現実を見ろ | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

なんかニュースで1型糖尿病の子を祈祷で治そうとして何百万もとられたってあったけどよ


普通の糖尿病は食い過ぎでなるニ型で、1型は機能不全みたいなもんながよね
生まれつきなわけよ


そんなもんね、腹のなかに死神がおるけんそれを祓いますというてやったところで、自我の自制ができずに食い過ぎでなるならともかく、生まれつきのやつは、その肉体に入れる因果を持った魂ながやけん御払いの問題やないがで。


それは御払いやなくて注射よ
注射が御払いよ。


すごいものをはらいよるのはお金の額やけんね。


リスクある体というのはね、人生しんどくなるから結構高い魂が入らんと直ぐに自殺されてしまうのよ


事故で障害、もとから障害、とかね
やけん障害者でありながら魂は高いという隠れがおるけん馬鹿にしよったら実は神様の神属や神霊やったとかあるがで。


まあ、芸術性があるわえ
前世の修行のある高いもんが障害を持っていれば
内在神の発露も自我の形成ができんぶん容易にあるしね


まあ、親も本人も祈祷にすがり付くほど大変やったがやろうけどね
その身体に生まれる意味をもっと深く考えてみたらええ
浅く考えたら霊的に悪いもんがおって祓わんといかんとなるろうけど、もっとそれでも人生をやらないかん本当の意味を知らないかん。


 
あのね、
運のええ人、チャンスをとる人は、無意識にここらの判断を間違わん。


人間は深く考えて本当の意味を探り、深い考えから焦点を見つけて判断できるようになることをしよる


その判断が的確にできると、霊感が進みちょっとしたことが起こり出す


思考の現実の理論とは焦点をとらえておる部分があるために、事が起こることがある


しかし、前後の成行をしらん者は、時間が経つと使えんなる。


前後をしらんけんなぜ使えんなるのかがわからんけん、使えんなって落ちていく。


それは霊界だの神界を知るしらんの問題やなくて、いかにこの世ではどうにもならんことを体験して、どうにかなることを見抜けるようになるかというもんよ


所詮実力なが。
霊界を体験しただの見えるだのというのはオマケぐらいやない?
この世で、散々なめにおうて、散々対応と工夫をして、堪えるところは堪えて、耐えるときには耐えることを、諦めて終わらんものには努力して、やりきるとこまでやりきってから
この世の現実のリアルさを知った上で行き着くのが霊界ながで。
順番を間違えられん。


そうやって、人間らしく人らしくやるだけやってもゆうことをきかん運的なもんに対して、人間や人であって事の流れは運ぶのかというたときに、変わらんとなるなら
人や人間でおる必要はないけんね。
状況の方から変わる「自分」でかまんがよ
私は、状況が変わってほしいだけやけん。
わたしの願いを叶えるために、自分はそのような体制と体形と形成をとったらええが


そこが、薄くこの世にでたのが本音と建前と人間の世界ではゆうろう。


話が広がるけど
自分というものに安楽は生きておる以上はないよ
常に死に向かいどう生きるかの生活をしよるがやけん


やけどその自分の行動が、わたし自身の納得するものであれば、大変でも安楽であるわ。


人は外も中も安楽にしようと無理をする
そしてその、考えこそ的外れであるわ
それを釈迦はいいよる


それをきちんと生きていれば自分で的外れやとわかる。


やけん祈祷ではなくインシュリンの注射が祈祷そのものやとわかるがよ。