この日本人も受付の女性の台詞をそのまま日本語で繰り返しただけだった。諦めようかとも思ったが、私は新卒でやりたい仕事が目の前にあるのに全力で努力しないまま引き下がる必要性は全くないと判断し思い切り粘ることにした。私は大学を出たばかりの3Dアニメーション制作希望の人材で、経験は少ないがこれから才能を伸ばして雇ってくれた会社には必ず後悔させることはないと約束できると主張した。また、新卒のため初任給の低賃金で誰よりもまじめに働く自身があり、おまけに日本語も英語も堪能であることも付属して説明した。そうするとやっと日本人の担当者はアートディレクターと話してくれと言って電話をアートディレクターに繋いでくれた。アートディレクターが電話に代わり次第、自分の作品を見てもらいので是非面接をさせてくれないかと聞いてみた。アートディレクターは明らかに躊躇していた。恐らくこういった電話がよく来るのだろう。少し間をおいて、これからSIGGRAPHCG業界の大きな展示会)があるのでそこでいくつか面接をするのだが、それで人材が足りないようであれば私に連絡するというのだ。私は、ではそちらはきっと多忙であることを察するのでSIGGRAPHが終わり次第こちらから連絡すると伝え電話番号を控えた。

大学卒業後、アメリカで初めて働いたゲーム会社は日本出資のアメリカ法人で、基本的にはアメリカ採用の人材で成り立っていたが、トップの管理職は日本人で構成されていた。私が採用された頃には、アメリカ現地法人で初の大作ゲームの制作が始まっていた。採用してくれたのはアメリカ人のアートディレクターで、アニメーターという役職で働くことになった。1996年のアメリカでの就職は特殊技術さえ備えていれば比較的難しいものではなかったが、私が希望していた3Dアニメーションというものは、使用のコンピューターが高価なものであるため、経験のない新卒採用は倦厭され勝ちだった。実際に私が当時備えていた技術はインターネットのウェブデザインで、その技術を生かせば3社ほどの就職先候補があったが、ウェブデザインのそれと比較して3Dアニメーションの制作に対する情熱の方がはるかに勝っていた。

アメリカのゲーム業界で長年ゲーム開発者の一人として働いていて気づくことは、過去働いてきた制作チームの中で未だに存続しているチームは半分もない。新開発チームとして初のゲームを出版したが売れずに次の仕事が入らずそのまま解散する場合、ゲームをいくつか出したが、売り上げが追いつかず開発チームを大幅に縮小しいづれ潰れてしまう場合などと多少の差はあれど行き着くところは同じである。存続可能な開発チームは大人数で大ヒット作を出し続けることのできるものと、少人数でそこそこの売り上げのあるゲームを開発することのできるものである。大規模なヒット作と小規模なヒット作の中間にあるものは全て例外なく淘汰されてしまうようだ。しかし、大ヒット作を目指した場合、制作上大規模な先行投資を必要とすることになる。制作費用を受け持つゲーム出版社または投資家はそれに躊躇し、結果としてゲームの質で言えば一ランク下のゲームになってしまうことが多々あるが、その場合はヒット作になりきれず淘汰される中間層に入ってしまうのだ。そういったゲーム開発チームをいくつも見てきている。見てきているだけではなく、そういったチームの中で何度も働いた経験がある。