追いつめられた際の対処方法は人によって違ってくる。実際自分の責任で見えているものが形にならず、大勢の人が犠牲になり予算が泡のように消えて行くのを見ると逃げ出したくなって当然なのかもしれない。ある日、私の制作部長が出席する会議に同席する機会があった。その時記憶にあるのは、部長が何気に上の空で、疑いも無いアルコール臭を漂わせていたことだ。パーティー好きの部長のことだからまたパーティーで飲み過ぎたのだろうと当初は推測したのだが、後で振り返ってみると追いつめられた状況の中で解放を求めての手段であったことの方が正しいのではないかと思われる。というのは、その出来事の後間もなく部長は辞任したのだ。ゲームの制作の見通しはついたと言えど、制作真っただ中での悪報であった。日本から導入された制作部隊は、部長の振る舞いについて非常識だと悪態をついた。当時は私も部長に関して無責任だと感じたが、今では気の毒に思える。経験を踏まえると、こういった状況下での心の痛みがよく分かるようになる。目の前の問題から逃げるか、立ち向かうかどちらかの選択しかないのだ。立ち向かったところで勝ち目がないとなると逃げるしかないのだろう。卑怯に見えるかもしれないが本能的に選ぶ生き残りの手段として同情もできる。
制作の進行に拍車がかかり始め、チーム全体が忙しくなっていったが、週末の時間があるときには友人とハイキングに出かけた。近くのサンタモニカマウンテンに登山道がいくつかあるため早朝から出かけると半日以上かけてハイキングができ、山の上から美しい南カリフォルニアの海岸を眺望できるのだった。ハイキングは、私とあと二人の女性社員とで出かけることが多く、私たち3人は親友になっていった。圧倒的に男性社員の多いゲーム業界で、女性社員の親友を作ることがどれほど貴重であるかは後ほどまで分からなかった。友人の一人は特にハイキング好きで、ガイドブックを片手に私たち二人を誘導してくれた。仕事のことを忘れて友情を楽しめる瞬間だった。お互いの趣味、恋愛、キャリア、悩みなどについていろいろな話をしながら歩くのは気分が良かった。高台にたどり着いて、足下に広がる海岸を見下ろしたときには満足感が全身を支配した。

ゲームの方向性を立て直してから間もなくであろうか。日本の本社から出航で来る日本人社員の数が徐々に増していった。翻訳、通訳専門の人材は数人いたが、日本人ゲーム開発者が急増したため現場での通訳者は到底足りなかった。その中、私は英語と日本語のバイリンガルであるため、通訳又は翻訳の手助けに借り出された。ちょっとした廊下での会話の通訳を引き受けたことをきっかけに現場での通訳は私に頼まれることが増えた。実際現場での仕事をしているため、専門用語を含む語彙の理解が深く通訳が簡単だった。しかし、実際にアーティストとしての仕事が本業であるため、通訳を兼業するとなるとその分会社に遅くまで残って仕事をする羽目になった。長時間労働は、ゲーム制作は勿論のこと通訳や翻訳も含めて楽しかったので苦にはならなかった。