気を付けないかん | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

宗教って仏教、神道とあるけど


その仏教も神道も過去の教祖の数によってその中でも沢山ある。


神道でも天理やら真光やらその他結構ある。


神道も仏教も教えはひとつながやけど、除霊とか浄化というやり方は宗派で個性があってね。


やけん、宗派の違う人がもし助けてくれと、違う宗派の人に頼った時に、後々トラブルになることがあるがよ。


その助けてくれというてきた相手がどれ程自分との関わりがあり、信頼が築けているかで状況は変わってくる。


やけん、自分が奇跡体験をしたというてガッツリ信じていたとしても、他の人は自分の信じているもので奇跡体験をしてないがやったら、おいそれとは手を出されん。



ある一つの宗教の神に信仰心がある人は、他の宗教の神を自分の信じている神とは別と見るけん


その手を出した後に状況が好転しなかった時、または一時はよかったがまた落ち込んでの繰り返しが続いた時、
それは自分が他の宗教の神に頼って元々の信仰する神を裏切ったことのバチやととったり、逆に手を出されたけんこんなことになったという責任転嫁にも似た事が返ってくる場合がある。



一番いかんのは、口で止まればええものを、直接的な訴えを現実的にやられ出した時がいかんがよ
塩をドッサリ車にまかれていたとかね。
玄関に突然ゴミを投げ入れられたとかね。


助けたと思うたら大被害やんか。
実際あったことやけどね。
その起きた理由がこの部分ながよ。



自分は奇跡体験をしちょるけん、助けれんわけがないと自分の信じる神を疑わんろうし、相手は相手で状況が好転せんかったということと、自分の信じる神を愚弄したと怒るろうし


わけのわからんことになる事があるがよ。


じゃあなんでそんなことを言うのに頼ったのかというたら、その時苦しかったけん何とかしたかったというだけなが。
それが成せんかったけん、更に不愉快が増したというね。



まあ、こんなこともあるぜよって話しながやけどね。



やけん、自分が奇跡体験をしたけんと、人にも起こるわけやないけん。そこはわきまえておかんといかんね。
信仰して隣人とトラブって生活ができんなったら、奇跡体験ってなんやったがやろうねってなるろう。



続けて話したら
それは自分が移転する流れだからそれが起こったのですよ、という上の人もおるかもしれん。


やけど、先に謝った方がええがで。


助けてやったのに恩を仇で返して!っていうより、その人の信仰心を傷つけてしまったと知って誤るのが先ながよね。


やけん見えん事をやる時には、本当に気を付けんといかんということよ。