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7月16日(月)朝8時半、シャルトルを立ちジベルニーに向かう。
JTBのブログによると、
ジベルニー「モネの家」の「モネの庭園」は、大きく2つに分かれます。
一つは「ノルマンディーの農園」という名の「クロ・ノルマン」。モネの家のエントランス前に、のびやかに造られた庭で、春から秋まで季節の花々が色とりどりに咲き乱れています。美しいバラのアーチ門が見られるのもここです。
この庭は一見、無造作に花が咲いているようでいて、実は緻密に設計されています。 モネの世界観が100年余りたった今でも受け継がれ、モネの絵画の中にいるような心地よさに浸ることができます。
一方、日本風庭園として知られる「ウォーター・ガーデン」は、その名の通り、セーヌ川の水を引き込んで造られた池を中心に、柳やカエデなど背の高い木々が濃い影を落とす「水の庭」です。クロ・ノルマンとはまったく異なる景色を見せるこのエリアでは、緑に囲まれる心地よさを実感できます。
木々の間から見えるのは、モネがこだわって造らせたという太鼓橋「ル・ポン・ジャポネ(日本橋)」、そして池の水面で静かに花を咲かせる睡蓮…この庭の美しさを、モネは何百枚もキャンパスに表現しましたが、この風景を前にするとその気持ちがよくわかります。風がそよぎ、葉がこすれる音、水の流れる音を聞きながら池のほとりに立っていると、刻一刻と移りゆく庭園の様子を何時間でも眺められそうです。
この素晴らしい池の風景を見た後すっかりモネの虜になり、オランジュリー美術館やマルモッタン美術館にあるモネのコレクションを見に行く方もたくさんいます。
11世紀建立されたノートル・ダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Chartres)は、建てられた当初はロマネスク様式を基調とした初期ゴシック様式の聖堂でした。1194年に発生した大火事で聖堂の大部分が焼失。今日では地下の礼拝堂(全長220メートルの国内最大規模のクリプト)と塔、聖堂西側のファサードのみが初期ゴシック様式を残しています。
火災後、1194年から1220年までの短期間で聖堂の再建が行われ、今日私たちが目にする大聖堂は、ロマネスク様式とゴシック様式が共存した独特な造りになっています。
見どころは、聖堂西側ファサードにある「王の扉口」と呼ばれる彫刻群。これらはロマネスク彫刻の傑作と言われ、ユダヤの王や旧約聖書の預言者たちを表現しています。また12・13世紀のステンドグラスが当時のままで残っており、ブールジュのノートル・ダム大聖堂と並んで、フランスきっての集大成をなしています。特に、南面の「美しき絵ガラスの聖母(Notre-Dame de la Belle-Verrière)」は1180年に作られた非常に有名な作品で、キリストを抱く聖母マリアの姿、天使ガブリエルの受胎告知や、聖母マリアの訪問を表現しています。
これらステンドグラスに見られる輝くような青色は 「シャルトルの青(bleu de Chartres)」 と呼ばれ、世界的に知られています。シャルトルのノートル・ダム大聖堂は1979年にユネスコ世界遺産に登録されています。
大聖堂を観に行ったら、W杯が始まり街中ガラガラ。後半戦をホテルのテレビで観戦。
フランスおめでとう!
クロアチアも素晴らしかった!
フランス中(特にパリ!)大騒ぎです。明日パリに入りますが、明日でよかった。
7月15日(日)シュノンソー城見学の後、昼食を摂り、シャンボール城に向かう。
この城は入場無しで外観のみの観光。
後半の写真はウィキペディアより。
この後、シャルトルに向かう。
世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれる。シャンボール城は1981年から2000年まで単独で世界遺産に登録されていた。
建築
シャンボール城は、古典的なイタリアの構造に伝統的なフランス中世の様式を取り入れた、フレンチ・ルネサンス様式が特異な城である。ロワール渓谷最大の威容を誇るが、元はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城であり、彼の主な居城はブロワ城とアンボワーズ城であった。
シャンボール城の設計はドメニコ・ダ・コルトナによるものだったが、1519年から1547年にかけての建設の間にかなりの変更が加えられた。レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ王の客人であり、アンボワーズ城近くのクロ・リュッセに住居を与えられた。ダ・ヴィンチはシャンボール城の設計に関与していたと考えられている。城の完成が近づくとフランソワ王は、自分の富と権力の巨大な象徴として、宿敵カール5世をシャンボールに招待して見せびらかした。
シャンボール城は中央の本丸と4つの巨大な塔から成る。本丸は大きな塔2基とともに、大きな前壁を形作る。 さらに大きな塔2基の土台が後部にあるが、これらはそれ以上建設を進められることもなく、壁と同じ高さのままである。 城には部屋が440、暖炉が365、階段が74ある[1]。ヴォールト建築の直線の廊下が4本、交差して十字を形作っている。
建築上の見所の1つに、二重らせんの階段が挙げられる[2]。2つの階段を使えば、相手に出会うことなく3階まで昇り降りができるのである。広々としたすばらしい階段はシャンボール城見学のハイライトとなっており、城の最上部から照らし出されている。階段を設計したのはレオナルド・ダ・ヴィンチだという説もあるが、これは確かではない。この種の構造を有する近代以前の建造物は世界的にも珍しい(栄螺堂#会津さざえ堂)。
城の特徴としてはまた、128mものファサード、彫刻された800以上もの柱、精巧に飾られた屋根が挙げられる。シャンボール城の建設を命じたとき、フランソワ1世はコンスタンティノープルの地平線に現れる屋波をイメージしたのである。
城の周りには、52.5平方km(13,000エーカー)の森林公園が広がり、31km(20マイル)の壁で囲まれた禁猟区にはアカシカが生息している。
シャンボール城には、敵からの防御を意図した構造物は何もない。壁や塔、堀の一部は華麗に装飾され、当時としても時代錯誤なほどであった。建築の基本には、開き窓、外廊下、屋上の広大なオープンスペースなど、イタリア・ルネサンス様式を取り入れているが、これは寒冷な中央フランスには不適当であった。