大工と設計士 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

社会は冷たいといわれるね


よくそれがわからんがやけどね


政治家ってもんはね、直接人の辛さやしんどさや悲しさや大変さを聞く立場ではないのよ


あれらは、感情で動くものではなく、対策と結果を繰り返し、社会の仕組みと枠を組み立てる専門職やけんね。


つまりは、家を建てる時に、設計士とその設計の紙を見て、家を組み立てる大工という2つがいるがよね


大工に今流行りの設計はできん
それは今の技術をなろうた設計専門やないとね。
大工とは木を切ってネジで止めて、実際作る人で内蔵を頭で構造するもんではないわ。

 

んでね、日々の社会の仕組みからいじめにあったり、教育がおかしいとか、社会がおかしいとか、そのせいで私たちは生きずらいとかいうことはね、設計士たる役割にまず話を通してまとめてもらわんといかん。


そのまとめたものは、設計士が政治家に提出するのが、普通の流れながよね。
 


子供の環境と大人の環境って違うがね

 
子供は非力な故に、与えられた環境でしか生きられない


しかしながら大人とは、その環境を自ら作り維持をしなければならない。


子供が忍耐なら親は忍耐と実力でしか生きれんの。
親の世界はね、辛いとか悲しい疲れる希望がないとか言うても、学生みたいにそれだけに悩む時間てとれんの


常に働かなくては今以上に厳しい生活になるから。
愚痴りながらも働くがよ。


やけんね、子供が辛さや悲しさや社会への不満をいうたところで、忍耐と実力で生きなければならん大人には、忍耐だけの子供のいうことが甘えに聞こえるの。


でも忍耐だけしかできん年であり、その環境を与えられたのは誰のせいでもないのよね。


それを上のせいだというのもまた違うの
決めたのは上だというても、それも本当の本当は、誰のせいでもないの


人に辛さを訴えたときに必ずつくものが、それを訴える時点で「あなたのせいで」という意味が必ずつく。
口にそのまんま出さんでも、やりよることそのものがそういうことになるが。
やけん他人のせいにしているそのことは甘えていると。
子供はただわかってほしかっただけなのに!となる
これは家庭内のすれ違いでもそうやろう
けど、大人はわかってやるというより、じゃあどう行動を変えてほしいんだ!とくる。その変えてほしい正しい行動なんぞ子供にわかるはずはないが、子供は単純にその勢いに負けたらいかんと、考えてもない頭で適当なことを言い放って馬鹿にされて終わる。
やけん子供はいじける。
辛かったがやねと添える一言があったら、勇気を出した訴えも報われるにね。


やけん、結果を伝え今後の事を考えるようにしてもらいたい意志だけを政治に伝えるのが常識内であり、それ以上は事の問題より、そこからの自分の辛さの訴えに全面的になってしまうけん、場違いになるの。
 

 
やけん政治に関しては私情や感情を持つい必要がない。


でもそれって、若い子達は違う!って
政治は国民の意見を聞いて成り立つもんだ!って勢いのあるのはいうわ
その通りであるのだけど、実際の話、口だけしか出せんのでは意味がないから、そんなに心を人が聞くまで訴えてくるなら自分が政治家になって、言うより行動で変えてみろよって話なのよね
でもそんなことはできんから、皆仕方なく生きるの


実際政治家になろうとしてみたら、あの腐れ政治家の野郎が!っていうても、どれ程支持するもんがおるかわかってくるで
政治家とは他人との繋がりよね。
他人やち好きでその政治家を支持しよるかはわからんよ
それを支持することで利益や市の経済の発展に繋げないかんけん、どのみち感情より現実的な判断やけんね。


あの古タヌキがというたところで、やっぱり支持者がおるということはすごいことよ。


 
けどね、それだけに偏ったら優しくない世界だろう?


だから子供を傾聴して甘やかすのでもなく、大人の融通と利益の現実に心を押し殺して生きるのでもなく


なぜこうなのかと
もっとシンプルに事を進めていく道を単純に多くの人間がやれるようにならないかん


自分のせいでも他人のせいでもないことを知ることや
訴えただけでは社会は動かせんこと


それでも、冷たいと人に辛さを訴えながら、その自分すら冷たくされるからと人を不快にしたり冷たくするような事を選ぶのは、私が一番選ばん選択やね。
うちはそんなことをせないかん社会に個人的に腹立つけん、わざとやらん。
まあ、先生の前ではダラダラ姿勢をせんとってとか、利用者への声かけはきちんとして、とかはヘラヘラしよっても言うけどね。勝手に頭より口が。


 
例えばの話しやけどよ、マンションの真ん中にすみよると、左右上下人がおるわけやん。
上の奴の物音が生活音以外でうるさい時って、壁叩かれたら普通壁を叩き返したくなるけど
それをやったら四方囲まれていたらよ、一つの部分の部屋に対してやったことが、関係のない部屋の人にまで影響するわけよ。
やけん叩き返したりせんのが普通の人よ。
そのために管理人がおって、苦情が出せるがね。

 
やけんやり方や、この立場ではここまでしか言えんというのが、職場でも身内でも行事でもあるわけよ
そこを見分ける判断ているがね。
それができだしたら、何が仕方のなかったことながかわかりだす


そしたら、辛さを訴えたり、泣いてみたいり、悔しい思いをしてみたり、下手なストレスを抱えたりせんでええなるわえ。


それを常識を身につけるというがやろう。


 
ということをね、
ちゃんと言える人がおらないかんで社会は。


変なで今の社会は。
もっとちゃんと言う人を増やさんかえ。