うちがもし自衛隊になったら | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

ある程度の基礎的な訓練をつけて体格ができたら



日本で人を殺すとかできんけん、まず就職する前にカツオ船に1週間乗ってバランス感覚を養い、カツオをいかに上手く掴めるかのコツを覚える




そして3日カツオをさばく訓練をする

血はどれくらいついたらナイフから手が滑るか

どんな手袋とナイフの柄が滑りにくく相性がええか

魚の分厚さと骨の分厚さに対して



次に市の猟師組合にボランティアで10日入り、山で猪と熊と鹿を殺す練習をする

あらかじめ動物の動脈と静脈、足の健や筋を知ってからいくね。



できたら1日2頭で20頭ランダムに殺して、首を狙わしてもらう

また、どさくさに紛れて手足の健を切ってみる

どれくらいの強さか

鹿


一度切ることで毛並みの質感と刃の相性を見る



次に毎日魚を切りながら、合気道を学ぶ

動き方のかわす動きの基礎のみ1週間で学び


そしてアーチェリーの機械を買い弓を7mから飛ばし避ける練習をする


3ヶ所用意して、慣れてきたら、ボールを転がして拾いながら避ける練習

避け方は合気道で。





次にナイフの扱い方

机、ボール、竹、丸太、鏡、コップ、布、ポット


違う質感の物を斬る




それは



筋肉。



そう、筋肉




重機を扱い

ユンボーを乗り、ユニックを乗り、バスを乗り、船を動かし、ノコギリで大黒柱を切る


家に火をつけ、カエルを切り裂き、オタマジャクシを一回でどれくらいすくえるか



最近まであった土地は崩れ道はなくなりどうすれば下まで降りれるか


屋根を忍者のように駆け回り布団で滑る



ガレージの釘の所だけを歩きいかに穴を開けないか、どれくらいの斜面に対して四肢を使わなければならないか



瓦をはいで投げるとジジイがどんな顔をするのか



猫が通る道は人が通れるか検証し、身長の5倍はある崖をよじ登りばあちゃんが駆け込んでくる



鍬をもち柿の木に刺さるか検証し、縄を持ち出し柿の木にブランコを作り人のんちの柿の木をへし折り親がケーキをもって謝りにいく



斧は回転させて投げると本当に漫画みたいに刺さるのか


瞬間接着剤は指につけると剥がす時に皮膚ははげて血が出るのか?



いろんな事を考えた




ジジイの剪定する大木を避ける訓練


どうしたら木の下敷きになったというニュースになるのか?

確実に倒れてくるの、遅いだろ

少し体を木の位置と木の影からずらせばいい。1歩動けばそれでいいものを。



そして、叫ぶ訓練



車を崖にぶつける修行 



蛇との格闘

ムカデを見つけたら、ハイターか、ファミングか、塩かこしょうか、油か、何が早く死ぬるか研究


結局熱湯やった。




腐ったものは何がどこまで身体が耐えれるか、捨てるのが勿体無いから食べて三十路を超えて胃腸炎になることはおおかった


20代では昭和54年の豆をひいばあちゃんちで見つけて食べてもなんともなかった。



魚は釣れるのかと川にいって網を突っ込むと簡単に捕まえられて、七輪で火の炊き方を習い焼いてみたが臭くて食べれたもんじゃない


醤油か塩でいける。




毎日毎日火をたいて風呂をわかし



ある日ジジイはカラだきをして風呂を割った。そして風呂は墨まみれになり風呂一つ使えなくなった。



そうか、風呂の釜はカラだきでわれるのかと知った。




人体の勉強ではどこの血管をどうすれば良いか考える



人をリハビリする度に骨の仕組みもわかってくる。

あれ?なぜ気絶してるんだ?理由を探す



そして靭帯の方向、場所、首と骨との連携




血管の太さ、循環の悪さ、死期の臭い






日本に奇襲をかけられたら、どうしたら人をより多く殺せるか考えた



指をたまたま切った時の原因

事故をした時の原因

精神状態



しかし、新しい怪我しかしない為に、一つの人生では体験仕切れないと気が付いた。

だから怪我をするのを注意するようになった。




幽霊はいるのか?ああ、見えだした

これは使えるか?



そうか、物理より人を殺すには思考の現実が早い



ああ、人間はこうして動いているのか



ほう、自分はこうして動いているのか



じゃあ自我を抑制したら



思った事を瞬時に忘れたら



何が起こる




因果を溜めていたら

口に出したら

神を使えば、神と人との関係



人を殺すより生かした方が早いのか



真理を使うか、神を使うか、いや、物理特化にしてから霊的手段を取らなければ霊的手段は失敗に終わる







いろんな妄想と幻想を抱いて生きてきた





私がよりよく生きる為には私が原因ではない

全ては外にあると。




じゃあ、それを扱うには殺戮か救いか






と、いつも自衛隊になって忍者のように気配をけし、双剣を使い、合気道の身体の使い方、弓矢、ナイフ、銃、重機、大型バイク、




いや、ネットを乗っ取れば早いところにたどり着く








そうやって楽しく生きのこる為の智慧を回してきて





楽しくやっていた。







今日までね。







しかし朝


着物の女の神が楽しそうに


『その残虐な趣味嗜好が楽しくって』   


と私の事を着物の袖口を口に当てて明るく笑ってゆう。




私が直ぐに、死んだやーってゆうのは

こういう事を常日ごろ頭で回している


日常生活と兼ね合わせて



しかし、趣味嗜好ではない💧




危機管理です✌








うーん

こんな事を長い時間やっていると

上空から災害を見た時に、自分ならこうするし、これくらいならこの被害と簡単にわかる。




そうやね

もし神だけ信仰していたらこんな事にはならなかっただろう



災害を見ても神の思し召しというかもしれん




たまったもんじゃない



私は私の意志がある。




私だって学ぶさ

戦闘戦の方が人生は面白い

何が来ても人が生き残る方が面白い

人をいかに殺すかの妄想の逆の発想で人は生かされる。




人間が何をやってくれようが


次は何をしてくれるんだい?


え?次は?次は?次は?


じゃあ私はこうしようかなーとか


どこをつけば崩れるかを楽しく考える。





崩すという事ができるのは

作りがわかっているからだ



わたしはいつも考える、より少ないダメージでより大きな崩壊ができないものかと。




まあ、



作りがわかっていれば、潰れる会社を立て直すのも道理



そういう利点で私はいつも見ている




楽しく。とても楽しく。






しかし、悪で殺したり崩壊させることのなんとしよいこと



そのくせ善意で人を生かすこと、企業や国を回すことのなんと苦難のこと(笑)



そりゃあ見ればどっちが面白いかは一目瞭然。




この世は悪い事なら直ぐに実行できるサガを特徴として持つ。



そして善意は溜まってからでなくては発動しない条件がある。



しかし悪事は軽い



そして善意は重い




それをいかにこの世が回る事に生かして使うかが面白い






ただの善意はこの世でバカを見て終わる

本当の善人はそれすらも意識に入れない




私は思う



悪人の悪賢さで善意にわざと使えばどうなるかと



戦争ではない

救いとでるのか?




天才はよくわかっている

どうすれば世界が上手く回るか

そして人間は死んだら終わりと思っている

だからどんな残虐なことでもできる。




じゃあ私は死んだ後があるとしよう

その方が面白いじゃないか。

それをわかって計算して残虐な事をしよう

頭の回る人間にとても嫌がられる悪い人間になろうではないか。





私は死んだ後を


なしにも、ありにもできる



柔軟性というのは重要だよ。






善悪が問題ではなく、いかに効率がよく質があり強度があるかの話だ。