いかん日 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

私、今日は心には一切響かんかったけど妙な日やって


ことごとくいかん日やったわ。


いかんというのは方便で、いかん=ダメとか行かん=行きません、という意味合いながね



ある意味珍しかった
やけん日頃なにも起こらんというのが、起こったことによって明確になったね。


自分が思うたことしか起こってこんかったけん、こんな何も無意識にでも思うてないことがポイポイポイポイ起こる事が不思議やったね。


お陰で少し、アチャーとなったり、大変や!と思うたり、ガッカリーになったりしよった。


やけん思考の現実があったとしても、無視した現実側からの動きというのはあるけんね。


幸せになれますし、不幸にもなれますし
不幸を思考の現実で止める事ができないのも本当ですし、闇におっても私の意思に関係なく出される事が起こる事もあるのが、この世の本当なのです。



あっでも思うたらええことも勝手にあったわ!



なんの日やったがやろう


あ、因みにね、大きい動きをする時には、それを動かす徳が働くからそれが動くあいだは、自分はガタガタするね


まあ、こんな話はした方がいいのか悪いのかわからんね


本当は何があってもこんな日かあーで終わってればよくて


徳だの、因果だの考えるだけ無駄なんじゃ。
お役目はお役目らしくそれだけに徹したらええがやろうと思うね。


情報を沢山とって考えて考えてさあ
そして情報を求めなくなるときがくるんだわ
大体わかってきたらね
そしてやっとオリジナリティで生きるんだろうね


所詮悟ろうが、能力や知識や人脈を広げて向上する事が真理をとろうが、人間が生きていく上で必要なことだからな


ただ、悟っていれば
不幸や幸福の現状がきても、自分は揺れんわな


悪いのは現状だというても、様々な要因が絡んで発生していて、自分一人がどうこうできるもんではないわ


やけん自分の中を状況によって揺さぶられるより、状況は状況として捉える事ができるなら
なにがきたちかまんろう。


それを仕方がないと諦めというがやろうね
しかしそこに、負けずなんとかしょうと思う気持ちが出るか出んかは、今までのやってきたことによるがやろうね