神は欲を制限する | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

昨日はヨッシャー!バリに自分が痩せたと宣言したに、今日の朝方


『あなたがやっている食事制限
  神様がやっていることですよ』


って、一言言われた。


神様って、なんやろう~って思うた瞬間やった


多分、神様ってもんは人の欲の程度を扱えれるがやないろうか。
なんじゃろうねえ、人の欲のエネルギーは神様に仕えている魔界のもんが守りよってね
神様の出方によっては生理的な欲求の操作が可能やないかと9年眺めて思う。
多分人の不幸とは欲にて成り染めるもんではなかろうか
その欲をもしも抑える事をあちらが勝手にした時には不幸とも思わんが、幸福とも思わん、故に、ふっつーーーーーーーに、なるがやないかと思う。


でもそれって、人間じゃあないわえ。


けど、よく考えたら仏教はそれをしなさいっていいよるがやろう。
中肉中背がええといいよったもんね。


因みにじゃあこうして話しかけてくるおばちゃんは誰?っていうたら『他の者』という。
眼が使えんけん何が起きておるのかさっぱりわからん。



やけん究極論はゆうなよと言われておるけど、結果論としたら、欲を消そうと努力しても後ろにその気がなかったら無駄な努力よ。
やけど、努力した因果はどっかで自分を助けるろう。
その努力の因果が一つ一つ執着を切る因果になるかもやし、逆に悟るもんになるかもやし。


やけん行動に善悪があって決まるというより、いつまで経ってもケリはつかず
悪に偏れば善を行いぶつけるし、善に偏れば悪をぶつけて進化する。
そういう、単位のようなもんよね。