やりすぎたら裏が出る | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

私は常々気を付けておることがある


これはうちが生まれてこの年になるまで、今もずーと起こりよること。


例えば
あの友達と今日どーしても遊びたい!って気合い入れたら、必ず遊べん。

この漫画絶対絶対買ってもらおう!と思うたら絶対買ってもらえん。

ゲームがしたいゲームがしたいと思う程、次から次へと手伝いをさせられる

犬なんて飼ってもらえないだろうと思えば突然犬を飼うと話が出。

うさぎなんて飼ってもらえんだろうと諦めていれば妹が欲しいというて2匹飼ってくれる事が起こり

家事手伝いをうまく逃げた!日に限って、友達が問題を起こして先生にうちは手助けを頼まれ


これだけは避けたい!と思えば必ず来るし

くじ引きではとにかく外れだけを引かなければいい!と思っていれば10分の1を引く

こんな事が起こるわけがないと思えば、こんなことは必ず来る

パソコンに保存したデータに消えん自信を持った際、閉じる時に情報処理が混雑してパソコンが開かんなり、買い換え。

漫画であるサッカーをしているボールがたまたま当たって倒れるとか、現実であるわけがないと断言し思えば、その日に限って体育でバスケットボールを顔面にあびて鼻血を出し

骨折など自分とは程遠い事よと思えば、ドッチボールの玉に小指をかすめただけでヒビが入り

この人が一番大事!と思うた瞬間次の日に裏切られ

この人はずーとうちの元におるがやろうと思えば死なれていく。



これは、予知なのか予感なのかなんなのか。
これは、人間の力では起こるはずがないような目に散々おうてきた
それが人より極端に出たがよ。


やけん、人間は人生でやらないかん不幸と幸福の量は決まっておると思う
不幸をやってない人間には必ずどんな方法でも不幸がくる
幸せを知らん人間にはどう足掻いても幸せが必ずくる
虐めを知らん人間は必ず虐められる。
死を知らん人間は必ず死を体験する。
これは逃げれん事やと思うちょる。


少しばかり抵抗してやろうと思うなら、その不幸と幸福を、どの歳でどの濃度でやるかというぐらいのこと。
濃度を濃くやれば人生の展開は早く激動となる。



この世は掴めば掴む程に、真逆が出る
恐れる事も、安心する事も、極端にできん。
心が天国に行けばこの世は地獄になり、私が地獄におればこの世は天国よ。
いつもいつもこの世は私と真逆の立場をとる。
天界がこの世に現れるには、穢れといわれる此処の世界に物価であり建物であり、破壊という現象として出る
それほどあの世の天界との性質と、この現世の今の状態は逆をとっておるのだ。
こっちが地獄におる方が、世界経済は上がっていく。
しかし、時間の問題であり、世界経済が上がればどのみち戦争が起きる
何を根拠として起こるかはそれぞれだがな。
かといい、天国におれば散々災害が起こる為に無駄な経済が破壊され社会が崩れていらん死者を出すだろう。


やけん『お前の運命は天国と地獄の狭間』と言われる。


どのみち逃げてもくるものは、自分からやらんといかん。
例えば自分がかわせば、それは人にいくろう
やけど自分なら耐えれるのに、人は死なんといかんかった場合、そういうのって困るけんね。
やけん人には人にしかできん役目がある。
うちにできんことは沢山あるのに、それを大勢の人は悠々とやってみせる
それを羨ましくも思うが、仕方のない事やともわかる。



またこれと同じで、日本がやらんことは外国がやらないかんなる。
逆に外国ができんことは日本がやらないかんなる。
やけど、日本なら無事やりこなせるのに、それを日本が逃げて外国にやらした時、多くの死者がでるような逃げ方を、日本はしたらいかん。
逆に外国がやらんといかんことを、日本なら楽勝でしょうというて持ってくるなら、更なる災難を呼ぶろう。
お前がやらないかんことは、お前がやれ。
それがルールじゃ。



私がかわした事は、人に行った
やけどその人は前向きに取り組むのではなく、憎しみを募らせてそれをやりよった


その次に、そのやらないかんことよりまだ大変な事が起こり、これは逃げるにも自分以外にはできん、運命から起こった問題やった。
いっつもその時に、これがくるならあれを逃げんとやっておいた方がマシやったと半泣きになってやるハメになる。



どう足掻いても、逃げれんがよね。
じゃあ、無駄とわかれば立ち向かう以外悩む必要ってないやん。
千手打ってきたつもりや。
それでもいかんかったけん。


やのに、来い!と覚悟が決まればそれは突然逃げていく。
やけど、いずれやらんといかんがやろぉお??っていうて、逃げていく不幸の肩をわしずかみにして食べていっちゃるが。


偉そうなことをいう時期があるなら、必ず人にけなされる時期を取る。
人を馬鹿にした量だけ、人に馬鹿にされる量をとる。


そういうもんながで。
それに対して、あがかないという選択肢を持つがよね。
やめる時にはその選択肢で。


人間ねえ、意志一つやけん。


現実はことごとく私を裏切るけん。


自信がないがやろうと言われる時期があれば、自信があるがやろうと言われる時期がある。
自信を持つ時期があれば持たん時期がある。
人も人生長くみたら、皆そうやろう。



やけん本当は何も思わないことが一番ええ。


腹がへったらそれっきり、そしたら人からなんかをたまたまもらうけん。
なすびの料理がわからんなーと思えばそれっきり、勝手に人がなすびの料理で美味しいのがあると突然教え出すけん。
妙に胃の調子が悪いかな~と思えば、たまたま風邪薬をわたされるけん。
あ~着物が乾かん・・と思えば除湿器の販売に行き当たるけん。
ケーキが食べたいと思えば食事に誘われ
本気で怒った時には好きな人から連絡があり
こたつを買うか迷いよるとたまたまもらい


困ることがないがよ。



でもこんなんなるには、うちは散々現実に殺られてないと、納得せんかったがよね。


『気を抜くな!頑張れ!』と言われて『気楽にラフになれ』といわれる
意味がわからんと思いながらも、あっちいきこっちいきしよる。


これは、私だけに起こる事やないで。
この現象に、人間のゆう正しいことや善であることや正義や正論というものは関係ない。
ただ、真逆が起こるという現象なだけよ。
それで人間が幸福になろうが不幸になろうが、その法則にはまったく関係がない。


やけん間違いである事を主張しすぎると、正しかったとわからせることが起こり
正しいことである事を主張しすぎると、間違いである事を知らしめる事が起こる


まあなんと、この世は巧妙巧みかと思う。
やけん究極をゆうて手厳しい事はするなと言われる。


物事や状況という現象に意味はなく、そこに意味をつけて喜怒哀楽を表しているのは人間の意識の方だからな。
この世に価値があるというその人間の意識の中に価値という存在がある。
いくら人間が死のうと、自然界が困った~というわけではない。


善人やったものが突然悪人になり
悪人やったものが突然善人になる
その根拠はこの世にはない。


なぜ、ないのか。
それは個人事ではなく、運命そのものからの横転と反動があるからだよ。

 

やけん現実は人の力の及ばんところから裏切る。
闇しかないとドン底へ落ちれば突然光を見せられる
そういうものなのだよ。