7月15日(日)シュノンソー城見学の後、昼食を摂り、シャンボール城に向かう。

この城は入場無しで外観のみの観光。

後半の写真はウィキペディアより。

この後、シャルトルに向かう。

















シャンボール城
Chambord1.jpg
シャンボール城

世界遺産「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」に含まれる。シャンボール城は1981年から2000年まで単独で世界遺産に登録されていた。

建築編集

シャンボール城は、古典的なイタリアの構造に伝統的なフランス中世の様式を取り入れた、フレンチ・ルネサンス様式が特異な城である。ロワール渓谷最大の威容を誇るが、元はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城であり、彼の主な居城はブロワ城アンボワーズ城であった。

シャンボール城の設計はドメニコ・ダ・コルトナによるものだったが、1519年から1547年にかけての建設の間にかなりの変更が加えられた。レオナルド・ダ・ヴィンチはフランソワ王の客人であり、アンボワーズ城近くのクロ・リュッセに住居を与えられた。ダ・ヴィンチはシャンボール城の設計に関与していたと考えられている。城の完成が近づくとフランソワ王は、自分の富と権力の巨大な象徴として、宿敵カール5世をシャンボールに招待して見せびらかした。

設計図

シャンボール城は中央の本丸と4つの巨大なから成る。本丸は大きな塔2基とともに、大きな前壁を形作る。 さらに大きな塔2基の土台が後部にあるが、これらはそれ以上建設を進められることもなく、壁と同じ高さのままである。 城には部屋が440、暖炉が365、階段が74ある[1]ヴォールト建築の直線の廊下が4本、交差して十字を形作っている。

二重らせんの階段

建築上の見所の1つに、二重らせんの階段が挙げられる[2]。2つの階段を使えば、相手に出会うことなく3階まで昇り降りができるのである。広々としたすばらしい階段はシャンボール城見学のハイライトとなっており、城の最上部から照らし出されている。階段を設計したのはレオナルド・ダ・ヴィンチだという説もあるが、これは確かではない。この種の構造を有する近代以前の建造物は世界的にも珍しい(栄螺堂#会津さざえ堂)。

城の特徴としてはまた、128mものファサード、彫刻された800以上もの柱、精巧に飾られた屋根が挙げられる。シャンボール城の建設を命じたとき、フランソワ1世はコンスタンティノープルの地平線に現れる屋波をイメージしたのである。

華麗に装飾された屋根

城の周りには、52.5平方km(13,000エーカー)の森林公園が広がり、31km(20マイル)の壁で囲まれた禁猟区にはアカシカが生息している。

シャンボール城には、敵からの防御を意図した構造物は何もない。壁や塔、の一部は華麗に装飾され、当時としても時代錯誤なほどであった。建築の基本には、開き窓、外廊下、屋上の広大なオープンスペースなど、イタリア・ルネサンス様式を取り入れているが、これは寒冷な中央フランスには不適当であった。